神奈川県の横須賀に漢方薬製剤の製造販売を手掛ける大草薬品という製薬会社があります。1931年創業の老舗ですが、扱う商品は胃腸薬や生理不順、風邪薬などの市販薬が中心です。グローバル展開に縁がないように見える製薬会社ですが、現在長崎大学熱帯病研究所と共同でアフリカや南米で治験を進めているというので、お伺いしました。

 治験の対象となっている薬剤は同社が永年製造してきた紫雲膏(しうんこう)という塗薬です。漢方の軟膏でひび、あかぎれ、痔核による痛みを緩和する効能があります。火傷や皮膚の常備薬としてしても重宝されているとのことです。炎症を鎮めムラサキという植物が産生する紫根を主成分とする薬剤です。ちなみに有効成分にシコニンがあります。あのバイオ口紅に使われた成分です。紫雲膏自体は日本の外科医の始祖、華岡青洲先生も使ったという由緒ある薬です。とはいえ、くどいようですが、その製造元の大草薬品はグルーバル展開とは無縁に見える製薬会社です。

 その大草薬品が現在、長崎大学熱帯医学研究所の平山謙二教授やタイのタマサート大学と共同でエチオピアや南米のコロンビアで紫雲膏の治験を進めているのです。疾患の名前はリーシュマニア症。サシバエが媒介する原虫の感染症で皮膚が冒され、重症化すると鼻が欠損する例もあります。日本では無名な病気ですが世界に1200万人もの患者がいるという病気です。鼻が欠損するとは、患者の社会性を損なう重大な脅威です。

 紫雲膏にはこうした皮膚障害の進展を減速させる効果が期待されています。

 実は紫雲膏自体は大手の製薬会社などでも販売されています。ではなぜ、大草薬品の紫雲膏なのでしょう。同社に白羽の矢を立てた平山教授に話をうかがうと「大草薬品にはGMP基準の製造工場を持っていたこと、そして同社の紫雲膏だけが豚脂を使っていなかったこと」という答が返ってきました。

 紫雲膏は固く、軟膏として使うにはそこが弱点でした。そこで粘度を上げて使いやすくするために華岡青洲先生が始めたのが豚脂を混ぜ込むということです。紫雲膏メーカーのほとんどがその製法を採用しています。唯一、豚脂を使っていないのが大草薬品の紫雲膏だというのです。豚脂レス紫雲膏の製造販売に踏み切った経緯を大草貴之社長は次のように説明します。「豚脂は酸化し、製品の品質を落とす原因になる。そこで、軟膏を粉砕する機器に設備投資し、豚脂を使わない紫雲膏の開発に成功しました」

 なぜ豚脂が問題なのか? その答えがハラールです。イスラム法のもとでは豚肉を食べることが禁止されています。医薬品として使用する場合も同様です。リーシュマニア症が猛威を振るう国々には国民の多くがイスラム教徒という国が少なくありません。平山教授はそこを留意して豚脂を使用していない紫雲膏を探していたのです。いわば偶然の出会いです。

 創業社長から三代目の若き大草社長によると、紫雲膏自体はビジネスとして大した売りあげではなく、半ば意地で製造販売を続けてきたのだとか。「でも、我々の製品が海外で治験されているというと社員の士気が上がります。長崎大学と共同研究ができるなんて夢のようです」と大草社長は語ります。

 というわけで、顧みられない熱帯病の治療薬の開発を続ける製薬会社、大学の研究者の皆さん。がんばってください。