ドラッグリポジショニングとセレンディピティ【日経バイオテクONLINE Vol.2380】

(2016.01.20 18:00)
小崎丈太郎

 ドラッグリポジショニングの効用としては、前臨床試験に投入する人的、金銭的、時間的な資源を大幅に節約できることがうたわれることが多いようです。薬剤になり得る化合物資源も有限であるといわれている以上、別の効果効能の獲得は、製薬会社にとっては大きな魅力です。

 同時に、ドラッグリポジショニングの源流には「セレンディピティ」のドラマがあることも見逃せません。ニューヨーク州立大学名誉教授のモートン・マイヤーズは著書『セレンディピティ』(中央公論新社)の中で、様々な画期的な新薬が偶然の発見によって生まれた事例を紹介した後で、「結論」の章で次のように述べています。

 「これまで見てきたように、医学の歴史で重要な発見の多くは、誰かが仮説を立て、それを実験して、やはり正しかった、という流れで生まれたのではない。むしろ、誰かが偶然答えにぶつかって、そのあと創造的な思考を経て、どんな問題が意図せずして解決されたのかを明らかにしていったものだ」

 マイヤーズは、その過程ではしばしば従来の学説も無視されたとも指摘しています。しかし、それが単なる思い付きの連続で進められるわけではなく、そこに付随する「創造的な思考」の重要性をも指摘しています。個人的な閃きの域を出ない発見を、多くの専門家の同意を得て医学的なコンセンサスの水準にまで押し上げるためのプロセス、すなわち創造的な思考がセレンディピティの中では最も重要なプロセスの1つと見ることができます。

 そして日本国内でも現在進行形で展開しているセレンディピティを目にすることができます。

肺がん転移を抑えるhANPの働き

 現在、国立循環器病センターが主導して肺癌手術を受けた直後の患者に心臓ホルモンであるヒトナトリウム利尿ペプチド(hANP)を投与した多施設共同無作為化比較試験(JANP Study)が全国10カ所の施設が参加して行われています。もともとの発端は心臓外科医であった同センターの野尻崇医師(生化学部ペプチド創薬研究室長)が心臓手術の後に心不全の予防を目的に実施していたhANPの投与を肺癌の手術直後(3日間)に行ったことにありました。肺癌の治療ではhANPを使うことはなく、その名前も聞いたことがないという医師が少なくありません。野尻医師が肺癌手術を手掛けたのも、出向した医療機関の都合という偶然の産物でした。とまれ、hANPの投与を受けた患者さんでは2年後の転移再発が有意に少ないことが分かり、これがドラッグリポジショニングの契機となりました。

 すぐに臨床試験が組まれたわけではなく、ここからが本当のドラマです。野尻氏はマウスや培養細胞を用いた研究を繰り返し、手術の直後に血管内皮に出現する接着分子が血管中に散った肺癌細胞の定着を促進し、最終的な癌の転移再発の土台になっていることを発見しました。手術直後の3日、この接着分子の発現を抑えることができれば転移再発リスクを下げることが可能です。それを心不全予防のために、癌手術の常識を無視した心臓外科医がhANPを投与して、偶然行っていたのです。その仕組みを明らかにするための野尻氏の研究は、マイヤーズが言う「創造的な思考」に該当するのでしょう。

特許切れを超えて

 課題はまだありました。使い慣れた医薬品というのは往々にして残された特許期間が短いというものです。hANPでは既に特許が切れています。野尻氏は多くの製薬会社を回りましたが、特許切れを理由に、どこも共同研究に難色を示したそうです。当然だと思いますが、その中で塩野義製薬だけが手を挙げたことで臨床試験が始まりました。おそらく、塩野義製薬の内部で何らかの「創造的な思考」が行われたのだと思われます。

 バイオ研究者やバイオ産業に携わる方、約5万人に向けて月曜から金曜まで週5回配信している日経バイオテクONLINEメールに、水曜日と金曜日に掲載している記者によるコラムを掲載します。

日経バイオテク お薦めの専門書籍・セミナー

  • セミナー「異常な蛋白質に対する低分子薬の2つのアプローチ」
    2019年6月7日開催!不安定な標的蛋白質の立体構造を安定化する「シャペロン薬」、ユビキチン・プロテアソーム系を利用して標的蛋白質を分解する「標的蛋白質分解誘導薬」。最新の研究開発状況と、2つのアプローチの棲み分けを解説する。
  • 「日経バイオ年鑑2019」
    この一冊で、バイオ分野すべての動向をフルカバー!製品分野別に、研究開発・事業化の最新動向を具体的に詳説します。これからのR&D戦略立案と将来展望にご活用ください

PR・告知製品・サービス一覧人材・セミナー・学会一覧