2007年1月、ヘモフィルス・インフルエンザb型(Hib)という細菌に対するワクチンが承認された。ワクチンとしては05年に、麻疹・風疹の混合ワクチンが新たに承認されているが、承認済みの麻疹ワクチンと風疹ワクチンとを混合したものなので、実質的に新しいワクチンの承認としては95年に不活化A型肝炎ワクチンが承認されてから12年ぶりとなる。

Hibワクチンは20年遅れてようやく承認
その間、毎年20から30人の乳幼児が死亡


 Hibはどこにでもある細菌で、無症状で感染している人も多いが、5歳未満の乳幼児などが感染すると、髄膜炎や肺炎などを起こすことがある。Hibによる髄膜炎の患者数は、年間500から600人というからそう多いものではない。

 しかし、その死亡率は5%程度で、日本では毎年20人から30人の乳幼児がHibで命を落としていることになる。また、罹患者の20%に難聴やてんかん、発達障害などの後遺症が残るというから、極めて深刻な病気だ。

 この感染症に対して、Hibワクチンの予防効果は高く、米国では罹患率が100分の1に低下したというデータがある。1998年には世界保健機関(WHO)がHibワクチンの接種を勧奨した結果、世界各国で導入が進み、現在では世界93カ国で定期接種されているという。

 このワクチンがまだ使われていないのは、アジアでは日本と北朝鮮など、ごくわずかしかないという状況だ。1月にようやく日本でも承認されたが、輸入承認を受けたサノフィパスツール第一ワクチンによると、日本は国際基準と異なる基準を設けているため、フランスで日本向けの製品を製造するのに時間がかかるなどの事情から、実際に発売するのは08年1月になるとのことだ。

 いずれにせよ、Hibワクチンは米国で初めて使われ始めてから20年遅れてようやく日本にも導入されることになった。だが、導入が遅れているワクチンはこれだけではない。

 以前この欄で、欧米で発売された医薬品が日本で承認されるまでに大きな時間差、すなわちドラッグラグがあるという問題が指摘されていたが、ワクチンは医薬品以上に深刻だ。米国では2000年ごろから新しいワクチンが次々に登場しているのに、それがいっこうに日本に導入されないのだ。

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 なぜ、このような事態が生じているのか。幾つかの事例を基に検証してみよう。

不活化ワクチンへの切り替えが急務のポリオ
臨床試験の基準不適合で申請取り下げ


 導入が遅れているワクチンの中でもとりわけ必要度が高いとされるのが不活化ポリオワクチンだ。現在使用されている生ポリオワクチンに代わるものとして、医師も首を長くして待っているが、承認の見通しが付かないでいる。臨床現場で強く求められるのは、現在の生ポリオワクチンで、接種が原因とみられるまひなどが発生しているからだ。

 ポリオ(小児まひ)は1960年代に日本で大流行したが、経口生ワクチンを導入することによって患者は激減。1981年以降、野生のポリオウイルスによる患者は日本では発生しておらず、世界的にも根絶まであと一歩のところまで来ている。

 ところが弱毒生ワクチンでは被接種者の数百万人に1人の割合でまひが起こるほか、やはり数百万人に1人の割合で被接種者からの2次感染でポリオまひが起こるとされている。実際、81年以降に、十数人にまひが生じ、患者から分離されたポリオウイルスはいずれもワクチン株由来のものだった。このため、先進国のほとんどが生ワクチンから不活化ワクチンへの切り替えを進めており、先進国で生ワクチンを使っているのは日本ぐらいだ。

 そこで、生ポリオワクチンのメーカーである財団法人日本ポリオ研究所は、90年代半ばに不活化ワクチンの開発に着手。01年7月には厚生労働省に製造承認申請を行ったが、臨床試験が医薬品の臨床試験の実施に関する基準(GCP)に適合していなかったことが発覚。臨床試験のやり直しを検討していたが、DTP(ジフテリア、破傷風、百日ぜき)ワクチンと不活化ポリオワクチンとの混合ワクチンを開発することに方針転換し、06年4月までに不活化ワクチン単独での承認申請を取り下げた。

 ワクチン接種の負担を考えれば、混合ワクチンとして開発した方がいいのは確かだが、この結果、不活化ポリオワクチンの登場は早くても数年先になった。厚労省の基準を満たした臨床試験を行っていなかったことが直接的な理由だが、常に複数の医薬品の開発を進めている大手製薬企業ではあり得ないミスだろう。日本ポリオ研究所は生ポリオワクチンしか製品を持っておらず、開発に慣れていなかったことが開発遅延の一因と思われる。

申請から4年近くかかったHibワクチン
日本独自の基準が海外品の導入の障壁に


 前述したHibワクチンは、フランスのsanofi pasteur社の製品で、同社と第一製薬の合弁であるサノフィパスツール第一ワクチンが承認申請した輸入ワクチン。サノフィパスツール第一ワクチンは、90年代後半に開発に着手し、03年3月に申請したので、承認までに4年近くの時間がかかったことになる。

 なぜこれだけの時間がかかったのか。幾つかの要因が重なっているとは思われるが、サノフィパスツール第一ワクチンのBruno Camuset会長は、「世界保健機関(WHO)の基準の範囲で製造しているものを変更してくれという日本側の要求に、科学的根拠があるのかというのが論点だった」と語っている。具体的に言うと、細菌の成分である「エンドトキシン」の含有量に関して、日本はWHOよりも少ない基準を定めていたことが問題になったようだ。

 これまでに日本で承認された輸入ワクチンは、万有製薬のB型肝炎ワクチンと肺炎球菌ワクチン、サノフィパスツール第一ワクチンの黄熱ワクチンの3品目のみ。化学及血清療法研究所(化血研)は、米Merck社が世界72カ国で販売しているMMR(麻疹・流行性耳下腺炎・風疹混合)ワクチンを03年2月に申請したが、まだ承認が下りる気配はない。

 もし、日本独自の基準が輸入ワクチンを導入する際の障壁になっているとすれば、その基準が科学的に妥当かどうかを検証すべきだろう。過剰な規制の結果、ワクチンの導入が遅れ、その結果、乳幼児の生命が失われるというような事態を招いてはならない。

当局の慎重姿勢で現場混乱
次世代日本脳炎ワクチンの行方は?


 承認の遅延が、深刻な事態を引き起こしかねないと危惧されているのが、次世代の日本脳炎ワクチンである組織培養日本脳炎ワクチンだ。

 現行の日本脳炎ワクチンは、マウスの脳を使って作られており、脳由来の成分が混入した場合のリスクがかねて指摘されていた。実際、日本脳炎ワクチン接種後の副反応として、おおよそ100 万人に1人の程度で急性散在性脳髄膜炎(ADEM)が報告されているからだ。

 04年7月にはADEMの重症例が発生し、05年5月28日に開かれた疾病・障害認定審査会の感染症・予防接種審査分科会では、日本脳炎ワクチンの使用とADEMとの因果関係について、「肯定する明確な根拠はないが、通常の医学的見地によれば肯定する論拠があり、認定することが妥当である」とされた。これを受け、厚労省結核感染症課は5月30日に、定期接種として行われていた日本脳炎ワクチン接種の積極的勧奨を「差し控える」と通知した。

 しかし、特に西日本では、ブタの日本脳炎ウイルス抗体陽性率が80%を超える県が多く、接種率が低下することを警戒する声は多い。厚労省にすれば、積極的勧奨を差し控えただけで、通知でも「副反応を説明し、同意を得た上で行うことは差し支えない」としているが、自治体によっては定期接種そのものを止めたところもあったもようで、臨床現場は混乱した。

 この混乱に終止符を打つと期待されていたのが、マウスの脳ではなく、動物の細胞で培養して作った組織培養ワクチンだ。05年5月に積極勧奨を差し控えるという通知が出た時点で化血研と阪大微生物研究会は臨床試験をほぼ終えており、05年5月と6月に、それぞれ承認申請を行っている。

 ところが、06年8月に医薬品やワクチンなどの承認審査を行う医薬品医療機器総合機構が、両社に治験の追加を指示していたことが明らかとなり、次世代日本脳炎ワクチンの承認の見通しは遠のいた。なぜ、治験の追加が必要になったのか。関係者への取材によると、総合機構が「マウス脳由来のワクチンよりも細胞培養ワクチンの方が、発赤などの副反応の発生率が高いため、ADEMの発生が減少する保証がない」として難色を示したためとみられる。

 しかし、そもそもマウス脳とADEMの因果関係が認められていないのだから、組織培養に変更したところで、ADEMが減るという確証はないはずだ。それでも100万人に1人のADEMが減少することを証明しようとすると、少なくとも数百万人規模の臨床試験が必要になる。06年9月には15年ぶりに小児が日本脳炎に罹患したが、細胞培養日本脳炎ワクチンの承認がいつになるのかは見通しが立たないでいる。

 以上見てきたように、ワクチンメーカー側の開発の不備や、国際標準と異なる日本独自の規制、審査当局の慎重な姿勢など、承認遅れの理由はさまざまだ。また、ここでは既に開発されているワクチンの事例を中心に検証したが、日本に新しいワクチンが導入されない本質的な問題は、ワクチン業界や行政の在り方にこそある。ワクチン産業や政策が抱える課題については後編で指摘することにする。(橋本宗明=日経バイオテク編集長)

注)「医療&バイオ●話題の核心」は、日経ビジネスオンラインとの共同企画によるコラムです。日経バイオテクオンラインの記事を執筆している記者のコラムが、Biotechnology Japanのサイトで不定期に無料で読めます。


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