急速に高齢化が進む我が国においては、今後医療費の高騰にどう対処するかが大きな課題となる。バイオ技術を用いた新しい医療技術には優れたものが多いが、高価であることは問題である。従って、できるだけ病気にならないようにする予防が最善の方法であることは言うまでもない。従来の予防医学はすべての人を対象とし、主として経験的な事実を基礎として展開してきた。しかし近年の基礎研究の進歩によって病気の発生機構の解明が進み、新しい知見が蓄積されつつある。医学が経験の学問から、精密科学へと発展しつつあると言えよう。それに伴って、予防医学も今後大きく変わることと予想される。一般に慢性疾患、特に加齢に伴って増加する疾患は遺伝素因を背景とし、環境因子が複雑にかかわりあって発症する。しかも発症の時期は明確でなく、臨床症状が現れるまでに長い期間を経過するものが多い。この発症前期に診断し、適切に対処するのが先制医療である。

 昨今、予防医療(protective medicine)は、大きく分けて予測医学(predictive medicine)と先制医療(preemptive medicine)とに大別されるようである。従来の予防医学の概念と異なり、先制医療は精密科学に基づく精密医学である。すなわち、遺伝素因の解明が進みつつあり、近い将来高い確率で発症を予測することが可能となると期待される。また胎生期、新生児期などの環境因子によるプログラミングが、成人期の疾患と関係することも明らかになりつつある。さらに発症前期にかなり高い確度で予測する予測診断を可能とするバイオマーカーの研究も進んでいる。これらの知見を基礎として、発症前に介入するのが先制治療である。以上を要約すると、先制医療とはバイオマーカーなどから高い確率で発症を予測する予測医学に基づいて、発症前に介入して発症を防止するか遅らせようとするものである。

 このように先制医療は新しい医療の方向を示しているが、それに至るまでにはなお多くの研究が必要である。一般に多くの疾患は多因子遺伝で、多数の遺伝子が関与しており、まだその全貌は明らかになっていない。また胎生期や乳児期の環境因子が、成人期以降の健康や疾病に影響するという考え方も完全には証明されていない。さらに発症前に予測するためのバイオマーカーは多数の人を対象とするので、簡便で確度の高いものを開発する必要がある。治療に使用する医薬品も、当然であるが安価で副作用のないものを選ばねばならない。

 先制医療の方向性を占う例として、武田薬品工業が2009年10月に効能追加で承認を取得したボグリガース(ベイスンR)がある。ボグリガースは、糖尿病の食後過血糖の改善を適応としたα-グルコシダーゼ阻害薬であるが、耐糖能異常(IGT)を対象とした実薬1群897例(計1780例)の国内第III相臨床試験の結果、2型糖尿病への累積以降率を減少させ(主要評価項目)、また、IGTから正常型への累積移行率も有意に上昇させた(副次評価項目)(Lancet&s_comma; 373:1607-1614&s_comma; 2009)。この結果、ボグリガースは食事療法および運動療法を3-6か月間行っても改善されず、かつ高血圧症、脂質異常症(高トリグリセリド血症、低HDLコレステロール血症など)のいずれかを基礎疾患として有する患者を対象とする場合に限り、保険適用は認められた。この条件には基礎疾患と付帯されているため、厳密な意味で先制医療として使用される医薬品とはいえないかもしれないが、臨床症状がない場合に明らかに疾病への移行を緩和することが可能なのであれば、経済効果、社会的波及効果も甚大なものとなる。この例は、医薬品の新しい道を示したものと考えられるのではないだろうか。

 高齢社会の進行とイノベーションの成果としての高額な医薬品の社会受容のためには、我が国の医療保険制度を今後どのようにしていくか、という選択は避けては通れないであろう。とはいえ、製薬企業、医療行政ともに今すぐにでも真摯に考えていかねばならないのは、国際医薬品情報誌の2010年11月8日号(通巻第925号)にて記載したように、Health Technology Assessment (HTA)についての理解と積極的な投資である。

 2011年が読者の方々にとって実り多い一年となることを祈念する。


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