こんにちは。第2、第4金曜日を担当する日経バイオテク副編集長の河野修己です。

 この数週間はワクチン関連の取材に多くの時間を割いていました。ちょうどH7N9インフルエンザワクチンが中国で流行していることでワクチンへの注目が高まっている時期ですが、これは偶然。化学及血清療法研究所の新工場の落成式に参加したり、次号の日経バイオテクにUMNファーマの記事を掲載するために同社の岐阜工場を訪問したりしていたためです。

 当然、ワクチン業界の方と雑談する機会も多かったのですが、業界の皆さんが今注視しているのが北里第一三共ワクチンの動向でした。なぜ注視しているかちょっと説明が必要でしょう。

 北里第一三共ワクチンは、第一三共と学校法人北里研究所が共同出資で2011年4月に設立したワクチンメーカーです。

続報、第一三共と北里研究所、ワクチン事業で合弁設立、マジョリティーにこだわったのは「飛躍するため」と中山第一三共社長
https://bio.nikkeibp.co.jp/article/oc/2007/2758/

 国は2011年8月、新型インフルエンザワクチンの製造体制を整備するため、「新型インフルエンザワクチン開発・生産体制整備事業」に4社を採択しました。その4社とは、北里第一三共ワクチン、武田薬品工業、化血研、阪大微生物病研究会です。

細胞培養新型インフルエンザワクチンの実生産設備への特例交付金の交付先4社が決定
https://bio.nikkeibp.co.jp/article/oc/2008/1052/

 国はこの整備事業により、H5N1インフルエンザのパンデミックが発生した場合、半年間で全国民分のワクチンを準備できる体制を作ることを目指しています。4社には製造規模に応じて助成金が配分されることになりました。各社の製造規模と助成金額は、北里第一三共ワクチン(4000万人分、300億円)、化血研(4000万人分、240億円)、武田薬品(2500万人分、240億円)、阪大微研(2500万人分、240億円)と決まりました。

 パンデミック発生時は、製造に時間のかかる鶏卵培養ワクチンではなく、細胞培養ワクチンの方が有用です。各社は助成金を活用して、細胞培養ワクチンの臨床試験を開始するとともに、製造設備の建設に取りかかりました。

 この整備事業に異変が起こったのが2012年11月でした。阪大微研が突然、事業からの撤退を発表したのです。その理由は、フェーズI/II試験で十分な有効性が得られなかったというものでした。阪大微研は、ウイルスのHAたんぱく質換算で7.5μg/dose、15μg/dose、30μg/doseの3用量で試験を実施しています。承認済の鶏卵培養H5N1インフルエンザワクチンの用量は15μg/doseですから、2倍の投与量でもだめだったというわけです。このまま開発を進めて承認を取得しても、投与量を大幅に増やさなければならないため当初の計画より数倍規模の製造規模が必要になるということでした。

厚労省の細胞培養法インフルワクチン事業から阪大微研が撤退、厚労省は240億円で事業者を再公募へ
https://bio.nikkeibp.co.jp/article/news/20121123/164622/

 阪大微研が撤退を発表した時、業界関係者の多くが「北里第一三共ワクチンは大丈夫か」と思ったといいます。それはなぜか。阪大微研はウイルスの培養にMDCK細胞を使用し、アジュバントには水酸化アルミニウムゲルを使っていました。実は北里第一三共ワクチンも同じ細胞、同じアジュバントを使っています。つまり、阪大微研と北里第一三共ワクチンはほぼ同じ製造方法を採用しているのです。ちなみに、化血研はEB66細胞で培養し、アジュバントはスクアレンを使用しています。武田薬品はベロ細胞で、アジュバントは使用していません。また、整備事業の中間評価で化血研と武田薬品はA評価でしたが、阪大微研と北里第一三共ワクチンはB評価でした。関係者が「大丈夫か」と思うのも当然でしょう。

 さて、整備事業の採択では、2012年度中の承認申請、2013年度中の承認取得が見込めることが要件となっていました。果たして、3月27日に武田薬品が、28日に化血研が申請にこぎ着けました。一方、北里第一三共ワクチンは現時点でまだ申請していません。2013年度中に承認を得るには、審査にかかる期間を考慮すれば、6月末までの申請がデッドラインでしょう。

 最大の焦点は、フェーズIIIで主要評価項目を達成できているのかという点です。フェーズIIIは数カ月前に完了しているはずですが、その結果は公表されていません。第一三共の広報担当者にプロジェクトの現状を尋ねてみましたが、「申請準備中」と回答するばかりで、それ以上の情報を開示してくれませんでした。フェーズIIIでの投与量さえ教えてもらえませんでした。

 一般財団法人臨床試験情報センターのデータベースによると、同社は新ワクチンのフェーズIIIとして、既存の鶏卵培養ワクチンとの非劣勢試験を実施しています。ということは、投与量は15μg/doseと考えるのが最も合理的です。もちろんこの投与量は、阪大微研が有効性を得られなかったレベルのものです。

 厚労省にも聞いてみました。対応してくれたのは、結核感染症課予防接種室の今井美津子室長補佐です。「北里第一三共からはフェーズIIIの結果についてどのような報告があったのか」「全国民分のワクチンを半年間で準備するという目標は達成できる見込みなのか」などと質問しましたが、「企業が現在、対応を検討しているので何も答えられない」との回答でした。

 今後、北里第一三共ワクチンが迎える状況は、次の4つが想定できます。
1 フェーズIIIで良好な結果を得ており、当初の予定通りの投与量(15μg程度か)で承認申請できる
2 阪大微研と同様の状況に追い込まれており事業から撤退する
3 当初の予定より高い投与量が必要となっており、製造設備のキャパシティーに限界があるので、4000万人分の一部の返上を申し出る
4 当初の予定より高い投与量が必要となっているが、追加投資を行って製造設備を増強し、4000万人分を維持する

 第一三共や厚労省への取材の印象やこれまでの経緯から、今のところ3か4の可能性が高いと予想しています。阪大微研の穴埋めには化血研と武田薬品が手を挙げていますが、北里第一三共ワクチンが4000万人分のワクチン製造を達成できなくなった場合、その分を引き受けられるところが出てくるかどうかは不透明です。全国民にワクチンを供給するための体制構築が遅れれば、その前にパンデミックが発生するリスクも高くなります。この事業には1000億円以上の税金が投入されており、その成否はナショナルセキュリティーに関わります。北里第一三共ワクチンが今やるべきは、フェーズIIIの結果公表を含めて、プロジェクトの現状を速やかに説明することではないでしょうか。