アクテムラ誕生

 私は、1997年から2000年にかけて3年半、茨城県新治郡新治村にあった中外分子医学研究所に代表取締役社長として勤務した。この会社は、私が赴任する2年前の95年に、ジーンハンティングを目的として新設された中外製薬100%出資の子会社である。世界的にヒト全ゲノム解析の完了を迎えつつあった2000年、設立後5年たって、その役割を終えた研究所の閉鎖が決まり、再び本社勤務となった。今度の所属はプロジェクト推進部である。そこにはグローバル開発プロジェクトのリーダーが全員所属していた。異動後しばらくしてMRAのグローバル・プロジェクト・リーダー(GPL)として日米欧三極での臨床開発を主導することになった。そして、04年8月、60歳の誕生月に定年がやって来る直前までMRAのグローバル開発の陣頭指揮を執った。

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