中国人とビジネスするには戦略と覚悟が必要だ
中国人とビジネスするには戦略と覚悟が必要だ

 「中国とどう付き合っていくか」──21世紀を生きる日本の企業にとって、死活に関わる重要な課題だと私は考えています。医療用医薬品の市場はいまだに欧米が中心であるため、本誌(日経バイオテク)の読者の中にはピンとこない人もいるかもしれません。ただ、10年、20年というスパンで見た場合、人口が減っていく日本の国力が相対的に下がっていくのは避けられません。そうした環境の中で生き残っていくためには、事業の進め方を大きく変えていかなければならないと私は考えています。生物の進化と同様、「弱者(=規模の小さい会社)」ほど環境の変化に敏感でなければ「死ぬ(=廃業)」ことになります。

 のっけから「大風呂敷を広げたなぁ」とお感じの方もいるでしょう。この大きなテーマを論じるに当たって、私が取り上げるのはエヌビィー健康研究所(札幌市北区、髙山喜好社長)というスタートアップです。製薬大手の方ならそんな地方のバイオベンチャーの話なんか興味ないよと感じるかもしれませんが、ちょっと待ってください。この記事に目が留まったあなたは、中国に対する漠然とした不安と潜在的なポテンシャルをお感じになっているはずです。今は知名度が低いかもしれませんが、エヌビィー健康研究所の髙山社長が、脳に汗をかくほど考え抜いて導き出した中国(企業)との付き合い方は、スタートアップや世界的に見れば規模の小さい日本の多くの製薬企業にとって、とても参考になると私は考えています。

 エヌビィー健康研究所は大正製薬を退職した髙山社長が2006年に創業しました。G蛋白質共役型受容体(GPCR)に対する抗体の探索技術を持つのが特長です。その技術が評価され、同社は2021年8月24日に中国・北京のTrinity Innovation Investment Management社(以下、TIF)が運用管理するファンドなどからシリーズCとして総額682万ドル(約7.5億円)を調達しました。

 エヌビィー健康研究所は詳細を明らかにしていませんが、682万ドルのおよそ4分の3を中国TIFから、残りを既存株主であるアニヴェルセルHOLDINGS(紳士服のAOKIホールディングスのグループ会社)から出資を受けました。日本のバイオスタートアップが中国のファンドから数億円規模の出資を受けたのは、今回が恐らく初めてです。

出会いは六本木、日本の投資家とは異なる高評価

 「中国から出資を受け入れて大丈夫なのか」。日本の企業関係者の多くがそう感じるはずです。Alibaba Group(阿里巴巴集団)のような国を代表するような大企業(2020年の売上高は5097億元=約8.7兆円)であっても、政府の方針に異を唱えた瞬間に窮地に追い込まれてしまうのが中国です。香港をめぐる動静を見れば、国際的な約束が簡単に反故にされることも明らか。日中関係は今でこそ凪(なぎ)状態ですが、尖閣諸島をめぐる国境問題が起きた2011年以降、日系企業は様々な圧力を受けてきました。当時、家族を帯同して北京に駐在していた私は、身の危険を感じて過ごした日々を絶対に忘れません。

エヌビィー健康研究所の髙山喜好社長
エヌビィー健康研究所の髙山喜好社長
大正製薬の創薬研究所に在籍していたが、2006年に故郷の北海道で起業した

 髙山社長も、最初から中国のファンドから出資を受けようと考えていたわけではありませんでした。シリーズCの資金調達に向け2019年初頭から動き始めたものの、国内の投資家からは色よい返事がもらえません。そんな折、2019年3月に東京・六本木で開催された「Annual BIO Asia International Conference」で、髙山社長はTIFの幹部と知り合いました。

 TIFには、欧米のメガファーマで研究開発や事業開発を担当した経験を持つ人材がそろっており、エヌビィー健康研究所の「MoGRAA技術」のポテンシャルの高さをすぐに理解したそうです。MoGRAAとは「Modification of G-protein coupled Receptor Activation with monoclonal Antibody」の略。「GPCRに対するモノクローナル抗体を根こそぎ見つけ出すという意味を込めて“モグラ”と名付けた」と髙山社長は説明します。

 GPCRは様々な疾患との関連性が示されており、医薬品を開発する上で重要なターゲットです。そのためGPCRを標的とする抗体医薬の開発は世界中で試みられていますが、成功例は期待されているほど多くないのが実情です。理由は様々ありますが、GPCRは細胞内での発現量が少ないことや、細胞膜の外側に露出した部分がわずかしかないことからモノクローナル抗体の作製が難しいなどの要因が挙げられます。中でも情報伝達を直接制御できるような、機能性モノクローナル抗体の作製は特に困難でした。

 エヌビィー健康研究所が開発したMoGRAA技術は、GPCRの細胞外部位を認識して結合する抗体を効率的に取得できるそうです。標的となるGPCRの全長蛋白質を発現するプラスミドベクターを動物に免疫する方法を採用するなど、5年以上にわたって工夫を重ねてきました。GPCR創薬のスクリーニング手法を応用することで、「標的となるGPCRに特異的に結合するモノクローナル抗体を効率的に取得できるようになった」と髙山社長は語ります。実際、MoGRAA技術から10本以上の抗体医薬パイプラインを獲得できました。

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「お互いに野心があったから組めた」

 ここで指摘しておかなければならない事実があります。エヌビィー健康研究所がMoGRAA技術を完成させたのは2016年です。そこから国内外の製薬企業やファンドなどに対してプレゼンし、共同研究や出資を打診してきました。しかし5年近く経っても、契約に至っていませんでした。創薬のプロの眼にかなわなかった理由が何か、私には分かりません。ただ、社運をかけて開発した自社の基幹技術の評価がなかなか定まらなかったことに、髙山社長らは不安を募らせていました。そこに現れたのが中国のTIFです。TIFはMoGRAA技術を高く評価し、二桁億円を大きく超える出資を打診してきました。「日本の投資家より高いバリュエーション(価値)を認めてくれてうれしかった」と髙山社長は振り返ります。

 しかし、髙山社長はマイナーではない出資を受け入れるかどうかについて逡巡したそうです。仮に経営権が握られるような事態となった場合、虎の子であるMoGRAA技術の知的財産権を守れるかどうかを懸念しました。既存株主の中からも心配する声が上がりました。そこで両社で協議し、以下のようなスキームを考えました。

 エヌビィー健康研究所はTIFからマイナー出資を受け入れると同時に、TIFが天津市に設置した臨床開発会社ReCentrics Biotechnology社に4本の抗体パイプラインを導出しました。ReCentrics社は全世界における研究開発・製造・商業化の独占的な権利を獲得する代わりに、エヌビィー健康研究所に契約一時金やマイルストーン、そして上市した場合には売り上げに応じたロイヤルティーを支払います。さらにReCentrics社は、治験薬製造を含む臨床開発や製造、そして商業化に関わる全ての費用を負担します。つまりエヌビィー健康研究所は4本のパイプラインを提供する代わりに、実質的な自社専用の臨床開発会社(ReCentrics社)を中国に持ち、臨床開発の費用は一切負担しないで済む体制を作り上げたのです。

 このスキームについて髙山社長は、「導出したパイプラインでもうけようとする気持ちは全くない」と言い切ります。契約のため詳細は明らかにしていませんが、マイルストーンやロイヤルティーの比率は、相場よりかなり低く抑えられています。エヌビィー健康研究所の目的はただ1つ、自社の基幹技術であるMoGRAA技術から新規の抗体医薬が生み出せることを一日も早く証明すること。そのために中国のTIFと組む決断を下しました。

 TIFは中国の大手医薬品グループであるAsymchem(凱菜英)社が設立した創薬ファンドの運用を手掛けています。Asymchem社のグループ内には5000人以上の従業員がいて、世界70社以上のクライアントから受託した臨床試験を常時600本以上手掛けています。言わば臨床開発のプロ集団であり、エヌビィー健康研究所が単独で治験するよりも何倍も早く進むのは確実です。

 髙山社長は「我々にはMoGRAAが単なるリサーチツールではなく、創薬プラットフォームになることを早く証明したいという“野心”があり、先方にもファースト・イン・クラスの新薬を中国で生み出したいという“野心”があった」と語ります。

今も昔も中国のやり方は「計画経済」

 TIF側の野心については、少し説明が必要でしょう。

 中国政府は今、「中国製造2025」という産業政策を強力に推し進めています。習近平指導部が掲げる重要施策で、次世代情報技術や新エネルギー車など10の重点分野と23の品目を設定しています。そのうちの1つが「バイオ医薬・高性能医療機器」となっています。

「中国製造2025」で掲げられた重点産業
「中国製造2025」で掲げられた重点産業
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出典:中国製造2025重点領域技術創新路線図。初版は2015年5月、2018年1月に更新版を公表

 中国製造2025のポイントは従来の模倣を主体とした製造業から、自主開発を基点とした製造強国を目指そうとしているところです。自動車やITなど既に中国内でも技術と経験の蓄積がある分野と異なり、医薬品や医療機器の分野で中国企業の存在感はほとんどありません。医薬品開発業務受託機関(CRO)がいくらたくさんあろうと、新薬の種がない限り自主開発は絵に描いた餅に終わります。そもそも新薬をゼロから開発しようとしたら、10年以上の歳月がかかります。

 そこで目を付けたのが日本です。比較的サイエンスのレベルが高い日本から新薬のシーズを導入し、自国で臨床開発して上市できれば、「中国発の新薬」に仕立てられると考えたのです。オリジンを外国から導入しても自主開発といえるのか。そこは見解が分かれるところですが、メガファーマだって大半は導入品なのですから、合理的なやり方といえます。中国人は細かいことは気にせず、儲かりそうと思えば一斉に走り出す人たちなのです。

 こうした背景があり、3年ほど前から創薬ファンドや中国の製薬企業の関係者が日本詣を繰り返していました。コロナ禍で一時中断していた時期もありますが、オンラインで交渉が続けられています。

 客観的に見れば、今も昔も中国のやり方は「計画経済」だということです。政府よりも上位に位置する中国共産党が方針を定め、その方向に向かって企業も人民も一斉に奔走します。良い悪いは別として、そこが中国の強さの源泉でもあります。

 一例を挙げましょう。太陽電池は2000年代の初めまで日本メーカーが世界市場を席巻していました。しかし、政府の号令を受けた中国メーカーが2010年代から台頭し、2020年にはついに国別シェアで中国が7割近くを占めています(出荷量ベース、日経クロステック)。技術的には日本のメーカーの方がまだ上だと信じたいですが、圧倒的な物量と低価格で攻め立てる中国メーカーを前に撤退戦を強いられています。

 新薬の開発は簡単にまねできるものではないと思うのは勝手ですが、その考えは楽観的すぎると私は思います。日本も含め世界の製薬企業がグローバルに治験を進めるには、今や中国CROの力は欠かせません。14億人を超える人口を背景に、どんな希少疾患であっても迅速に臨床試験を進める体制が中国には既に備わっています。あと欠けているのは、新薬のシーズです。それを日本などから必死にかき集めようとしているのが、今の中国の製薬業界なのです。

参考書籍『スッキリ中国論 スジの日本、量の中国』(日経BP)
 自社書籍で恐縮ですが、中国ビジネスに関わる方にお勧めしたい書籍です。私は2009年から2014年まで、中国に赴任していました。その関係でこれまでに100冊以上の中国ビジネス書を手にしてきましたが、中国人の行動原理をここまで的確に、しかも分かりやすくまとめた書籍は他に見たことがありません。著者の田中信彦氏はリクルート中国プロジェクトや大手カジュアルウェアチェーン中国事業などに参画するなど、中国ビジネスに精通したプロフェッショナルです。書籍オビの柳井正氏のコメントが、本書のポイントを的確に示しています。

チャイナマネーとどう付き合っていくか

 ここに来て日本に秋波を送る中国に薄気味悪さを感じるものの、日本の創薬スタートアップにとって悪い話ではありません。スタートアップの関係者なら誰もが感じていらっしゃるでしょうが、日本のベンチャーキャピタルは総じて倹約家です(「ケチ」と言っているのではありません)。高尚な投資方針を掲げているわりには、リードインベスターになるのを尻込みするVCも少なくありません。その点、中国人投資家はこちらが拙速と感じるほど意思決定が速く、信頼に足る相手にはカネの出し惜しみもしません。

 今回のディールのキモは、エヌビィー健康研究所の髙山社長が腹をくくったことに尽きます。創薬スタートアップにとって、数少ない自社発のパイプラインは我が子同然に貴重な存在です。にもかかわらず髙山社長は、4本まとめて自社パイプラインを中国側に完全にくれてやる決断をしました(もちろん対価は得ていますが相場に比べればかなり低い比率)。

 乾坤一擲(けんこんいってき)の大勝負に打って出たのは、自社のMoGRAA技術がヒトでPoC(概念実証)が取れるかどうかを一日でも早く見極めたいということ。実臨床で実績が示せれば、これから別の会社と交渉する際にも有利に働きます。髙山社長は「GPCRのターゲットはまだ400近くあるので、MoGRAA技術を使えばいくらでも自社発のパイプラインは生み出せる」と豪語します。この胆力と戦略があったからこそ、中国の老板(経営者)と渡り合えたと言えるでしょう。

 もちろん簡単な決断ではありませんでした。実は、髙山社長は2020年1月20日から1泊2日で、北京市と天津市を1人で訪れました。当時は既に、武漢市で原因不明の感染症が猛威を振るっていました。そうしたリスクを負ってでも見極めたかったのは、中国側の意気込みでした。弾丸出張の日程でTIFやスポンサー企業であるAsymchem社の幹部、そして天津市政府の関係者と面談を重ね、夜は会食も共にしました(中国人と付き合うにはここが重要)。翌日は天津市内の巨大な臨床試験施設なども見学し、「MoGRAA技術の中国での社会実装(臨床応用)の可能性を実感できた」と髙山社長は振り返ります。その後はZoomを使って詰めの交渉を進め、コロナ禍でも中国投資家とのディールをまとめました。


 いかがでしょうか。エヌビィー健康研究所のチャレンジがうまくいくかどうか、今は全く分かりません。2年から3年すれば趨勢も明らかになるでしょうから、その際に再度検証する記事をお届けしたいと思います。

 米中対立が先鋭化していく中で、日本の民間企業が中国企業と付き合うのはリスクが高いと考える人もいるでしょう。ただ、リスクは知恵と度胸でマネージできると私は考えています。そもそも創薬という不確実性が極めて高いビジネスをしているのですから、リスクとは常に背中合わせのはずです。1年後の存続も保証されていないスタートアップが、リスクを取りにいくのは必然とも言えるでしょう。今はそのチャレンジ精神に敬意を表したいと思います。

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