私は毎年医学部の学生に腫瘍に関する講義を5回から6回のシリーズで行っている。東大に赴任して以来、今年は10年の節目を迎えたが、毎年、学生に話したいことがいっぱいあるので、限られた時間で何を話そうかとあれこれ思案し内容を取捨選択する。その結果、私の講義の内容も最初の頃とはずいぶん変わってきた。最近は分子標的治療やがんの転移、腫瘍微小環境について時間をかけて話すようにしてきたが、今年からがん幹細胞について詳しく話すことにした。学生の講義の内容を考えることによって私自身の考えも整理できて、自分の研究をどのように進めて行くか、じっくり考える良い機会ともなっている。

 最近のがん研究の大きなトピックの一つは自治医科大学の間野博行教授が発見した肺がんの新たながん遺伝子EML4-ALKであろう。ALKに対してはこれを標的とする薬剤の開発が進行中であり、肺がんをはじめとしたいくつかのがんの革新的な治療法となることが期待される。EML4-ALKの異常が見られるのは肺がん全体の数%に過ぎないが、こうした発見の積み重ねにより薬で治るがんが少しずつ増えて行くことは極めて重要なことである。高速シーケンサーの登場などに代表される近年のゲノム医学の急速な進歩により、今後更に新たながん関連遺伝子が発見され、これを標的とした新たながん治療法が2010年以降も次々と開発されて行くことであろう。

 転移してしまったがんを薬剤で根治するにはどうしたら良いだろうかと考えたとき、今後もっとも期待されるのはがん幹細胞を標的とした治療であろう。がん幹細胞は、正常の幹細胞と同様に自らを複製する能力と多様な子孫の細胞を生み出す能力を持つことが特徴である。がんを構成する細胞は均一ではなく多種類の細胞の中でがん幹細胞が中心となって腫瘍を形成し、維持する能力を持つ。同時にがん幹細胞は放射線や化学療法に対する耐性を有することから、がんの転移や再発に最も重要な役割を果たすと考えられている。

 これまでの化学療法剤はがんの子孫の細胞を標的としたものがほとんどであったと思われる。がんを大きな樹に例えれば、従来の治療は枝葉を切り落としてがんを小さくする治療であった。実はこれでは樹の幹の部分が残っており、そこから新たな枝葉が出てくることにより、再発は避けられなかったわけである。がん幹細胞に対する治療に期待が寄せられるのは、がんの枝葉ではなく、がんを幹から根絶やしにすることを目的としているからであると言える。

 がん幹細胞の研究は白血病からスタートしたが、近年、種々のがんにおいてがん幹細胞様細胞が存在することが明らかとなり、その生物学的特徴に関する研究が国内外で盛んに進められている。我々も2009年に脳腫瘍の幹細胞ではTGF-βのシグナルによって転写因子Sox4-Sox2の経路が活性化されて未分化性が維持されていること、そしてこのシグナル経路を遮断すれば脳腫瘍幹細胞が分化することを見出した。現在、脳腫瘍に対するTGF-β阻害剤が海外で臨床試験中であるが、TGF-β阻害剤の作用のメカニズムの一つとして脳腫瘍幹細胞に対する分化促進作用も重要であるかもしれない。

 我が国は欧米に比べてがん幹細胞の研究がやや立ち遅れれた感もあったが、最近になってがん幹細胞の分研究が急速に進展している。我々も脳腫瘍だけでなく種々のがんでのがん幹細胞の研究を行っているが、その旺盛な増殖・浸潤能を目の当たりにし、これこそががん治療の重要な標的であるという思いを強くしている。2010年はがん幹細胞を標的とした革新的な治療の方向性が見えてくることを期待したい。


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