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バイオインフォマティクス & システムバイオロジーの世界の潮流(第45回) 
1. ENCODEプロジェクト成果発表、2. 英国の合成バイオロジー施策
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2012年9月20日
八尾 徹 yao@riken.jp
理化学研究所
(兼) 産総研, 慶應義塾大

「理研サイネス八尾レポート」

皆様 さわやかな秋の日々、皆様お元気でお過ごしのことと思います。今回は次の2件をご紹介いたします。

[1] ENCODEプロジェクト成果報告

ゲノム科学の分野での最近のビッグニュースは何といってもENCODEプロジェクトの成果総合報告(2012.9.5 Nature 6論文他 計32論文)でしょう。2003年に米国NIH主導で始まったENCODEパイロットプロジェクト (ヒトゲノム1%領域を対象)の成果を受けて、2007年から始まった国際的な本格プロジェクト(ヒトゲノム全領域を対象)の報告です。

世界各国から合計32研究機関(約80研究室)、442名の研究者が報告しています。(米、英、仏、独、スペイン、スイス、伊、加、中国、シンガポール、日本ほか)ENCODE(Encyclopedia of Human DNA Elements)プロジェクトは、ヒトゲノム上の機能を持つDNA領域をすべて同定しようとするもので、今回の最重要な結論はヒトゲノム上のDNAの80%が生物的機能を持つことを確かめたことで、従来ゲノム上のDNAの2%以外はジャンクであると言われていたことを完全に覆したことであると言っております。

ただ、このことはすでに日本のプロジェクトで早くから言っていたことで特に驚くことではありません。2005年に日本のゲノムネットワークプロジェクトとFANTOMチームがRNA新大陸の発見としてゲノム上のDNAの70%以上はRNAに転写されているという報告をしました。今回このことが国際的に追認されたとことになりました。

むしろ今回の大きな成果は、転写制御系の詳細な解明にあるでしょう。この遺伝子制御ネットワーク解析についても日本は先駆的でした(下記)。

以下、今回の報告の要点を記します。
1.ENCODEパイロットプロジェクト 2003年~2007年 NIH支援$41M+各国ENCODE本格プロジェクト 2007年~2012年 NIH支援$123M+各国2007年からは、モデル生物(線虫とショウジョウバエ)のゲノム機能エレメントの解析を行うModENCODEを並行してスタートさせました。(+$30M)なお、これらのプロジェクトの進行に合わせて、DCC (Data Coordination Center)が設立されたことと、関連技術開発(NGSを含む)が支援され続けたことも見逃してはならないと思います。ENCODEプロジェクトは、更に引き続いて第3期を始めると言っています。(NIH支援 約 $120Mと想定、2012年秋募集開始)
2.今回の報告論文は32報(Nature 6、Science 1, Cell 1, Genome Biology18, Genome Research 6)に上ります。主論文は下記の通り。
1) ヒトゲノムのDNAエレメントの総合百科事典 
2) ヒトゲノムにおける接近可能なクロマチンの全体像
3) 転写因子フットプリントにコードされているヒト調節配列の包括的な目録
4) ENCODEデータから得られたヒトの調節ネットワークの構造
5) ヒト細胞における転写の全体像
6) 遺伝子プロモーターの長距離相互作用の全体像
これ以外に個別レポート多数。
3.147種の細胞を用いて、1649実験でのゲノムデータを収集して解析した。
4.RNAへの転写はRNA-Seq, CAGE法*などで、タンパク質コーディング領域は質量分析計で、転写因子結合部位はChIP-Seq,などで、クロマチン構造は、DNA-Seqなどで、そしてDNAメチル化サイトはRRBSアッセイ法で確かめた。
*CAGE法は、RNA転写開始点を見つける有力な方法で、今回の解析に多用された。この方法は理研で2003年に開発され、ゲノムネットワークプロジェクトで大きな成果を挙げた。さらに2010年にナノCAGE(ナノグラム試料で解析できる)法に発展し、今回のENCODEプロジェクトに貢献した。
5.これらの多数の実験結果を比較整理して、ゲノム上の80.4%は、少なくとも一回ある細胞でRNAに転写されていることを確認した。
6.7万以上のプロモーター領域、40万近いエンハンサー領域を同定している。
7. GWASなどで明らかになっている疾患関連遺伝子変異の4分の3以上は、制領域とオーバーラップするゲノムの部分に落ちていることが明らかになった。
尚、今回のENCODE報告に関連し、タンパク質コーディング遺伝子についての論文2件が同時に出されています。
1)GENCODE   Genome Research, 22, 1760-1774, Sep.2012
     英サンガーセンター(Dr.T.Hubbard他)主体のプロジェクト 20,687遺伝子
2)CCDS   Genome Research 19, 1316-1323, 2012
     米NCBI (Dr.D.Lipmanほか)主体のプロジェクト  20,159遺伝子
  
これら以外にも、ENCODEデタベースを活用した研究成果が、今後多数発表されるでしょう。ヒトゲノムの理解が急速に進むと期待されます。

本プロジェクトに対する日本の先駆的貢献は次の4点であると言えましょう。
1.RNA新大陸の発見(Science, 2005)
2.遺伝子制御ネットワーク解析 (Nature Genetics, 2009), (Cell 2010)
3.CAGE法, nanoCAGE法の大幅採用 (Nature Methods, 2006, 2010)
4.GWAS法の開発、その後の疾患関連遺伝子同定の急増 (Nature Gent.2002)
日本がこのような重要な国際的なプロジェクトに先駆けて成果を挙げ、またその中でも重要な役割を果たせたことはたいへん嬉しいことです。

[2] 英国の合成バイオロジー推進施策
 本年7月、英国 Technology Strategy Board から「英国合成バイオロジー
 ロードマップ」が公表されました。その直前5月には英国政府が、合成バイオロジービジネスを促進するための$10M グラントを計画していると、発表しています。更に9月12日には、英国に「合成バイオロジー知識イノベーションセンター」(IKC-Innovation and Knowledge Center for Synthetic Biology)を設立すると宣言しました。更に、BBSRC (Biotechnology and Biological Sciences Research Council) は、EU-FP7計画でサポートされているERASynBio Network (16ヶ国参加の欧州合成バイオロジー研究ネットワーク) に加入すると言っています。

「英国合成バイオロジーロードマップ」
短期(~2015年)、中期(~2020年)、長期(~2030年)について提示しています。このような政策を強く打ち出している背景には、合成バイオロジーの世界市場規模が現在(2011年) の$1.6Bから2016年に$10.8B に急速に拡大する見通しであること(BBCリサーチ)と、英国がこの分野で強い立場にあるとの認識があります。

合成バイオロジーの応用分野・市場については、次の6分野を挙げています。
1.医療・健康、 2.精密化学・特殊化学品(化粧品ほか)  3.エネルギー、4.環境、 5.センサー、 6.農業・食糧加えて、基盤技術の整備を重要視しています。

合成バイオロジーは、生物学・化学・工学・ITなど多様な分野の融合によって進める必要があるため、知識・技術の融合センターと人材育成の必要性を強調しています。一方では、社会の受容や規制の整備を重視し、チェックアンドバランスが大切と論じています。

英国のこの分野における強さについて述べています。ここで最初に強調していることは、画期的なブレークスルーの実績(特に生物科学、工学、IT分野)とそのイノベーションを積極的に支えてきた機関 (HEFCE, EPSRC, BBSRC他) の存在です。(これらの支援状況を具体的に述べています)合成バイオロジーの世界の研究者数は約3000人で、その中で、研究論文数では英国は米国に次ぎ第2位であるとしています。更に英国における強力な化学会社、製薬・バイオ企業の存在を強みの一つとして挙げています。

その上で、下記の5点を進めるように提言しています。
1.多分野融合センターの設立(陣容・資源・設備・連携など)
2.全英の合成バイオロジーコミュニティの形成(SIG結成、人材育成、ELSI)
3.技術->市場 加速のための投資
4.国際的なリーダーシップ
5.総合司令塔の設立

英国は今後、このロードマップに従って、強力な施策をとってくることと思われます。

今回は、上記2件をご紹介いたしました。
皆様のますますのご健勝をお祈り申し上げます。

                  2012年10月25日 八尾 徹   

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 壊れたのは洗濯機ではなかったのに
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 こんにちは。第2、第4金曜日を担当する日経バイオテク副編集長の河野修己です。

 10月の日経バイオテクは、京都大学の山中伸弥教授のノーベル賞受賞決定の話題一色だったと言っても過言ではありませんでした。

京大の山中教授、ノーベル生理学・医学賞を受賞、実用化への期待も後押し
https://bio.nikkeibp.co.jp/article/news/20121008/163646/

ノーベル賞有力候補者のトムソン・ロイター引用栄誉賞、2012年ノーベル生理学医学賞の山中伸弥教授は的中
https://bio.nikkeibp.co.jp/article/news/20121009/163668/

京大・山中教授インタビュー、「iPS細胞の作製技術と同様に評価技術も重要」
https://bio.nikkeibp.co.jp/article/news/20121012/163726/

BioJapan2012、ノーベル賞受賞した山中教授が登場、「iPS細胞ができるメカニズム解明に前進」
https://bio.nikkeibp.co.jp/article/news/20121015/163762/

「iPS細胞は次の段階に突入した」、BioJapan2012、山中所長楽屋裏独占インタビュー
https://bio.nikkeibp.co.jp/article/news/20121015/163780/

山中教授がCSTP会合に出席、研究支援する人材の充実求める
https://bio.nikkeibp.co.jp/article/news/20121019/163854/

 株式市場でも、山中教授と共同研究を行っているタカラバイオや、再生医療を主力事業とするジャパン・ティッシュ・エンジニアリングの株化が急騰しました。それだけでなく、バイオ銘柄全体に買いが集まり、日経BP・バイオINDEXが久しぶりに150を回復する事態になりました。ノーベル賞の威力恐るべしというところでしょうか。

日経バイオテク10月22日号「In The Market」、ノーベル賞の霊験あらたか、急騰、ストップ高が相次ぐ
https://bio.nikkeibp.co.jp/article/news/20121026/163957/

 バイオ業界にとっては、確かにこれほどはないというビッグニュースですが、日本人のノーベル賞好きは先進国の中では特異なのかもしれません。あるバイオベンチャーの経営者が教えてくれましたが、共同受賞者であるJohn Gurdon教授の新聞記事は、地元イギリスではベタ記事だったそうです。

 ところで、日経バイオテク10月22日号の「業界こぼれ話」にも書いたのですが、世間では、山中教授が受賞の知らせを聞いた時、洗濯機を修理していたということになっていますが、壊れていたのは洗濯機ではなく、洗濯機を置くための台です。本人が、BioJapanのセッションでそう説明していました。

日経バイオテク10月22日号「業界こぼれ話」
https://bio.nikkeibp.co.jp/article/news/20121025/163939/

 田中真紀子・文科相が音頭を取って、閣僚有志で新しい洗濯機の購入費用を贈呈することになったようですが、山中教授は何に使うのか。次に取材する機会があったら、聞いて見たいところです。

 日経バイオテクでは、これまで掲載してきたiPS細胞に関する記事を集め、さらに解説を加えた電子書籍を発行しました。iPS細胞に関するどの書籍よりも、多くの専門情報を詰め込んでいます。詳しくは以下のサイトをご覧ください。
http://nbt.nikkeibp.co.jp/bio/entry/ipscell/