皆さん、こんにちは!日経バイオテクの坂田亮太郎です。お盆を過ぎても暑さが続いておりますが、暦の上では明日から9月。今年も残すところあと4カ月です。1カ月もすれば、記録的に暑かったこの夏を懐かしく思い出すのでしょうか。

 先日、東京医科歯科大学特任教授で東北メディカル・メガバンク機構の機構長特別補佐を務める田中博氏に取材する機会がありました。同機構は15万人の参加を目標とした長期健康調査を実施。地域住民コホート調査に8万4073人、三世代コホート調査には7万3032人、計15万7105人が参加しました。

 これだけの人数を集めるのにどれだけの苦労があったのでしょうか。田中氏は「とにかく地道に協力を求めるしかないなかった」と振り返ります。宮城県や岩手県の健診現場に職員を派遣して、1人ずつ協力者を募っていったそうです。その結果が15万人超という規模に結びつきました。既に様々な研究成果が出ており、今後も継続的に調査を続けていくことで、このコホート研究の価値がどんどんと高まっていくでしょう。暑い日も、寒い日もひたすら協力者を求め続けてきた関係者の努力に頭が下がるばかりです。

 中でも注目は3554人分の全ゲノム塩基配列を解析し、日本人の全ゲノムリファレンスパネルを作成できたことです。約3710万個の一塩基変異(SNVs)を収載しており、そのうち72%以上に当たる約2690万個が国際データベースには存在しません。つまり日本人固有のSNVsが約2690万個も分かったということであり、今後このデータが日本人を対象とするゲノム医療に大きく貢献するのは間違いありません。まさに、国家が国民のDNAを集める価値があるというものです。

 DNAを収集するには提供者の同意が欠かせませんが、お隣の中国では随分と事情が異なるようです。米国の人権NGOであるHuman Rights Watchが2017年12月に公表したリポート「China: Minority Region Collects DNA from Millions」によると、新疆ウイグル自治区では12歳から65歳の全地域住民のDNAサンプル、指紋、虹彩、血液型を採取しているというのです。

 中国では従来、パスポートを申請した場合にこのような生体情報の提出が義務付けられていました。新疆ウイグル自治区では、全住民を対象に毎年実施されている健康診断の際にDNAサンプルなどが収集されているというのですから、驚きを通り越して背筋が冷たくなります。

 中国国営の新華社通信によると、新疆の総人口の9割に相当する1900万人あまりがこの健診を受けたとのこと。中国メディアは「受診は本人の意思が尊重された」と伝えていますが、英大手新聞「The Guardian」は、地元の共産党幹部が住民全員に受診を要求したと報じています。中でも当局が体制の安定を脅かすと考えている「要注意人物」とその家族は、年齢に関係なく半ば強制的に、生体認証データが採取されているというのです。

 Human Rights WatchはDNAデータの採取・保管が本人の同意の上で行われているかどうかは不明としつつも、「DNAを含む全住民の生体認証データの強制的な蓄積は、国際人権規範の甚だしい違反行為であり、無償の医療プログラムに見せかけて秘密裏に行われているとすれば、なおさら問題だ」と警告を発しています。

 この問題を教えてくれたのは、人工知能(AI)の医療利活用について世界各国の状況を調査している東京大学医科学研究所の湯地晃一郎氏(国際先端医療社会連携研究部門特任准教授、医学博士)です。
 
 湯地氏は「国家が国民の遺伝情報を強制的に収集することは許されない、というのが世界の潮流です。クウェートやポルトガルで一時、国民遺伝情報の収集が目指されながらも撤回されたのは、国民や法律家の反対があったから」と語ります。

 非常に好意的に捉えれば、中国政府はウイグル族だけが罹患しやすい遺伝性疾患の調査・研究のためにDNAを採取しているのかもしれません。ただ、少数民族を弾圧してきたこれまでの歴史を鑑みれば、そんな暢気なことも言っていられません。Human Rights Watchがこの問題を指摘してから、新疆ウイグル自治区の地方政府の当該ページが削除されました。外国から何か問題を指摘されると慌てて隠すという、いつもの光景を見るにつけ、絶望的な気持ちになります。

 米大手新聞「Wall Street Journal」は、中国では2017年までに5400万人の遺伝情報を収集済みで、2020年には1億人を突破すると2017年末に報じています。世界最大の人口を抱えている中国とはいえ、それだけ速いペースで一人ひとりの同意を取り付けているのか、と疑問を禁じ得ません。

 ただ、コホート研究に携わったことがある人なら別の感慨も抱くかもしれません。国家が強制的にDNAやデータを集めることができたら、どんなに素晴らしいことかと。悪魔の誘惑ではありませんが、そのような妄想が頭によぎらない人も少なくないのではないでしょうか。

 今後、コホート研究を推進していく上でも、考えさせられるテーマです。