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 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)を契機に、米国と中国の対立が深まっている。その主戦場の1つがワクチン開発だ。製薬業界で、新しい医療用医薬品(先発医薬品=いわゆる新薬)を生み出した経験を持つのは、これまで欧州や米国、日本ばかりだった。しかし中国は近年、新薬の研究開発力を飛躍的に高めている。COVID-19についての理解は十分ではなく、どのワクチンについても「確実に開発に成功する」とは言えない中で、中国が米国に先んじてワクチン開発に成功する可能性も否定できない。

 「最初にワクチン開発に成功した国が世界に先駆けて、その国の経済と世界的な影響力を回復するだろう」――。2020年4月末、米国で医薬品の審査・承認を担当する米食品医薬品局(FDA)の前長官であるScott Gottlieb氏は、COVID-19に対するワクチン開発の重要性について、こう見解を述べた。

 米国がワクチン開発に血眼になるのは、世界で最も感染者数の多い自国民を救うのにとどまらず、Gottlieb氏が言及したように、世界の覇権争いの行方を左右すると考えるからとみられる。とりわけ意識するのが、中国だろう。米Trump大統領が「中国ウイルス」と連呼するほどに“敵視”するのが中国だ。

 ひと昔前であれば、創薬大国の米国に中国がワクチン開発で先着する可能性はゼロだった。これまで中国が得意としてきたのは、生薬や後発医薬品(特許切れした先発医薬品と同等の医薬品)の開発・製造であり、新薬の研究開発経験はほとんど無かった。しかし、「過去10年で、中国の新薬の研究開発力は飛躍的に高まっている」と製薬業界の関係者は口をそろえる。世界に先駆けて、中国がCOVID-19のワクチン開発に成功する可能性もある。

新薬やワクチンの創薬で存在感増す中国

 これまで中国は、海外留学から帰国した研究者などに多額の研究費を投じ、大学・研究機関のレベルの底上げを図ってきた。近年は、最先端の細胞医薬や遺伝子治療などを含め、新薬の研究開発を手掛ける中国のベンチャー企業が続々誕生。中国政府が、医薬品の規制をグローバルの規制に近づけたり、医薬品の臨床試験の環境を整えたりしたこともあり、中国企業は、「中国での後発医薬品の開発」から、「世界での先発医薬品の開発」へと軸足を移している。2019年11月には、ベンチャー企業の中国BeiGene社が、米国で、悪性リンパ腫というがんの治療薬「BRUKINSA」(zanubrutinib)の承認を獲得。先端的な創薬技術や開発力が求められるがん領域の新薬を、中国企業が生み出せることを世界に印象付けた。

 同様に中国は、感染症領域のワクチンの研究開発にも力を入れてきた。一般的にワクチンは、健常者に打つため高い安全性が求められ、種類によっては生ものであり製造が難しく、開発・製造するのは簡単ではない。ただ、中国企業がワクチンを開発・供給できれば、自国のためだけでなく、公衆衛生上、感染症が大きな課題であるアジアやアフリカなどで存在感を増すことにもつながるという、中国政府の戦略もあるのだろう。

 2013年10月には、中国China National Biotec Group傘下の中国Chengdu Institute of Biological Products社が開発・製造した日本脳炎ワクチンが、世界保健機関(WHO)の事前認定基準に準拠していると認められた。同基準は、WHOが途上国などへ医薬品を供給するに当たって、医薬品の品質、安全性、有効性などを事前に確認するためのもの。中国製のワクチンが、WHOの認定を受けるのは初めてのことだった。

 最近では、アフリカで問題になっていたエボラ出血熱に対して、欧米企業に並んで、ベンチャー企業の中国CanSino Biologics社が独自技術を活用したワクチン(開発番号:Ad5-EBOV)を開発し、中国政府から緊急時と国家備蓄向けの承認を獲得。同ワクチンは国連の下、アフリカに派遣された中国の平和維持軍や中国の医療専門家などに投与されている他、アフリカでの臨床試験が計画されていた。

 今回、COVID-19に対しては、世界で100品目超のワクチンの開発が進められている。その中で、米国のベンチャー企業である米Moderna社、英Oxford大学と英AstraZeneca社と並び、先頭を走っているのがCanSino Biologics社だ。同社は、エボラ出血熱に対するワクチンと同じ基盤技術を活用。抗原となるウイルスの蛋白質(具体的にはスパイク蛋白質)の遺伝子を、風邪の原因の1つであり、ヒトに害の無いアデノウイルスベクター5型という運び屋に搭載し、体内でウイルス蛋白質を作らせるワクチン(開発番号:Ad5-nCoV)を開発した。

 同ワクチンに関しては、「もともとアデノウイルスベクター5型に免疫のあるヒトには効きにくいのでは」といった懸念が挙がっているものの、CanSino Biologics社は着々と開発を進めている。同社は既に、少数の被験者を対象に安全性を確認する第1相臨床試験を終え、500例を対象に最適な投与量を決める第2相臨床試験を進めているところだ。さらに今後カナダで、同ワクチンの臨床試験や製造を行うことも計画されている。

 ワクチンが実用化されるまでには、第2相臨床試験を経て投与量を決定し、さらに、COVID-19が流行している地域で、大規模な被験者を対象に第3相臨床試験を実施して、安全性、有効性が確認されることが必要となる。いずれにせよ、現状で、中国のベンチャー企業がCOVID-19のワクチン開発の先頭集団にいることは間違いない。

 もっとも、COVID-19に対しては相当数のワクチンが開発されていることから、複数のワクチンが実用化される可能性が高く、「ワクチンの製造能力や特徴に応じて、高齢者向け、小児向けなど、使い分けが進むのではないか」と業界関係者は見ている。そのため、CanSino Biologics社のワクチンも、(仮に臨床試験がうまくいったとして)製造能力がどの程度あるか、副反応など安全性がどの程度か、どの国で承認を得られるかなどによって、世界で使い分けられるワクチンの1つになるだろうと考えられる。

FBIが専門機関と中国を名指しして異例の警告

 中国がCOVID-19のワクチン開発で存在感を増していることについて、いら立っているのが米国だ。2020年秋に大統領選を控えるTrump大統領が、対中強硬姿勢を先鋭化させている影響もあるにせよ、米国政府が以前にも増して、中国の動きに神経をとがらせていることは間違いない。

 米連邦捜査局(FBI)と米国土安全保障省傘下のサイバーセキュリティーの専門機関(Cybersecurity and Infrastructure Security Agency:CISA)は、2020年5月13日、COVID-19の研究を手掛ける米国の大学・研究機関や企業に対して共同で警告を発出した。

FBIとCISAが公表した警告文(出所:FBI)

 警告では、中国を名指しした上で、「中国政府とつながりのあるハッカーが、米国の研究機関からCOVID-19のワクチン、治療薬、検査に関するデータを不正に取得しようとしているケースが、複数回確認されている」と指摘。疑わしい活動があれば、積極的に報告するように呼び掛けた。米国は以前から、中国によるサイバースパイ活動を批判してきたが、FBIとCISAが共同で警告を出すのは異例のことだという。なお中国政府は、今回の警告について「米国による中傷だ」として、反論している。

 もっとも、バイオ・医学分野での米中対立は、最近始まった話ではない。米国では、数年前から、公的資金で実施されたバイオ・医学分野の研究成果が、中国に不当に利用されているのではないかという懸念が強まっていた。

 それを印象付けたのは、2018年夏、著名な研究者でもある米国立衛生研究所(NIH)のFrancis Collins所長が、全米の大学や研究機関へ送付した1枚の書簡だ。NIHは、米保健福祉省(HHS)傘下で様々な医学研究を手掛ける研究所の集合体であるとともに、年間300億ドル(約3兆2000億円)以上という莫大な研究費を、バイオ・医学分野の研究者に配分している政府機関である。米国でバイオ・医学分野の主要な研究を手掛けるアカデミアの研究者で、NIHからの研究費を得ていない者はほとんどいない。

  Collins所長は公表したその書簡の中で、「残念ながら、米国のバイオ・医学分野の研究の清廉性を脅かす存在がある」と明らかにしたのだ。

 清廉性を脅かす存在が誰なのか、書簡では具体的な国名などには言及しなかったが、「NIHが支援した研究に基づく知的財産を、一部の研究者が他国政府など外部組織へ盗用している」とか、「NIHが支援した研究者が、他国政府など外部組織から相当な研究費を得ているにもかかわらず、情報を開示していない」とかいった違反行為の具体例を挙げ、他国政府が関与している可能性を示唆。違反行為を減らすため、NIHとして、政府機関や研究コミュニティーと協力して取り組みを進める方針を示した。

米国で相次ぐ中国関係の研究者の追放や逮捕

 さらに2019年春、NIHは、米国の大学や研究機関に対し、他国政府など外部組織とのつながりを開示していない研究者について、情報提供するよう要請したとされる。これまでの事態の推移を見ると、研究の清廉性を脅かす存在として、NIHの念頭にあったのは、やはり中国ということになるだろう。2019年春以降、米国では、「中国と関わりがあるにもかかわらず、その事実を開示していなかった」などとして、バイオ・医学分野の研究者が何人も、大学から解雇されたり追放されたりしている。

 2019年4月、テキサス州にある世界有数のがん研究機関、米MD Anderson Cancer Centerが、疫学や分子生物学の研究を手掛ける3人の研究者を追放した。3人はいずれも中国系で、中には教授も含まれていた。また、2019年5月には、ジョージア州にある米Emory Universityで、神経科学の研究を手掛けていた、教授を含む2人の中国系米国人の研究者夫妻が突然解雇された。研究室はその日のうちに閉鎖され、研究室のウェブサイトにもつながらなくなった。

 2020年1月には、米Harvard大学のCharles Lieber教授が逮捕された。逮捕の理由は、Lieber教授が、中国政府が進める千人計画(海外高層次人才引進計画/Thousand Talents Program)に協力し、年間15万ドルに加えて毎月5万ドルという、莫大な報酬を受け、中国の大学でも研究室を主宰する予定だったにもかかわらず、NIHと米国防総省(DoD)に対し、虚偽の説明をしていたため。Lieber教授は、これまで数々の受賞歴を持つ、ナノ化学の世界的な研究者であり、ノーベル賞の受賞者候補の1人でもあったことから、全米で大きく報道された。

 バイオ・医学分野ではこれまで、直接的なスパイ活動をしたというよりも、「中国との関係を開示していなかった」ことを理由に、研究者が追放・解雇されたり、逮捕されたりするケースが相次いでいるのが実態だ。しかし今回、FBIとCISAが警告を出したことで、今後、中国絡みのバイオ・医学分野のサイバースパイ活動に関しても、具体的なケースが出てくる可能性がありそう。COVID-19のワクチン開発競争が決着しても、バイオ・医学分野での米中対立は続くことになりそうだ。

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