再生医療のあり方について考えているうち、リンカーンの至言から「人々の人々による人々のための医療」という言葉を連想した。再生医療のよりよき貢献のために、整理しておくべきこと、なされたこと、望まれるべきことを新春にあたって考えてみた。

 「人々の人々による人々のための医療」を分解する。「人々の」とは、まず人々が個々に等しく「いのち」を持ち、自己に関することにおいては主権者であること、また、そうした個々人が構成する社会をも意味する。ある特定個人が誕生する確率は、生物学的には無限分の1、その存在は唯一無二で、かけがいがない。かたや個人の「いのち」は有限。このかけがえのない存在の有限の人生での可能性を最大限支えようとするのが医療や保健衛生措置である。「人々による」とは研究機関、企業、医療機関、行政、立法、マスメディアなどの関係者が主に当事者であり、そのありようを指す。「人々のため」とは、まずは患者さん、広くには、患者家族、知人友人、さらにはやがて病を得る可能性のある人々が対象となる。

 この中で、「人々による」、すなわち、関係者のありようが、絶えず課題である。「人々による」とは、目的に対する手段を示している。手段としての人々は多様な職種や立場にあり、それぞれに応じた役割を担っている。

 目的は何を対象にどのレベルで設定するかにより変わる。ある対象、レベルでの手段は、次のレベルでは目的となり、その実現のための適切な手段を必要とするという階層構造を形成している。「公衆衛生益:患者益」を目的とした場合、「医療」は手段であるが、この「医療」は目的ともなり、「医薬品・医療技術等」が手段となる。これを目的とした場合、手段として、「安全で有効(有用)な医薬品・医療技術等の創製」があり、そのために「実用化応用研究」、「企業開発研究」、「行政施策・審査」などの手段がある。この際、個々人はそれぞれの立場に応じて、目的に叶う手段としての役割を果たすことが責務である。職種的に言えば、産・官・学・医等それぞれが役割を担いつつ独立性や利益相反をふまえ、透明性の中で関係者間での適切な技術連携、情報や人材交流の活用が求められている。

 この階層性とは別の次元の重要な要素として「時間」がある。有限の「いのち」をもつ人にとって、ましてや時間の経過によりリスクが増大する患者さんにとっては、「時間はいのちでありリスク」である。また、別の次元の問題として国際競争が激化する中での時間の遅れは、国民益の喪失にもつながる。時間の要素を考えると、「公衆衛生益:患者益」を究極の目的、下流に例えた場合、上流に位置する「行政施策・審査」等では迅速性が特に求められる。そこでの流れは、全体の流れを律速するが故に、遅れることの影響は大きい。

上述のように、何を目的に、どのような手段で合理的、効率的、効果的に当面の目的達成をめざすかは、各関係者のおかれた立場や役割で自ずと異なる。あるレベルでのより目的に叶う手段をいかに進歩、発展させていくかについて、それぞれの立場にある関係者が日々努力していくのが社会としてのあるべき姿である。一方で、的をはずすと、主観的な是認や善意・努力は必ずしも客観的成果として実現しない。長い目でみたとき、社会的にも個人的にもその損失は大きい。ましてや、利益誘導的立場や、全体を俯瞰せずおかれた立場からの視点のみで事を行った場合は、全体が失うものはさらに大きい。
 
 再生医療(製品)は、先端性と未成熟さその他のさまざまな要素を内包し、産・官・学・医にわたり取組みのあり方が問われる代表的ケースである。昨年、議員立法による再生医療の研究開発から実用化までの施策の総合的な推進に関する法律、医療行為としての再生医療の安全性確保等に関するいわゆる再生新法の成立、再生医療製品等の条件及び期限付き承認制度の創設等の薬事法一部改正などがあった。特定の医療や製品がこのような法的整備によりバックアップされるのは異例であり、国際的にも注目を集めている。共通のキーワードは「迅速」と「安全」。国や関係者の責務、生命倫理に対する配慮、国際展開も盛り込まれている。行政的には、まず今年以降の政省令や基準等の適切な制定、必要な環境整備や運用よろしきを得られるかどうかが真価を問われるところであろう。

 先の法律でも明らかなように、わが国では再生医療に対して医療行為と製品という明らかに異なる視点からのアプローチをしている。これは再生医療が、「細胞」という物質的には究極の複雑さと不均一性を示し、機能的には小さな生命体であるという特殊なものを、採取、移植、事後観察という「医療行為」として取り扱うことに起因している。

 これらをいかに調和、融合させるか。また、再生医療が汎用性を持つためには、少なくとも「第2種や第3種の臨床研究から治験へのシームレスな移行展開」が必要であると考える。このため製品の品質確保面では、すでに取組みが開始されている細胞加工や施設におけるミニマムな必要条件の設定に加えて、製品の品質・安全性等の評価に関するミニマムな必要項目や条件(ミニマムコンセンサスパッケージ)の設定が必要である。これを共通のプラットホームとして、細胞製品の種類や対象疾患等に応じたケース別の上乗せ(足し算)方式が有効な方策となろう。それに関連する人的基盤も重要である。日本再生医療学会等が再生医療臨床培養士制度の創設や再生医療認定医制度の創設を目指しているのは慧眼である。

 薬事トラックについては、早期承認への道は開かれたが、具体的にどう対応するかについての充分な検討が今後期待されるところである。再生医療等製品は、その先端性と共に本質が「細胞」という従来にない特性を有し、治療効果や安全性確保には、物質面での取り扱いだけでは及ばぬこともあり、医療行為に委ねざるを得ないところも多い。現段階のスケールでは「個の医療」という色合いも濃い。したがって当面、審査はまず、しかるべき専門家集団によるいわゆる目利きと主なポイントの提示から始め、それを審査担当官がフォローする形をとる。承認にあたっては、製品のリスクの可能性と患者さんのリスクを秤にかけ、迅速に患者さんに医療機会を提供するという医療行為に軸足を置いた視点で審査する。その代わり専門性の高い医療機関や再生医療認定医より高度の専門医に限定した条件付き期限付き承認を与え、全例市販後調査の対象とするような思い切った審査内容とすることを考えるべきではないか。薬事トラックのメリットとしての経済的バックグランドは薬価や救済制度であるが、臨床研究にも研究費が投入され、健康被害補償制度が構想されている中で、薬事トラック入りを最終目標とする動機付けとなる科学的合理性をもつ審査のあり方が追求されるべきではないかと思う。

 国家の1000兆円を越える累積赤字と年間40兆円余の国債発行の中で、「日本再生の成長戦略」の具体的事例として医療や再生医療が出されている。年々増大する膨大な医療費が税金と国民の負担により賄われているが、その多くが国内での還流ではなく海外に流れ、新規医療製品や技術の開発の原資になっている現状をいかに取り戻すかの方策は考えねばならない。しかし、再生医療については、未来の医療の選択肢として捉え、赤字でも国民のために新たな医療技術を提供する、また、従来の医療製品や技術にみられた後塵を拝することによる国益の損失を防ぐとの国家の意思、覚悟として、その振興を構想すべきで、近い将来に膨大な借金を返済し、黒字化する一助となるとの文脈で語る話ではない。
 
 研究費の配分についても、将来の経済的見返りを主な理由として重点化が行われていないことを祈りたい。

 科学技術政策は、国の将来を展望しつつ、適正な施策を講じ、限られた予算の中でメリハリをつけ所要の資金を配分し、研究者の活動を督励するものでなければならない。配分の権限の保持、予算の獲得の容易さなどの誘惑で事を行ってはならない。同様にマスメディアは、ジャーナリズムの矜持を保つことを旨とし、一過性のポピュリズムにのることで購買数や視聴率をあげるとの誘惑に負けるようなことが、ゆめゆめあってはならない。研究者が研究費獲得に関し、大きく志に反したキーワードを唱える、あるいは唱えざるを得ないとすれば、それは正常な姿とは言えない。医療に関わる研究は基礎研究も含めてきわめて多様である。その多様性の中から医療に関する重要な知見が出てくる可能性も少なくない。学問の進歩は、一般的ではない立ち位置の研究者によってもたらされることも数多い。多様な基礎研究・応用研究への目配りを。日本版NIHを含めた関係機関は、バランスの取れた賢明な施策を講じることを期待したい。

 再生医療でしかなし得ないこと、医療の選択肢としてしかるべき位置を占めること、これこそが医療の中での再生医療のアイデンティティ、特色である。組換え医薬品の場合には従来の医薬品にはない特性をもつタンパク質が続々と創製され、今や化学合成医薬品と並んで薬物治療の主役となっている。細胞は、タンパク質とはさらに次元が異なる特性を持っているので期待は持てる。しかし、一般に原料細胞から細胞製品(分化細胞)を得て治療に供するという現在の開発動向をみると、もちろん革新的で画期的な部分も多くあり、近未来的には大きな期待を寄せたいが、長期的には種類や経済面で限界もあると思える。

 現行の延長線上では必ずしもない細胞由来物や手法を用いた他に代え難い治療法の開発へのブレークスルーも、「人々の人々による人々のための医療」のメインプレーヤーとしての位置を占めるのに必要であり、それに向けて2014年に成果が挙がることも期待したい。