【日経バイオテクONLINE Vol.2984】

あなたは客(患者)を減らすためにガチになれるか

(2018.08.10 08:00)
坂田亮太郎

 こんにちは!「日経バイオテク」副編集長の坂田亮太郎です。薬価引き下げなど経営環境が悪化する中、製薬産業の中で医薬品以外にも事業領域を広げていこうという機運が高まっています。デジタル機器などを活用して疾患の予防などにも積極的に関わるという野心的な取り組みであり、各社ともトップダウンで進めようと躍起になっています。ただ、現場の社員に話を聞くと、まだまだ手探り状態であるのが実態のようです。IT企業なども虎視眈々と狙っているデジタルヘルスの新市場で、製薬産業が培ってきた強みはどこまで生かせるのだろうかと心配にもなります。

 アステラス製薬が7月31日に共催したイベントで、同社の安川健司社長は「既存の製薬の枠にとどまらない」と宣言しました(関連記事)。具体的にどのような事業に落とし込んでいくのかという説明では、「Patient Journey」という考えが示されました。病気が発症してから治癒するまでの一連の行動を1本の道のりと捉えれば、予防>自覚症状>来院>検査>結果判断>治療>経過観察という段階に分けられます。これまでの製薬企業は主に「治療」には貢献してきたので、今後は全ての段階にコミットして収益を上げていこうと模索しています。

 誰でも思い付くのが、健康診断のデータなどを活用したより積極的な健康指導サービスでしょう。健診の検査項目は、実に多岐に渡ります。身長や体重はもちろんのこと、視力・聴力・血圧・心電図・X線に加え、尿と便の検査も加わります。採取した血液からは脂質(総コレステロール・HDLコレステロール・LDLコレステロール・中性脂肪)、肝機能(AST・ALT・γ-GTP)、代謝系(空腹時血糖・HbA1c・尿酸)、一般(Ht・Hb・赤血球数・白血球数・血小板数)の各数値が分かります。ためしに直近の自分の健診表を引っ張り出してみると、私が所属する日本経済新聞社健康保険組合では、およそ50の評価項目がありました。

 これだけ多くのPHR(Personal Health Record)が示されているのに、私の場合は健診の結果が返ってきても判定をチラッと見てすぐにしまってしまいます。多くの方も同じようなものだと思いますが、各検査項目の変化を毎年きちんと精査していけば、かなり本格的な健康指導ができるはずです。2008年から保険者(健保組合)に義務付けられた特定健診の狙いも同じで、40歳から74歳のすべての被保険者と被扶養者を対象にメタボリックシンドローム判定を実施して、必要がある人(メタボな人)には保健指導が行われています。

 デジタル機器を使えば、日々の健康状態をより深く知ることができます。常に誰もが携帯しているスマートフォンの中には、GPSに基づく位置情報が記録されています。アプリを使って毎日の食事内容を記録している人もいれば、運動アプリを常用している人もいるでしょう。私はApple Watchも使っているので歩数や心拍数なども詳細に記録されています。ちなみに8月7日火曜日は歩数が10433歩、ウォーキング距離が8.0km、スタンド時間が14時間、そして上った階数が22階でした。

 こうした健診履歴とスマホのデータがあれば、少なくとも生活習慣病を早期に発見したり、疾病状態に陥るのを未然に防いだりすることはできるはずです。あと必要なのは、(1)必要なデータを集めて、(2)専門的な見地から分析して、(3)適切なアドバイスをする仕組みを作り上げることです。この中で(2)は製薬企業が得意とするところであり、(3)についても医療機関との連携が欠かせませんから製薬企業が地の利を生かせる領域です。

 残った(1)はどうでしょうか。健康に関わる個人情報が流出してしまうと、取り返しのつかない被害を及ぼす恐れがあります。その怖さが身に染みている製薬産業では、個人情報を集めることに極端に消極的です。ただ、製薬業界が予防ビジネスにガチ(本気)になれない要因は他にもあると感じています。あまりにも効果的に疾病予防ができてしまうと、本来の顧客である「患者様」が減ってしまうと本能的に感じとっているからではないでしょうか。マスクを売る事業者が毎年春になると、心の中で「スギ花粉の大量飛散」を祈願しているのと同じ構図と言ったらお叱りを受けるかもしれません。

 ただ、躊躇していても、将来の飯の種が他社に奪われるだけです。IT業界を席巻するGAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)は既にライフサイエンス分野に雪崩を打って進出してきており、とりわけスマホのOS(基本ソフト)を握る米Google社と米Apple社は、個人の健康データを集めるという点で非常に有利な立場にいます。日本で対抗できるのはソフトバンクグループぐらいかもしれません。

 悲観していても何も始まらないので、まずは動き出すしかないと思います。現在の薬価制度では「予防」に価値が認められていないので、まずはそこを解消するように政府に働きかけていく必要もあります。病気になるより、健康でいられる期間を延ばす方が国民経済にとってプラスであることは間違いありません。10年後に、「昔は医薬品を売っていた」と懐かしむ元製薬企業が出現することを祈っています。

 バイオ研究者やバイオ産業に携わる方、約5万人に向けて月曜から金曜まで週5回配信している日経バイオテクONLINEメールに、水曜日と金曜日に掲載している記者によるコラムを掲載します。

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