酸素添加酵素(オキシゲナーゼ)の発見などで知られ、生化学分野で数多くの業績を挙げた京都大学名誉教授の早石修(はやいし・おさむ)氏が2015年12月17日に死去した。95歳。早石氏は1920年に米カリフォルニア州で生まれ、42年に大阪帝国大学医学部を卒業。米国立衛生研究所(NIH)の毒物学部長を務めた後、58年に京都大医学部教授に就任し、数多くの研究者を育てた。教え子の一人である京都大名誉教授の福島雅典氏に、追悼文を寄稿いただいた。

恩師 早石修先生を偲ぶ

 「君たちは柿の種をとるか、おむすびをとるか?」

 ストーブに手をかざして、なかなかうまくいかない実験に、院生仲間と「こんなことなら臨床で患者を診ていた方が世の為、人の為かもね」などとこぼしていると、音もなくスーっと部屋に入って来られた早石先生は、私の肩に手を掛けそう問われたのだった。

 思えば、早石先生の門をたたいたのは医学部6年生の時。

 「君ね、戦地から復員して大学に戻っていざ実験を始めようとしたが何もない。焼土の中、どのような研究ができるか?」。早石先生はそう語り始め、「一粒の麦死なずば……」とつぶやかれた。

 軍医として多くの兵士の死を看取ったであろう先生は生還し、祖国の科学・医学の再興を誓われていたのだ。そして、焼土の中から取り出した緑膿菌のトリプトファン代謝の研究からついに酸素添加酵素を発見し、WielandとWarburg以来の、呼吸の本質論争に終止符を打ち、生命現象におけるO2の役割を解き明かす扉を開いたのだった。

 早石学校には全国から秀才が集まり門下生からは百五十名を超える教授が輩出。世界に冠たる医化学の伝統を我が国に築き上げ、満天の星の如く無数の実を結んだ。中でも、後継者の本庶佑先生は、膨大な分子免疫学の研究成果をチェックポイント阻害薬に結実し、ついに癌の研究・治療を一変させる科学革命を起こされたのである。

 早石学校における毎日の日課であるランチセミナーを、師は道場と呼んで、プレゼンテーションとディスカッションを私たち院生にとことん叩き込んだのだった。

 「君、真剣勝負だよ」

 こうして私たちは科学する心、自然を観る眼、そしてものごとを説明するスキルを切磋琢磨していったのだった。実験に焦ると常に、「君、運・鈍・根だよ」と諭された。

 折に触れ、語られた師の言葉は今も脳裏によみがえる。師弟不二、私たちは常に師と共に科学の使徒として天命に生きるのである。

 比類なき科学者、そして卓越たる教育者、巨星早石修先生を偲びつつ。