【日経バイオテクONLINE Vol.3107】

田中耕一氏の「Nスペ」を見て感じた違和感と感動

(2019.02.22 08:00)
坂田亮太郎

 読者の皆さま、こんにちは!日経バイオテクの坂田亮太郎です。先週の日曜日(2019年2月17日)に放送されたNHKスペシャル「平成史スクープドキュメント 第5回 “ノーベル賞会社員” ~科学技術立国の苦闘~」をご覧になった方も多いと思います。

 日曜の夜9時という時間帯ですから、私はいつものようにアルコールが相当入った状態でした。寝ぼけ眼でテレビを付けたら島津製作所の田中耕一氏が出ていたので、慌てて見始めました。時間をかけて丁寧に取材された内容に「さすがNHK!」と膝を打つ場面が多かった一方、「んん?」と首をかしげざるを得ない“演出”も散見されました。

 一連のNスペは「この30年に起きた“事件”“出来事”を新証言や新資料で掘り下げることで、一つの時代を見つめていく大型シリーズ」で、「平成史スクープドキュメント」と銘打たれています。NHKとしても、いつも以上に気合いが入った内容なのでしょう。全6回のうち、元プロ野球選手の野茂英雄氏や昨年引退した安室奈美恵さんなど、日本の社会に多大な影響を与えた人や出来事が題材になっています。その中で、バイオ業界(というか科学技術全般)を代表して、田中氏が取り上げられていたのは、素直に喜ばしいことだと感じました(ちなみに番組後半で昨年ノーベル賞を受賞した本庶佑氏も登場しています)。

 ただ、スクープ観を出すために“盛った”印象も目に付きました。番組内では「ノーベル賞につながった発見は『単なる偶然なのではないか』という周囲の声に葛藤を続けてきた田中氏は、受賞以降、メディアの取材を遠ざけてきた」と紹介されていました。日経テレコンで検索すると田中氏のインタビュー記事は多数ヒットしますし、日経BP社だけでも少なくとも過去に10回以上、取材を受けていただいています(関連記事:https://bio.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/082400017/110100042/)。

 また、ノーベル賞を受賞してからも一技術者として質量分析計(MS)の開発に取り組んできた田中氏を、「ノーベル賞会社員」と連呼していたのも違和感を抱きました。読者の皆さまならご存じの通りですが、田中氏はシニアフェローという肩書きで役員待遇です。番組放送後、島津製作所には「日本の宝をいつまで平社員あつかいしているんだ!」とお叱りの電話もあったとか。クレームの電話を入れるとしても、くれぐれも事前に調べてからにしたいものです。

 それでも番組のテーマであった田中氏の「葛藤」は丁寧に描かれていたと思います。我々一般人には想像するしかありませんが、40歳代の前半で科学者としては世界最高の栄誉を手にしたプレッシャーはいかばかりか。世間の好奇な目と周囲の高まる期待。自分自身も「もうひと花咲かせたい」と思うのが自然でしょう。2018年にNature誌に掲載された論文(血中のアミロイドβ関連ペプチドをバイオマーカーとすることでアルツハイマー病の早期発見につながるという研究成果、国立長寿医療研究センターなどとの共同研究)は、15年以上かけて地道に基礎研究に取り組んできた田中氏らのチームの勝利です。

 ここで「田中氏らのチーム」と書いたのにはワケがあります。NHKの番組を見て私が一番注目したのは、「田中氏が学会などで研究者に積極的に声をかけて、ポスドクなどポジションのない若手研究者を40人近く島津に招き入れている」というくだりでした。いくら役員待遇の田中氏をもってしてもそんなことが可能なのか、と驚いて島津の広報担当者に問い合わせたのです。企業関係者なら容易にご理解いただけると思いますが、人を雇うには、気が遠くなるような手間(社内調整)とお金がかかります。

 広報担当者からの回答は「FIRST(内閣府の最先端研究開発支援プログラム)も含めて、40歳未満の研究者を様々な雇用形態で40人前後採用してきました。若い時にチャレンジさせてもらったので当たり前のこと」と田中が申しています、とのことでした。そして、田中氏ご本人から理由を伺えるとのことで、急遽電話取材が実現しました。私は02年のノーベル賞受賞直後にも田中氏にインタビューしているので、直接お話するのは16年ぶりでしょうか。今日も作業服を着ているという田中氏に、1時間近く、若手の雇用について熱く語っていただきました。

 田中氏は、「最終的に成功した人はたくさん失敗してきた。だからこそ若手にチャンスを与えるのは当たり前のこと」と繰り返し仰っていました。田中氏のノーベル賞受賞は、試薬の配合量を間違えるという偶然の産物がきっかけとなったのは有名な話です。その経験があるからこそ、若手研究者には「失敗してもいいから何度でもトライしよう」と語りかけているのだそうです。

 実際、田中氏は今も時間が許す限り学会に顔を出し、ポスター発表なども丹念に回る。面白そうなアイディアを持つ研究者を見つけたら「ウチと共同研究しませんか」と声をかけるそうです。2010年から3年間、FIRSTのプログラムに採択されたので、国の予算が付いたという追い風も受けましたが、元々は外部にいた研究者を40人近く雇ってきました(1年以上の在籍者の累積)。その中には能力が認められて島津の正社員になった人もいれば、大学に戻った人もいる。田中氏が所長を務める田中耕一記念質量分析研究所が投稿した論文数は100報を優に超えています(https://www.shimadzu.co.jp/aboutus/ms_r/doc.html)。

 田中氏の話で印象的だったのは「自分も1人では何もできない」という言葉です。今や最先端の科学技術研究は、ノーベル賞級の「天才」をもってしても1人では成し遂げられないという現実があります。田中氏らが取り組む質量分析もそうです。その作業工程は、サンプルの前処理、イオン化、イオン分離、イオン検出、測定、解析(ソフト)などに分かれます。30年以上MSの研究開発に取り組んできた田中氏は、当然のことながらすべてのプロセスに精通されていますが、「世界初」「世界最高」の性能を出すためには「各プロセスで若くて柔らかいアイディアを多く取り入れる必要があった」と言います。

 だからなのでしょう。田中氏は自分の部下に対するリスペクトが半端ないのです。部下の研究成果になると話が止まりません。「○○さんの論文は…」と部下を「さん」づけして、論文の内容や研究全体の中でいかに貢献したのかを1人ずつ丁寧にご説明いただきました。本稿ではお名前だけ紹介しますが、福山裕子さん、金城(中川)薫さん、金子直樹さん、西風隆司さん、高橋秀典さんらの多大な貢献があったそうです。

 それだけではありません。田中氏は派遣会社から来る、いわゆるテクニシャン(技術補佐員)の貢献も高く評価し、論文のco-autherに名を連ねている人が何人もいるのだそうです。話を聞いていて「田中さんって、いいボスだなぁ」と感動しました。

 電話の中で田中氏はNHKの番組に対して一言も不満は漏らしませんでしたが、自分だけがクローズアップされた番組構成について「研究の成果は1人では成し遂げられなかった」ことを伝えたかったのではないか、と電話を切ってから感じました。NHKの番組は近いうちに再放送されるでしょうし、NHKオンデマンドなら216円(税込み)で視聴できます。見逃した方はご覧になってはいかがでしょうか。

 バイオ研究者やバイオ産業に携わる方、約5万人に向けて月曜から金曜まで週5回配信している日経バイオテクONLINEメールに、水曜日と金曜日に掲載している記者によるコラムを掲載します。

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