(画像提供:バイオジェン・ジャパン)
(画像提供:バイオジェン・ジャパン)

 米食品医薬品局(FDA)がアルツハイマー病の治療薬として、米Biogen社の「Aduhelm」(アデュカヌマブ)を迅速承認してから約1週間。今回の迅速承認を巡っては、患者や家族、医療・介護者などから歓迎の声が上がる一方、今もなお専門家や業界関係者の間で物議を醸している。

 報道によれば、2021年6月13日までに、FDAの末梢・中枢神経系薬物諮問委員会(Peripheral and Central Nervous System Drugs Advisory Committee)を務める11人の専門家のうち3人が、今回の迅速承認を受けて相次いで辞任した。そのうちの1人は、「今回の迅速承認は、近年の米国での医薬品の承認の中でおそらく最悪の決定だ」と述べるなど波紋が広がっている。

臨床的有用性について2本の第3相臨床試験では相反する結果

 いったい、今回の迅速承認のどこが問題なのだろうか──。多くの専門家が指摘しているのは、患者や家族にとって重要な「認知機能の低下を抑制する」といった臨床的有用性に関して十分なエビデンスが示されないまま、「アミロイドβ(Aβ)を減少させる」という代替的な評価項目(サロゲートエンドポイント)に基づいて、アデュカヌマブが迅速承認されたという点だ。現時点で、Aβが減少すれば認知機能の低下が抑えられるという明確なエビデンスが確立していない状況で、Aβの減少を根拠に迅速承認されたことを専門家は問題視している。

 アデュカヌマブは、Biogen社がスイスNeurimmune社から導入し、アルツハイマー病を対象にエーザイと共同開発してきた抗Aβモノクローナル抗体である。アルツハイマー病の発症機構は完全には解明されていないものの、認知症を発症する約20年前から脳内にAβやタウ蛋白質が蓄積され、脳神経が変性・脱落して認知機能の低下などを来す神経疾患だ。アデュカヌマブはAβを標的とした抗体医薬で、静注で投与して脳内に蓄積したAβを除去することを企図して創製された。

 今回の迅速承認は、主に2本の第3相臨床試験(ランダム化二重盲検比較試験、ENGAGE試験とEMERGE試験)がベースになっている。いずれもAβの蓄積が確認されたアルツハイマー病のうち、比較的早期の段階にある、軽度認知障害(MCI)と軽度認知症を対象に実施された。実は、2本の第3相臨床試験は、中間解析で主要評価項目が達成される可能性が低いと判断され、2019年3月にいずれも中止されている。ただ、その後の解析で状況が変わった。2本の第3相臨床試験のうち、1本でポジティブな、1本でネガティブな結果が得られたのだ。

 具体的には、EMERGE試験の高用量群に割り付けられた被験者において、臨床的認知症重症度判定尺度(CDR-SB)など臨床的有用性を評価するための主要評価項目や副次評価項目を有意に改善するというデータが得られた。一方、同様の試験デザインで実施されたENGAGE試験では、高用量群でも低用量群でも、臨床的有用性を評価するための主要評価項目や副次評価項目が改善するデータは得られなかった。そこでBiogen社は、ENGAGE試験の結果の解釈も含めた事後解析によって有効性を示すデータが得られたとして、生物学的製剤承認申請(BLA)を提出し、2020年8月、FDAに受理された。

 ただ、2本の第3相臨床試験で相反する結果が示される中、事後解析を活用した結果を根拠にアデュカヌマブを承認することについて、専門家は否定的だった。2020年11月には、FDAの末梢・中枢神経系薬物諮問委員会で、ほとんどの専門家がアデュカヌマブの承認に否定的な見解を提示している(ただし諮問委員会の見解はFDAの決定に拘束力があるわけではない)。米国の非営利の医療技術評価(HTA)機関である米臨床経済評価研究所(Institute for Clinical and Economic Review:ICER)も、2021年5月、アデュカヌマブについて、有効性が不確かであり副作用のリスクを考慮すると、「健康上、有益性をもたらすというエビデンスが不十分」と指摘していた。医薬品の審査に関わった経験のある国内の専門家も、「通常であればもう1本の臨床試験で結果を出すことが要求されるレベルだ」と指摘する。

専門家は「Aβの減少を根拠とした迅速承認は拙速」と指摘

 そこで今回、FDAはアデュカヌマブを正式承認するのではなく、迅速承認することで着地を図った。迅速承認とは、重篤もしくは生命を脅かすような疾患を対象として、臨床上の有用性が予測できるような代替的な評価項目に基づいて医薬品を承認する仕組みである。迅速承認はいわば仮免許であり、その後の検証的試験で臨床的有用性を示すことなどが必要となる。

 実は、前述した2本の第3相臨床試験では、PET検査で脳内のAβの沈着を評価された一部の被験者において、いずれも用量依存的・時間依存的にAβが減少する結果が示されていた。そこでFDAは、「Aβが減少する」ことを根拠に迅速承認に踏み切ったのだ。アデュカヌマブの迅速承認に当たりFDAは、Aβの減少が患者に臨床的有用性をもたらすだろうと期待され、その臨床的有用性を確認するために承認要件として検証的試験を課すと説明している。また、検証的試験で臨床的有用性が示されなければ、承認を取り消すとしている。

 ただ前述の通り、現時点で、Aβが減少すれば認知機能の低下が抑えられるという明確なエビデンスが確立されているわけではない。「アルツハイマー病の病態にAβが関与しているのはおそらく確実だが、Aβが原因なのか、それとも結果を見ているだけなのかなど、まだよく分かっていない部分がある」と国内の専門家は指摘する。こうした状況で、「Aβの減少を根拠とした迅速承認は拙速だ」と専門家は問題視しているのだ。

 国内の業界関係者からは、「まさか承認されるとは思わなかった」という声が多く聞かれている。FDAは過去にも、重篤もしくは生命を脅かすような疾患を対象に、十分なエビデンスがないままに医薬品を迅速承認したことがある(そして物議を醸したこともある)。ただ、それは患者数の少ない希少な難病が中心だった。アルツハイマー病のような患者数の多い疾患に対し、前述したような状況でアデュカヌマブを迅速承認することまでは、多くの業界関係者が予想していなかったようだ。

 アデュカヌマブの検証的試験で臨床的有用性が示され、介護などの負担が軽減される可能性もなくはないが、今回示された薬剤価格について「高すぎる」との声も多い。国内のある業界関係者は「患者数が極めて多く、かつ、(代替的な評価項目について)軽症の患者でしかエビデンスがなく、さらに長期でどの程度効果があるのかもよく分からない医薬品にしては高すぎる印象だ」と話す。

 アデュカヌマブの米国での薬剤価格は、年間5万6000ドル(平均的な維持用量での卸業社購入価格)。今回認められたアデュカヌマブの適応症であるアルツハイマー病のうち、実際に米国でどの程度の患者に使用されるかは、加入保険(支払機関)によって異なる見通しだ。現在のところ、臨床試験と同様、Aβの蓄積が確認されたアルツハイマー病で、MCIや軽度認知症の患者に使われる公算が大きい。Biogen社によれば、MCIまたは軽度認知症のうち、Aβの蓄積が認められるのは米国で推定約100万~200万人。一部の支払機関は、治療効果に応じて薬剤価格が変動するバリュー・ベースの支払償還方式(Value-Based Pricing)を導入する見通し(何を治療効果に設定するかなど詳細は不明)だが、薬剤価格の高さを指摘する声は多い。

世界のアルツハイマー病治療薬の研究開発に迅速承認が影響する懸念も

 アデュカヌマブの迅速承認で、今後のアルツハイマー病治療薬の研究開発への懸念も生じている。Biogen社に課せられた承認後の検証的試験でどういう結果が得られるか見通せないにも関わらず、世界の製薬・バイオ企業が今後、「Aβの減少」といった代替的な評価項目を達成するための研究開発に重点を置く可能性が高いことだ。今回の迅速承認を受け、既に米Eli lilly社やスイスRoche社など、Aβの減少を狙った抗Aβ抗体を開発している製薬・バイオ企業の株価は高値で推移している。しかし長い目で見ると、本当に有効なアルツハイマー病治療薬の実現にとって、こうした戦略が遠回りになるリスクがある。

 アデュカヌマブの臨床的有用性を評価する検証的試験は、一朝一夕に結果を得られるわけではない。迅速承認に際してFDAはBiogen社に、2030年2月までに検証的試験の最終結果を報告するよう求めており、今後1、2年で結果が得られるようなものではなさそう。さらに、一度迅速承認を得た以上、検証的試験でアルツハイマー病患者にプラセボを投与するのは倫理的に難しく、「プラセボとの差をどのように示すのかも課題になる」(国内の業界関係者)。今回の迅速承認は、アデュカヌマブの検証的試験が実施されている最長9年の間、世界のアルツハイマー病治療薬の研究開発に影響を与え続けることになるだろう。FDAの決断は、アルツハイマー病の患者や家族、医療・介護者ばかりでなく、業界全体に波及するということだ。

アデュカヌマブの日本導入への課題は?

 「米国で迅速承認されたのだから、日本でも何らかの形で承認が得られるのではないか」──。

 米国でのアデュカヌマブの迅速承認を受け、日本での承認を期待する声は多い。Biogen社の日本法人であるバイオジェン・ジャパンは、2020年12月、日本でアルツハイマー病を対象にアデュカヌマブの承認申請を行った。通常の医薬品では、審査期間が1年程度であることを考慮すれば、2021年内に結論が出るとの観測もある。

 しかし日本では、医薬品が承認されれば基本的に保険収載され、通常の保険診療で使えるようになるため、対象となる患者が多いアデュカヌマブがすんなり承認されるかどうかは分からない。業界関係者は、「日本での承認に当たっては幾つかの課題があるだろう」と指摘する。1つ目は、米国の迅速承認のような仮免許の枠組みを日本でも活用できるか、2つ目は、アルツハイマー病のうち適応症(効能・効果)をどこまで認めるか、3つ目は、どこまでの薬価を認めるか──という課題だ。

 1つ目に関しては、米国の迅速承認と同様、日本でも医薬品医療機器等法に基づき、医薬品を条件付き承認する仕組みがある。ただし、「同法の条文では、条件付き承認の対象は、患者数が少ない疾患が想定されているように読める」(国内の業界関係者)。アデュカヌマブの適応症を、米国のようなアルツハイマー病ではなく、(Aβの蓄積が確かめられたアルツハイマー病のうち)MCIや軽度認知症に限るとしても、国内の患者数は100万人規模に上ると推定され、決して患者数が少ない疾患とはいえないため、条件付き承認の対象になるかどうかは不透明だ。

 2つ目については、前述の患者数にも関わることだが、どのような適応症(効能・効果)を認めるかだ。今回、米国での迅速承認の基となったアデュカヌマブの2本の第3相臨床試験の対象は、Aβの蓄積が確認されているアルツハイマー病患者のうち、MCIと軽度認知症だった。しかし、迅速承認は重症度に関わらず、広くアルツハイマー病を適応症として認められた(実際の適応は患者が加入している医療保険次第とみられる)。

 ただ日本の場合、「臨床試験の対象ではなかった、中等度や重度の認知症を対象にするのは難しいだろう」(国内の業界関係者)。加えて、第3相臨床試験の対象だったMCIと軽度認知症のうち、MCIが対象に認められるかどうかも不確実だ。MCIは、認知症の発症手前の状態であり、「日本でMCIが疾患として捉えられるとは考えにくい」(国内の業界関係者)との見方もあるからだ。

 3つ目は、何らかの形で承認されたとして、薬価が一体いくらになるか。「仮に、米国の薬剤価格の半分程度になるとしても、数十万人に使われれば年間の薬剤費は数千億円規模に上る。社会保障費の自然増をいかに抑えるかが社会課題になっている中、アデュカヌマブが承認されれば、また新たな再算定ルールが導入されるかもしれない」とある業界関係者は危惧する。

 いずれにしても、国内でアデュカヌマブが何らかの形で使えるようになるまでには課題が多い。そして課題解消に向けては、当該企業だけでなく、さらなる薬価の抑制策など、業界全体へ影響が生じる可能性もある。