前編で、ワクチンメーカー側の不備や、国際標準と異なる日本独自の規制、審査当局の慎重な姿勢などの理由から、海外で使われているワクチンが日本になかなか導入されないでいる実態を指摘した(関連記事)。しかし、日本に新しいワクチンが導入されない本質的な問題は、業界と行政のあり方にこそある。

 米Merck社、英GlaxoSmithKline社、フランスsanofi aventis社、米Wyeth社、スイスNovartis社──。いずれもグローバルな大手製薬企業として名の知れた企業だが、海外ではこの5社がワクチン事業を展開している(sanofi aventis社は子会社のsanofi pasteur社でワクチン事業を行っている)。

国内メーカーは財団や社団法人が大半
市場性も不明確で投資を決断できない


 対して日本にワクチンメーカーは8社あるが、大半は財団法人や社団法人だ。以下に挙げると、財団法人の化学及血清療法研究所(化血研、熊本市)と阪大微生物病研究会(阪大微研、大阪府吹田市)、社団法人の北里研究所(北研、東京・港)、株式会社の武田薬品工業とデンカ生研の5社が国内の主要ワクチンメーカーで、これ以外に生ポリオワクチンを製造する財団法人日本ポリオ研究所(東京都東村山市)、BCGを製造する株式会社の日本ビーシージー製造(東京・文京)、B型肝炎ワクチンを製造する明治乳業といった顔ぶれ。

 主要5社の売上高は、武田薬品を除くと最大の化血研でも300億円強(うちワクチンは100億円程度)で、デンカ生研、阪大微研、北研はいずれも100億円前後。その国内企業に、海外で続々登場した新しいワクチンと同じものを開発しろといっても投資できるだけの体力はないだろう。

 もっとも、欧米でも1980年代は20社近いメーカーがあったが、再編によって規模を拡大して研究開発投資を確保してきた。ところが、日本では、安定供給の確保の観点で、政策的に4、5社で製造する体制を温存させてきた。武田薬品とデンカ生研以外は財団や社団のため、M&A(企業の合併と買収)が困難という事情もある。

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 加えて80年代後半から、インフルエンザワクチンの有効性を疑問視する声が上がり、94年の予防接種法改正でインフルエンザワクチンが定期接種から任意接種に変更になると、接種率は激減した。2001年の予防接種法改正で高齢者への接種が定期接種になり、現在、インフルエンザはワクチン市場の約半分を占めるまでに回復したが、ドル箱のインフルエンザワクチンが90年代半ばにほぼゼロ近くまで縮小していたことが、中小メーカーの投資余力をそぐ一因となっていた面もある。

 それでも確実に投資を回収できるなら、中小メーカーでも積極的に新しいワクチンの開発に資金を投じただろう。しかしながら、ワクチンの場合は市場性を予測しにくいという問題がある。

 というのは、ワクチンは承認されても、任意接種だと被接種者が数千円から1万円近い費用を自己負担しなければならないため、接種率が上がらない。予防接種法の定期接種に選定されれば費用が公費負担になるため接種率が上がり、一定の市場が期待できる。しかし、定期接種の見直しは5年に一度しか行われない上、選定されるための手続きも不明確で、任意接種から定期接種に移行するワクチンもほとんどないのが実情だ。発売しても定期接種になる見通しがなければ、メーカーとしても開発費を投じる決断をしかねる事情は理解できる。

厚労省がワクチン産業振興に乗り出す
外資系企業は歓迎の姿勢


 その結果、誰もワクチンに投資ができなくなって、市場は停滞してきたわけだ。しかし、厚労省もさすがに問題を認識し、05年に「ワクチンの研究開発、供給体制等の在り方に関する検討会」を立ち上げ、06年7月には「ワクチン産業ビジョン(案)」を発表した。

 そこには、国内製造体制を維持することの重要性を強調しながらも、ワクチン製造企業がメガファーマや外資系企業、国立感染症研究所や独立行政法人の医薬基盤研究所、東京大学医科学研究所などの研究機関と連携しながら、新ワクチンや改良ワクチンを継続的に発売して、国内市場の拡大を図るという絵が描かれている。

 この産業ビジョン案が示されたことを一番歓迎しているのは、実は外資系企業だ。グラクソ・スミスクラインのJohn Jabara取締役マーケティング本部長は、国内製造体制の維持がうたわれている点には疑問を呈しつつも、「ビジョンができたことで、日本への投資を前向きに判断できるようになった」と語る。

 むしろ逆に、産業ビジョン案では、海外のワクチンを積極的に導入して市場を活性化するシナリオが示されており、国内メーカーからは危機感を募らせる声も聞こえる。それでも日本のワクチン市場が活性化し、国民が使えるワクチンが増えるなら、日本メーカーを過剰に保護すべきではない。むしろ、産業ビジョン案に書かれているように、生物学的製剤基準の国際的調和や、承認申請のガイドラインの作成などを通じ、外資やベンチャーがワクチン開発に参入しやすくしておく必要がある。一方で、日本企業同士の過当競争を避けるためにも、まじめに再編を議論すべきかもしれない。

複数の行政機関がかかわるワクチン政策
リーダーシップの明確化を


 厚労省では、ワクチン産業ビジョン案の中にアクションプランとして記した事柄を進めるために、年度内にフォローアップの委員会を立ち上げる予定だ。この委員会が、どのようなワクチンを日本に導入すべきか、といった羅針盤の役割を担うようになれば、メーカーもワクチン開発に投資しやすくなるだろう。

 もっとも、委員会の事務局は、厚労省医薬食品局の血液対策課が務めるが、予防接種法に関連する行政は同じ厚労省でも健康局の結核感染症課が担当。このほか、ワクチンの承認審査は医薬食品局の審査管理課と独立行政法人の医薬品医療機器総合機構が行い、ワクチンの国家検定は国立感染症研究所が実施する。これらワクチンにかかわるあらゆる行政機関に対してリーダーシップを発揮する形で委員会が運営されなければ、真に有効な政策を打ち出すのは難しいだろう。リーダーシップを明確化できるかどうかがワクチン政策の大きな課題だ。

 財源の問題も議論が必要だろう。というのは、現在、定期接種の費用は自治体が負担しているため、新しいワクチンを次々に導入してもすべてを定期接種にするわけにはいかないだろう。米国などでは民間の医療保険がワクチン接種費用もカバーしているが、日本では予防に対して健康保険を給付しないというのが厚労省のスタンス。しかし、トータルの医療費を削減する効果があるのであれば、ワクチンに健康保険を給付することも検討すべきだろう。

 加えて、国民に対してワクチンの重要性の理解を促すことも政策的な課題といえる。日本で新しいワクチンの導入がこれだけ遅れた背景には、過去のワクチン接種禍による不信感が国民の間にあると指摘する声もある。しかし、ワクチン接種のリスクとベネフィットを国民にきちんと説明し、自己決定を促すことも国の役割だろう。不信感があるからといって新しいワクチンを導入しなければ、国民を感染症のリスクにさらすだけだ。

 少子化対策として出生率を上げることも大切かもしれないが、今いる子供たちを感染症のリスクから守ることも重要な政策課題だ。むしろ、ワクチンを活用して子供たちが健康に暮らせるようにすることも少子化対策の一環であると、厚労省には認識してもらいたいものだ。(橋本宗明=日経バイオテク編集長)

注)「医療&バイオ●話題の核心」は、日経ビジネスオンラインとの共同企画によるコラムです。日経バイオテクオンラインの記事を執筆している記者のコラムが、Biotechnology Japanのサイトで不定期に無料で読めます。