昨日から自宅周辺や上空が誠に騒がしい。北朝鮮のミサイル発射に対して、市ヶ谷の防衛省に迎撃ミサイルPAC3が配備されたためです。本日にも発射するという噂もありますが、まったく困った国です。自らの存亡を掛けて、戦いを仕掛ける政治的な手法は既に前世紀の遺物になった認識を欠いています。上空を飛ぶヘリの騒音で、経口避妊薬の認可が我が国で滞っている時に取材をした記憶が蘇ります。我が国では1998年にやっと認可されたのですが、その段階では欧米各国ばかりか、全世界で認可が進んでおり、未認可の国は我が国と北朝鮮だけでした。最近の円高を招来した日銀の異次元の金融緩和もリーマンショック以後に欧米各国が行ってきた貨幣の供給量増大政策を小さくなぞっただけです。それだけで世界が驚くほど、日本のシステムは時代遅れだと見なされているのです。日本も規制緩和を大胆に進めないと、北朝鮮と世界の最後の資本主義国家入りを競うことにもなりかねません。まずは既得権益に大胆に切り込む必要があるでしょう。ベンチャー振興と産業の新陳代謝を掲げる安倍政権が、看板倒れにならぬよう、奮闘いただきたいと願っております。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/dai6/siji.pdf

 さて、個の医療です。

 Hela細胞には多くの読者がお世話になったと思います。Hela細胞をつかったバイオ研究に大きな波乱を呼ぶ成果が先月発表されました。ヒト細胞株のいわば標準として活用されてきたHela細胞のゲノムがヒトゲノム計画で解析された正常のヒト線維芽細胞のゲノムとは大幅に異なっていることが明らかになり、Hela細胞研究成果の再検討の必要性と、そして意外にも個の医療にとって悩ましい関門となっているヒトの全ゲノム解析データの取り扱いを巡る社会的問題が提起されたのです。実際、遺族の同意なく公開されたHela細胞ゲノムデータは現在非公開となっています(Retraction Watch)。ゲノムデータの公開を論文掲載の条件としている科学雑誌は多いのですが、全ゲノム配列のプライバシーの問題はこうした科学論文発表の原則の変更を迫るものです。しかし、ここは悩ましい。科学は真実そのものではありません。科学は真実に迫る手法に過ぎないので、科学研究の成果は追試されて初めて科学的に真実と見なされるのです。追試のためには実験を再現するために可能な限りの実験手法と実験データの公開が必要ですが、これがプライバシーに触れる可能性があるのです。まさにトレードオフ。今後、ヒトゲノム解読の成果を皆の財産として活用するためのルール制定を急がなくてはなりません。現在、改訂中の臨床研究と疫学研究の倫理指針の議論でも重要なテーマとなると認識しています。今年4月1日から施行されたヒトゲノム・遺伝子解析研究に関する改訂倫理指針も、残念ながら全ゲノム解析の取り扱いに関しては触れていません。我が国でも早急に議論を始めなくてはならないと、私は強く確信しています。

http://www.embl.de/aboutus/communication_outreach/media_relations/2013/130311_Heidelberg/
http://retractionwatch.wordpress.com/2013/03/25/geneticists-take-hela-sequence-off-line-after-lacks-family-notes-they-hadnt-given-consent/#more-13282
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/25/02/1330734.htm

 欧州分子生物学研究所のグループが、Hela細胞ゲノムを完全解読し、2013年3月11日にG3: Genes, Genomes and Genetics onlineに発表しました。1951年に死亡したHenrietta Lackさんの子宮頸癌から樹立されたHela細胞は、株化された最初のヒト細胞株となりました。増殖も旺盛であったため、以後はヒト細胞の標準として様々な医学・生物学的な研究に活用され、今や全世界のバイオ研究室で活躍しています。現在までに子宮頸癌の原因となったヒトパピローマウイルスの研究とテロメラーゼの研究でHela細胞が使用され、2つのノーベル賞を誕生させています。EMBLによれば全世界で6万以上の論文がHela細胞を使用してまとめられています。

 今回の研究で第一の驚き(ある程度予測してはいましたが)は、ヒトゲノム計画で解析された正常ヒト組織のゲノムと比較してHela細胞は著しくゲノム構造が変わっていたことです。がん細胞特有のゲノム構造の不安定さによるクロモソーム・シャッタリング(遺伝子増幅や置換などのゲノム構造変化)や染色体数そのものにも異常が検出されました。これはそもそもHela細胞ががん細胞由来であることと、長い間多数の研究室で多様な手法で継代培養された結果によるゲノムの変化であると推測しています。

 はっきり言えば、皆さんの研究室で使っているHela細胞はゲノムの構造上もそれぞれ異なるサブクローンである可能性すらあるということです。今後、Hela細胞に限らず株化されたヒト細胞を使用する研究では、名前は同じでも、いったい本当に細胞としての実態は同じなのか?という大きな疑問を抱いたまま進めざるをえなくなりました。これは今盛んに喧伝されているiPS細胞の再生医療の応用にも大問題となっている、細胞の規格化と品質管理は可能か?可能だとすればどうすれば良いのか?という議論が、必ずしも科学的に現在の段階では詰め切れない、むしろ使用の目的(効果効能や安全性)からさかのぼってある程度の範囲でファジーに定義せざるを得ないことを示しています。月曜日のメールで論じた自家培養軟骨「ジャック」も既成当局が細胞の規格化の困難さを理解、ファジーな定義を認めたことが商品化の一つの鍵を握りました。勿論、これは自家細胞故です。腫瘍化の可能性が濃いiPS細胞ではこうはいかないことは明白です。

 第二の驚きというか、納得は、もう60年前にお亡くなりになった患者の細胞でもゲノム解読した場合にはプライバシーの問題が残るという厳然たる事実です。実際、ゲノム情報は個人だけでなく、前後の先祖や子孫のプライバシーにも関わってくるということを、今回のHela細胞ゲノム公開取り下げは示しています。本人が同意しても、遺族が拒否したらどうなるのか?Hela細胞が樹立した時点では、まだ患者の人権に関する意識は希薄で、細胞提供の同意も細胞を全世界の研究室に頒布する同意も取られていません。まして当時は不可能であったゲノム解析の同意もありませんでした。しかし、今は21世紀です。ゲノム研究を取り巻く技術的そして社会的なインフラが激変しています。

 良く考えるとHela細胞の悲劇は匿名化できないという点です。この細胞がHenrietta Lackさんから採取されたことが知れ渡ってしまったため、ゲノム情報と個人の特定を切り離すことができないという特殊な事情が今回の事件の背景にあります。私のような凡人はこうした頸木はなく、匿名化によってゲノム情報を皆の財産とすることが可能です。全ゲノム情報の公開と利用を、匿名化を軸に早急に議論しなくてはならないと思います。皆さんの考えはいかがでしょうか?

 雨降って地固まる。この議論は個の医療の実現を支えるインフラを形成します。どんどん議論を始めましょう。

 どうぞお元気に。

             日経バイオテクONLINE Webmaster 宮田 満

ご連絡は、https://bio.nikkeibp.co.jp/inquiry/