皆さん、お元気ですか。

 昨夜の記者会見で、東京慈恵会医科大学でもJIKEI HEART STUDYの高血圧の値で故意のデータ操作があったことが発表されました。統計解析の分担で、ノバルティスファーマの元社員と大学側の主張には大きな隔たりがあり、責任の所在については曖昧さが残りました。ノバルティスの元社員が関与した降圧剤「ディオバン」に関する臨床研究を行った滋賀医科大学、名古屋大学、千葉大学でも調査が進んでおり、5大学全部の調査でデータ操作の有無が明らかになる日も近いと思います。今や捏造の有無ではなく、問題は誰がどんな意図をもって行ったのか?に移りつつあります。米国では治験による心血管障害の予防作用(心不全、心筋梗塞)の適応拡大が行われているのに、何故我が国では治験による適応拡大を企図せず、臨床研究による情報提供で、実質上の適応拡大を狙ったのか?この経営判断が鍵を握っています。我が国の臨床研究では、米国の治験データと同じような成績が期待される圧力となった可能性もあります。当時の医薬品の硬直的な許認可体制にも一因があったかも知れません。いずれにせよ、国が中心となって徹底的に事実を調査する必要があると考えます。
http://www.jikei.ac.jp/news/20130730.html

 さて個の医療です。

 2013年7月30日、神戸先端医療センター病院のホームページ(正しくは先端医療振興財団)で、iPS細胞由来の網膜色素上皮細胞を移植する対象となる加齢黄斑変性の患者(6人)の募集が始まりました。世界で初めてのiPS細胞の臨床研究ですから、非常に厳格な患者選択の条件が課せられております、記者会見では応募者100人のうち適格者1人程度が選択される見通しだという発言もありました。適格者第一号が運良く発見されたとしても、iPS細胞の樹立・培養、そして網膜色素上皮細胞シートの作成に10ヶ月は必要で、最短でも来年の5月末か6月となる長丁場です。
http://www.ibri-kobe.org/pressrelease/pdf/ips_amd.pdf

 世界でとにもかくにも最初にiPS細胞由来の組織をヒトに移植する臨床研究を我が国で始めることの意味は大きいと思います。先月あったスイスLonza社の再生医療事業の担当者がGMPに準拠したヒトiPS細胞を2013年内に出荷する予定だと明言したことを考えると、iPS細胞研究は実用化を目指し、首の皮一枚の差を争う厳しい国際競争の渦中にあるのです。しかし、先頭打者が活躍しただけでは、広範な事業化が予想されるiPS細胞では、我が国が国際競争に勝ち抜くのは用意ではありません。連打を打つ、体制や人材の養成と事業化のインフラの整備を進めなくてはなりません。

 今回の臨床研究は、臨床研究で使用する細胞の安全性を確かめる研究に時間が必要であることから、どうしても最新の技術ではない、少し前の技術によって作成されたiPS細胞とそれに由来する網膜色素上皮細胞が使用されるという限界をまず知らなくてはなりません。以前にも書きましたが、工業化を念頭に入れると大分不利となる6因子を導入しています、それらの遺伝子発現を増強するためにプラスミドベクターに組み込まれているWPREは、がんを誘導する可能性を否定できない野生型の配列が利用されています。それから実際に移植されるiPS細胞由来の色素上皮細胞には間質細胞様細胞が混入(ひょっとしたら分けられないかもしれませんが)していることも忘れてはなりません。まだまだ未完成の技術を患者さんに適用する以上、将来この研究が成就した暁に得られる患者さんのリスクとベネフィットを秤に掛けて臨床試験を行わなくてはなりません。加齢黄斑変性は、移植細胞数が少なくて済み、しかも眼球内に移植するため、腫瘍化を非侵襲的にチェックでき、最悪の場合はレーザーで腫瘍化した細胞を焼き切ることも可能であるため、iPS細胞の臨床研究にとって理想的な対象であることは間違いありません。しかし、今後の問題としてはiPS細胞の都合ではなく、患者さんにとってどれだけの恩恵が得られるのか?また、臨床上どんなリスクがあるのか?その予防策はあるのかなど、実際の臨床研究で患者さんの協力を得ながら、慎重に確かめていかなくてはなりません。

 少し気になっているのは、患者の皮膚の線維芽細胞から誘導されたiPS細胞が今回の臨床試験では使用されています。移植した患者に、眼球内ではなく、他の部位に腫瘍が形成された場合、iPS細胞由来なのか?それとも自然発症なのか?今回の臨床試験のプロトコールでは区別が出来ないことです。網膜上皮細胞シート移植の適用対象となるウェット型の加齢黄斑変性では、移植部位から細胞が逃げ出す可能性を否定はできないためです。安全性を評価するために必要な細胞マーカーを欠いていることは認識しておかなくてはなりません。最新の技術ではT細胞からiPS細胞が効率良く誘導されます。T細胞受容体は組み換えを起こしていますから、この遺伝子は自家由来でもiPS細胞化された細胞を区別するマーカーになりうると考えています。

 安全性確保のための時差のため、最新の技術を投入できない臨床研究の宿命です。今回の臨床研究だけで、iPS細胞の安全性や実用化が担保されると考えるのは楽観的過ぎます。これからも粘り強い支援をiPS細胞のトランスレーショナルな研究には必要であることを、皆さんの心に刻んでおきたいと思います。

 今週もどうぞお元気で。

             日経バイオテクONLINE Webmaster 宮田 満

ご連絡は、https://bio.nikkeibp.co.jp/inquiry/