Wmの憂鬱、我が国ががんドライバー遺伝子探索で勝つために必要なもの【日経バイオテクONLINE Vol 1837】

(2013.01.29 00:00)
宮田満

皆さん、お元気ですか。

 全豪オープンは女子はアザレンカ、男子はジョコビッチ選手の優勝で閉幕しました。

 多数の日本選手の一回戦突破もあり、日本のテニスレベルが向上していることを実感する戦いでした。昨年から休養十分の選手が世界中から集合したシングルスは苛烈な戦いとなりました。2週間にわたる戦いで命運を分けたのは、高度なテニスを支えるフィジカルでした。全豪のハードコートはかなりグリップが強いため、急速な方向転換を可能にしますが、その分、猛烈な加速度(G)を自らの下半身にかけ続けることになります。決勝で敗退したリーナもマレーも、試合中に発生した故障でプレイの質ががくんと落ちました。あれだけ万全の用意をし、しかも肉体にも恵まれている各選手がたった2週間ですり切れるほど、過酷なトーナメントでした。その過酷さを生む献身故に、観客は眼も心も引きつけられるのです。テニスもここまで至れば、肉体が壊れる寸前を刃渡りを競う究極な格闘技です。

http://www.australianopen.com/en_AU/scores/schedule/index.html

 さてバイオです。がんゲノム解読という究極のバイオ研究がいよいよ本格的に果実をもたらす段階に入って参りました。国際的に進んでいるがんゲノム計画も次々とがんが発生するゲノムの変化を詳らかにしています。但し、こうした網羅的戦略では、多数発見したがんゲノム変異のどれを阻害すればがんの治療薬の開発に繋がるか?詳細な生物学的な機能分析が必要となります。

 テニスに例えれば、予選を通過したがんゲノム変異が、いよいよ本戦で治療標的となるか、バリデーションを受ける段階です。しかし、ここが難しい。例えば、多数のがん組織で発現しているがん遺伝子、rasです。この遺伝子を導入すれば、細胞はがん化もします。しかし、現在の段階で基礎研究としてはがん遺伝子の老舗であるRASの阻害剤は、現在までにに抗がん剤として多数開発されていますが、臨床的には抗がん剤として成功していません。がん細胞における出現の頻度だけでは、特的のがんゲノム変異を抗がん剤が必ずしも創薬標的にならない、ここががんゲノム研究の泣き所です。平行関係は必ずしも因果関係ではないのです。

 がんは確かにゲノムの病気ですが、現在のがんゲノム計画はがんにどんなゲノム変異が起こっているか?博物学的な記述の段階にあるのです。勿論、こうした膨大ながんゲノム変異のデータベースから、最終的にはがんゲノム変異ネットワークの意味が解読でき、こうした変異の組み合わせには、がん遺伝子AとBの阻害剤の組み合わせが効果があるといった医薬品の処方情報や創薬標的としての価値を推定するがんのダイナミックなシミュレーションモデルも、いずれ誕生するでしょうが、そのためにはまだ精進が必要です。

 ヒトゲノム計画で名を捨て、ヒト全cDNAプロジェクトを展開、名を取った我が国は、がんゲノム研究でも実を取りつつあります。がんのドライバー遺伝子(この遺伝変異があればがんになる、強烈ながん遺伝子)の探索では、EML4-ALK融合遺伝子を発見、肺がんの治療薬クリソチニブをがん融合遺伝子の発見からわずか4年で商業化に結びつけた自治医科大学・東大の間野教授らのグループは、現在、JSTの支援を受けて、3種以上のドライバー遺伝子を既に発見したと発表、それを対象とした医師主導治験が続々と我が国で始まっています。本当はもっと多数のドライバー遺伝子が発見されている感じですが、発表が追いついていない状況です。まだまだ、間野教授が開発した少数の細胞から得られたcDNAを精密解読する手法はがんドライバー遺伝子の究明に威力を発揮しています。

 これに次世代ゲノム精密解析技術を組み合わせ、医療機関と共同研究し詳細な臨床情報を持つ質の高いがん組織を解析対象とすれば、もっと多くのドライバー遺伝子を発見することは可能だと確信しています。特に、ドライバー遺伝子は強烈な発がん作用があるため、若年性に発症するがんに多く出現します。若年性がん患者の協力を得て、集中的にがんゲノム変異を解析すれば、発見の確率も増大する訳です。臨床と基礎が抱き合い心中する位の協力関係が構築できる日本であればこそ、がんゲノム研究のアキレス腱を臨床の知識と解析の精度の融合で乗り越えることができるのです。

 EML4-ALK融合遺伝子を標的としたクリソチニブは、残念ながら米ファイザー社がMEKキナーゼの阻害剤として臨床試験を展開していたもの。間野教授の発表で迅速に臨床開発を転換したために、わずか4年という歴史的な短期間で商品化が可能となりました。間野教授が発見したドライバー遺伝子であるRET融合遺伝子キナーゼを阻害する薬剤も、残念ながら海外の企業が開発し既に発売しているソラフェニブやバンデタニブが阻害することが分かり、それぞれ2012年、そして今年1月から我が国で医師主導の臨床治験が始まりました。これによって適応拡大が認められれば、患者さんの福音となります。

 残念ながら我が国の製薬企業が生活習慣病開発に淫している間に海外の製薬企業はたんぱく質キナーゼの阻害剤開発に奔走、ほとんどのキナーゼに対して阻害剤の品揃えを終わっているため、融合遺伝子型のドライバー遺伝子を創薬標的とした抗がん剤の商品化は、日本企業は後塵を拝せざるを得ない状況です。我が国の企業は2000年以降、買収した企業を除き、自社開発したがんのたんぱく質キナーゼの阻害剤を商品化できていない惨状です。

 では、がんドライバー遺伝子の研究は患者の福音となるが、我が国の医薬産業の成長には貢献しないのか?

 私の答えはきっぱりと否です。たんぱく質キナーゼはしょうがないでしょうが、がんのトライバー遺伝子の研究から非キナーゼ型のたんぱく質やキナーゼと他のたんぱく質などが会合した複合体そのものが創薬標的となる可能性が出て来ると信じているためです。まだまだ新規標的がここからは見つかってきます。我が国の製薬企業はこうした新しいジャンルの創薬標的に、積極的に挑戦しなくては明日はありません。EML4-ALK融合遺伝子の価値を評価できなかった我が国の製薬企業は懺悔し、リスクを取る覚悟が必要です。ユビキチンキナーゼ、エピジェネティックス、たんぱく質相互作用、あるいはアンチセンスDNA(ゲノムの不安定性はmiRNAによる可能性があります)など、新しい創薬標的に対するケミカルライブラリーを構築して置かなくては成りません。

 新しいタイプのがんドライバー遺伝子を発見するため、現在JSTのプログラムや次世代がんプロジェクトなどで、我が国の研究者は限定された予算を惜しみながら、ぎりぎりの戦いを国際的に展開しています。全豪オープンに例えれば、我が国の研究者の身体のみならず、懐が壊れそうといった状態です。予算規模が一桁から二桁違う米国を相手に智恵と手先の器用さ、そして献身で勝負をしています。間違いなく、次世代の抗がん剤開発で我が国の研究者はこの10年間決勝進出が出来るところまできたと考えています。

 では、決勝で勝つには、何が足りないのか?

 最先端のがんゲノム研究者が口を揃えるのは、現在は次世代シーケンサーの数が律速だが、ここ1-2年で膨大なゲノム情報や変異情報を処理して、臨床的な価値を発見するための情報処理能力が律速となる、ということでした。現在は東京大学医科学研究所のスパコンが、ゲノム解析の情報処理センターとして活用されていますが、電気代や運営費交付金の削減で、情報処理能力の増大に四苦八苦している状況です。神戸の京も救世主となり得ますが、現在の運営方法では多数のゲノム配列を並列解析するのは困難です。多数データのローディング手法の開発や運営規則の改定を行わないと、がんドライバー遺伝子解析には役に立たない。こうした官僚主義は一日も早く、排するべきであると思います。

 しかし、問題の根は現在のCPUの開発が2008年から本質的に進歩を止めていることです。現在はCPUを多数つなぐことで計算機能力を増大していますが、使用電力、発生する熱処理のためにこのやりかたはもう限界が見えています。ゲノム解析のコストと処理量の伸びが、半導体の進歩を示すムーアー法則を大幅に上回った結果、本当に近い将来、計算機がバイオ研究の頸木となることは避けられません。

 2Wしか思考するために使っていない、私たちの脳の解明が、私はこのバイオ情報処理の危機を救うと固く信じています。

 今週も皆さん、どうぞお元気で。

             日経バイオテクONLINE Webmaster 宮田 満

 ご連絡は、https://bio.nikkeibp.co.jp/inquiry/

バックナンバー新着一覧

PR・告知製品・サービス一覧人材・セミナー・学会一覧