創薬において、化合物、分子生物学、動物実験から治験、承認、販売に至る間には大きな谷がある。この谷を超えることが極めて困難なことから、死の谷に例えられることもある。これを超えるための一般的手法の発見に、研究者や企業は全力を挙げて取り組んできた。その結論はまだ出ていないが、様々な疾患の遺伝子研究が有力な候補であることは間違いない。

 薬の価値は患者における有効性と安全性である。これを達成できない薬を何とか承認に持って行く事を目的とすべきではない。従って、死の谷を超える論理は単純で、有効で安全な薬を開発することである。しかしそれを実行することの壁の高さをこれまでの多くの実例が示している。実行が困難な理由は予測の困難性にある。化合物、分子生物学、動物実験のデータから患者における有効性と安全性を予測することが難しい。薬の承認は化合物、分子生物学、動物実験の結果ではなく、治験の結果を統計的に分析した結果に基づくので、この間に高い壁がある。

 日本の問題は、この予測を科学ではなく直感、利害、情緒で行うことである。分子のデータに基づき人間の表現型を科学的に予測する唯一の方法は遺伝学である。その理由は遺伝子が原因で表現型は結果だからである。物理学と化学だけでは人間の表現型を予測する事は難しい。生物の根本原理を取り入れていない統計学も表現型を予測する力は弱い。

 例えば単一遺伝子に基づく遺伝病の場合、表現型の変化は遺伝子の変化の結果である。従って、一般の人の同じ遺伝子の同じ場所に同じ変化を起こせば、同様の表現型が得られる。遺伝子のほとんどは蛋白質をコードしているので、遺伝病における遺伝子変化による蛋白質の変化を一般の人に起こせば同様の表現型変化が起こせる。しかし、ある病気で特定のたんぱく質の変化が起きていても、それは原因と結果の関係では無い事がほとんどである。それと同じ蛋白質の変化を一般の人で起こしても、その疾患と同様の表現型が得られるわけではない。これが原因から結果を予測する場合と、結果から結果を予測する場合の大きな違いである。

 日本は人類遺伝学と遺伝医学が極端に弱い国とみなされている。その一因は、遺伝学を遺伝の科学と誤解していることにある。正しくは、遺伝学は遺伝と多様性の科学であり、遺伝医学は遺伝病だけではなく、多因子病や悪性腫瘍を含むことを理解すべきである。単に遺伝病や、モノとしての遺伝子ではなく、情報を基礎にした統一的生物学の教育に力を入れてほしい。