【日経バイオテクONLINE Vol.2780】

iPS細胞の供給再開を待ちわびる人々

(2017.10.11 08:00)
小崎丈太郎

 京都大学iPS細胞研究所は2017年10月6日に、停止していたiPS細胞の供給を再開したと発表しました。同研究所は大学や企業に提供する事業を2016年の8月に開始していましたが、iPS細胞を作製する際に使う試薬のラベルが、間違った試薬のチューブに貼られていたことが11月に判明し、提供を中止していました。そこで管理体制を見直し、iPS細胞を作り直し、今回の供給再開にこぎ着けることができました。
 このiPS細胞の供給事業の再開を誰よりも切望していたのが、脊髄損傷の患者さんたちです。iPS細胞から誘導した神経幹細胞による治療の有効性が脊髄損傷モデル動物で実証され、臨床研究を待つ段階に達していたからです。脊髄損傷患者さんの集まりであるNPO法人日本せきずい基金が2017年10月7日に東京で専門家らを講師に迎え、講演会「Walk Again2017 脊髄損傷の革新的な医療をめざして 新しい法体系と再生医療」を開催したので、行ってきました。

 講師の1人である慶應義塾大学医学部の中村雅也教授(整形外科学教室)は、iPS細胞の供給停止によって受けたショックを語りました。順調にいけば、今年中に臨床研究を始める予定だったからです。iPS細胞の供給停止によって1年以上、計画が遅れることになりました。「がっかりしたことと思います」。中村教授は演壇から聴衆に語りかけました。しかし、その間でも足踏みはしていないと力説しました。「治療プロトコールの見直しや神経幹細胞の誘導方法の至適化と評価方法の確立に努めてきた」と力説していたのが印象的でした。

 慶應義塾大学は、岡野栄之教授(現、医学部長)らがヒト胎児由来の神経幹細胞の移植によって脊髄損傷のモデル動物の運動機能を回復させることを発表してから、脊髄損傷の再生医療の世界的な研究拠点の1つでした。
 ところが倫理的な問題がクリアできず、臨床応用はしばらく立ち往生の状態にありました。この講演会でも講師を務めた岡野教授自身が「臨床を断念しようと思った」と述懐していましたから、相当深刻な状況であったことが分かります。そうした窮状に救いの手を差し伸べたのが、山中伸弥教授のiPS細胞の登場でした。つまり、脊髄損傷の回復治療はiPS細胞の安定供給と運命共同体の関係にあるわけです。
 日本せきずい基金の大濱眞理事長は登壇する専門家らに繰り返し、2つの質問を投げかけていました。1つは、「いつ臨床研究が始まるのか」ということ。もう1つは「慢性の患者を対象にできるか」ということです。
 まだ、臨床研究にゴーサインが下りていないことを理由に専門家らは臨床研究開始時期を明言しませんでしたが、おそらく2018年にまず亜急性期の患者を対象にiPS細胞由来神経幹細胞の臨床研究が始まることでしょう。その次が慢性期の患者を対象とした研究です。トレッドミル歩行訓練などのリハビリ技術との併用などのプロトコールも検討されています。 
 この日の講演会に集まった聴衆の多くが損傷して長期間を経た人々です。しかし、こうした患者さんも幹細胞投与の対象となっていることが分かりました。やはり講師となったサンバイオの森敬太社長は、脳梗塞を神経再生細胞SB623で治療した治験の結果を症例と共に示しながら、「再生医療でなければできない治療を進めたい」と慢性期患者の治療に意欲を見せていました。

 中枢神経の変性疾患を再生医療で治療するーー。この治療は脊髄損傷にとどまらず、将来はアルツハイマー病やパーキンソン病など、社会の高齢化に伴い急増中の疾患の治療に用いられることになります。とりわけ認知症患者の増加は既に社会的な脅威となりつつあることはご存じの通りです。脊髄損傷を治療できるかどうかは、再生医療の将来と共に日本社会の浮沈の鍵を握っているとも言えそうです。

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