あけましておめでとうございます。

 電車では向かいの席に老若男女いろいろな人が座ります。私は車内では漫画などではなく日経バイオテク誌を読んで情報を仕入れるのが常ですが(すみません、ウソです。幕之内一歩の右フックやゴルゴの遠距離狙撃に興奮しています)、ふと目をあげると向かいのお客さん。そこで私は想像を始めます。「この不機嫌なじいさんは何者だ?」「あの子供が成人になるころには・・」「もしこの女性と結婚していたら私の人生は?」(このあたりになると妄想に近い)。皆さんも心当たりがありますね。・・ありませんか。

 最近の医薬品をめぐる議論、特に厚労省が登場する議論でいつも思うのが、国・政府に対する我々の想像力の欠如です。「薬の安全確保は厚労省の責任だ」は、誰からも噛み付かれないそれこそ「安全」な主張ですが、何とも曖昧です。厚労省ってなんだ?日比谷公園前のビルのこと?いや、ビルは動かないから、対策するのはビルの中のお役人か?責任ってなんだ?行政法の教科書にはどう書いてある?(・・最近読んでません。少年マガ○ンは毎週読んでいるのに。)

 安全対策といいますが、皆さんは厚労省やPMDAの担当者がオフィスでどんなふうに仕事をしているかを想像したことはありますか。手元に副作用報告票なるものが日々届きます。そこには「A薬を2ヶ月飲んでいる大阪の68歳のおばあさんが肝障害を起こした」とか「アメリカのネバダ州でB薬を飲んだ男性(年齢不明)が突然暴れだした」とかの記載があるわけです。「うーむ・・・わけわからん・・」と呟く時の絶望感は薬のプロでも素人でも同じだろうな、と想像できませんか。実際同じです。

 半可通はそこで「一症例ではダメ。薬剤疫学、データマイニングの活用だ」と言うのですが、それでも想像力が欠けています。溺れかけている人に水泳の教本を投げてあげているような、いわばシンパシーの欠如でもあります。データマイニングといった科学的方法は事実を分かり易く提示してくれる技ですが、副作用対応について判断をくだす責任者(例:厚労省安全対策課のM課長)が本当は最も知りたいこと、すなわち社会にとっての事の重大さについては何一つ教えてくれません。例えば、あるワクチンの副作用が0.1%の頻度で出ることがわかっても、そのことの社会的な重大さを先験的に判断できる(厳密には、判断することを許されている)人間などこの世にはいないことくらい、誰もが百も承知のはずでしょうに。皆さんまったく人が悪い。「国ならばできなければおかしい」と思うのは現実逃避です。

 ちなみに、社会における事の重大さは医学や統計学では扱えません。エラい医者や学者や役人の判断が正しいというものではまったくありません。真剣に取り組むには経済学・社会選択論といった学問、そして民主主義とは何かといった議論が必要ですが、ほとんどの人はそのことに気付いていません。なお、最近よく耳にするレギュラトリーサイエンスなるものは中身が空っぽなので、現時点では問題外です。

 電車の中で想像力を働かせすぎるとそこはかとなく危険な匂いが漂うので適度に自制するとして、医薬品の議論では思う存分想像力を働かせましょう。「日本はこうあるべき」を声高に唱える学者(私もそうです)、役人、議員、マスコミ記者の怪しさや根拠の無さが見えてきて、「日本はこれで大丈夫か?」と胸がドキドキし始め、新春のお屠蘇気分からすぐにすっきりと醒めることができるはずです。

 皆さん、今年もお仕事がんばりましょう。

+BTJJ+