【日経バイオテクONLINE Vol.2795】

アルツハイマー病のアミロイドβ仮説は死んだのか?

(2017.11.01 08:00)
小崎丈太郎

 アルツハイマー病をめぐる最もホットな話題は、アルツハイマー病の治療薬開発の理論的な支柱であったアミロイドβ仮説が本当に正しいのかどうかというものです。
 2002年に提唱されたこの仮説では、アルツハイマー病の病理は次のように説明されています。まずアミロイドβ(Aβ)が脳の神経細胞外に蓄積し、老人斑を形成すると、タウ蛋白質のリン酸化が起こり、凝集し、神経原線維変化を起こします。次にAβの蓄積の過程で生じるオリゴマーや神経原線維変化が神経細胞の機能障害を誘発し、細胞死に至らしめるという考えです(オリゴマーの毒性の有無やタウの凝集にリン酸化が必要かどうかはまだ議論があります)。
 ところがこの仮説に基づいた治療戦略は連敗続きでした。

 そのために、「そもそもAβ仮説が誤りだったのではないか?」。こんな疑念が生まれてきました。国内の研究者の中にも、「アルツハイマー病の真の原因はタウであり、Aβを標的とする戦略は誤り」と明言される方がいるくらいです。Aβを標的とした最新の“失敗例”に、米Eli Lilly社の抗Aβ抗体のsolanezumabがあります。

 2016年11月23日付けの同社の発表では、軽度のアルツハイマー病2100人の患者を対象としたフェーズIII試験であるEXPEDITION3試験において、プラセボ患者群と比較した認知機能(ADAS-Cog14で評価)の低下において、統計学的に有意な進行抑制が認められなかったということでした(p=0.095)。この結果を受けたEli Lilly社は、solanezumabの「アルツハイマー病の治療を目的とした承認申請は行わない」と発表しました。

 しかし、この試験には重要な意味がありました。脳の画像研究やバイオマーカーの研究により、病態の進行や治療効果の判定を客観的にできるようになったタイミングで始まった大規模臨床試験だったからです。「Aβを減らすことができるかどうかが判定できるようになり、これが治療薬の客観的な評価に用いられるようになったのはsolanezumabのこの試験あたりから」とアルツハイマー病研究の第一人者である弘前大学医学部神経内科の東海林幹夫教授は指摘しています。東海林教授は台頭する「タウ主犯説」についても「昔からそういうことをいう人はいた。Aβに関わる研究の蓄積は多く、Aβ標的戦略の正しさは疑いようがない」と全く動じていないようでした。

 2017年10月23日の夜、ドネペジルを世に出してアルツハイマー病治療薬の扉を開いたエーザイから記者会見開催の知らせが届きました。指定された日時は翌朝の9時。慌ただしい印象を受けましたが出かけてみると、内容は「米Biogen社が開発中の抗Aβ抗体薬aducanumabの共同開発・共同販促のオプション権を行使するよう提携契約を拡大した」というものでした。つまり同社は抗Aβ抗体が治療薬として「ものになる」と結論したということです。
 会見では「Aβ仮説の正当性に疑問が出ているようだが」という質問が出ました。これに対してエーザイの内藤晴夫CEOの回答は、「タウの登場などアルツハイマー病自体の病理が複雑化してそのような疑念が出ているが、Aβの蓄積量は薬効(臨床評価)の重要なマーカーであることが確認されており、Aβ仮説自体は依然として主要な病因である。Aβ蓄積の減少はアルツハイマー病の重要な治療目標であり、今回の権利行使の背景にはAβ仮説への信頼性の高まりがある」という明快なものでした。

 過去に抗Aβ療法の臨床開発が連戦連敗となった背景には、Aβの評価系の未熟、病気が進行して神経の脱落が起こってからの投薬だったこと、抗体が認識するAβの分子種の違いなどが可能性として挙げられています。一方、米国で05年に始まった大規模観察研究であるADNI(Alzheimer's Disease Neuroimaging Initiative)研究によって、アルツハイマー病の経過が解明されました。この結果、PET検査や髄液中のAβを測定するなどのバイオマーカー検査が明確になったことで、治療効果を客観的に解析することが可能になりました。 
 Solanezumabも発症後の治療用途の開発は打ち切られましたが、症状が出る前のアルツハイマー病を対象にしたA4試験、発症前の優性遺伝性アルツハイマー病を対象にしたDIAN試験などでその予防薬としての可能性が検討されています。これも効果の有無を画像やバイオマーカーで客観的に評価できるようになった故の開発プログラムといえるでしょう。

 Aβの増加を抑える薬剤には、抗体だけではなく経口のBASE阻害薬というタイプの薬剤もあります。アミロイド前駆体蛋白質(APP)からAβが生成するプロセスを抑える薬です。客観的な評価系が明らかになったことで、こうした候補化合物を持っているもののこれまで臨床試験に二の足を踏んでいた製薬会社も活気づいているようです。長年にわたりAβの研究を続けてきた昭和大学医学部神経内科学の小野賢二郎教授のもとには、抗体やBASE阻害薬候補化合物の治験の相談にやってくる製薬会社の担当者が、急増しているそうです。「その数は過去に例をみなかったほど」だそうです。東海林教授は「まず評価系が確立したAβを標的に治療薬の開発が進む。タウを標的とする薬剤はその後になるのではないか」と展望しています。
 Aβ仮説が死んだのかどうか? 判断はこれら治験の結果を見てから下しても遅くはないのかもしれません。

 バイオ研究者やバイオ産業に携わる方、約5万人に向けて月曜から金曜まで週5回配信している日経バイオテクONLINEメールに、水曜日と金曜日に掲載している記者によるコラムを掲載します。

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