2011年を迎えて、我が国の置かれている政治、経済環境はますます緊張を強いられています。我々科学技術の発展を目指す者にとっても、閉塞感のある現状を打ち破る改革が求められていると実感します。2011年は科学技術振興基本計画第3期の終盤を迎える時期でもありますが、科学技術は、政治経済と同様に欧米のみならず、アジア各国がさまざまな分野で発展し、我が国の科学技術レベルの相対的位置付けを低下させる方向に向かっていることは間違いありません。

 2006年に理化学研所が担った「次世代スーパーコンピュータ開発」は、国際的に我が国の開発の遅れが目立っている科学技術であるコンピュータ開発であり、我が国が自前で世界最速レベルの計算機を設計製造し、高精度の計算に基づく解析、デザイン、予測により、さまざまな分野においての研究開発を加速するという大きな目標を掲げています。すでに、神戸の研究施設は完成し、計算機本体は2012年の稼働予定に沿って着々と搬入されています。今回の計算機の達成計算速度が10ペタフロップスであることに因み、ペタ(1015)を表す日本語「京(けい)」を計算機の愛称として一般の公募から選出しました。(注:10ペタフロップスの計算とは1秒に1016回の演算をするという意味)このような超高速計算機は、その国の科学技術力を如実に表すことから、国際的な競争が行われ、米国が首位を保ちつつも、中国が激しくそれを追いかけており、我が国は、2002年当時に、地球シミュレータが世界一位を確保して以来、国際競争での先頭争いからは後退し続けている現状です。

 京コンピュータは、世界最高速を目指すと共に、さまざまな分野での応用(ソフト開発)において世界に先駆けた成果を出すことが重要です。ナノテクノロジーおよび生命科学分野の計算機応用への将来を重視し、両分野での重点的なソフト開発プロジェクトが遂行されていますが、理化学研究所を拠点として、2006年度から7年計画の生命科学研究のソフトウエア開発が開始されました。プロジェクトは、分子、細胞、臓器全身、脳神経科学とデータ解析の5チームと、高度の計算機への応用を加速するための高度化チームの合計6チームより構成されています。一見無秩序とも見える複雑な系が引き起こす美しい秩序(生命機能)解明は、21世紀の科学で最も挑戦的なテーマです。

 生命機能は上記のスケール差による階層問題の解明なしには克服できません。また、各階層自身が極めて複雑な構造をもち、階層内でのスケール差を接続して始めて階層内のダイナミックな機能が理解できます。このような複雑なシステムを単一の基本方程式で扱うことは困難です。そのため、システム内の要素間の複雑な関係を情報学的に解明するインフォマテックス、あるいは統計学的に扱う手法などが数理解析的な柱となっていました。本プロジェクトは、量子力学、古典力学あるいは流体力学の基本方程式を組み合わせつつ、それらの基本方程式によるシミュレーション手法を駆使して生命システムを解明するとともに、情報学的手法との連携を持って生命体の科学に挑戦するものです。

 プロジェクト発足から5年目を迎えていますが、すでに数多くの興味ある結果がえられ、その成果が神戸での京コンピュータの使用によって、学術研究という立場のみならず、応用面でも大きな期待がもてると予想されています。東京大学の久田教授による心臓のシミュレーションは、本プロジェクト開始以前から長い年月をかけ、医療現場に応用可能なレベルまで近づき、2年後の京コンピュータ利用による完成が待ち望まれています。横浜市立大の木寺教授と京都大学高田准教授らによる、多剤排出トランスポータの機構解明のシミュレーションは、昨年(2010年)9月に帝京大学病院で発生した高年齢層の患者が薬剤を受け付けなくなる症状を解明したものであり、すでに大きな反響を呼んでいます。

 また、遺伝子の計算機による大規模解析から、個人個人の疾病予測が可能となり、個人に最適の治療(テーラーメード医療)が可能となる日も間近いといえます。これらの例が示すように、高速計算機による生命科学の研究は、生命機能解明への未来へ向けての大きな期待とともに、医薬品、医療現場の難問を予測し解決する重要な手段として活躍することが期待されています。


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