Wmの憂鬱、中外製薬がシンガポールの子会社とヒトの大腸がんの本当のがん幹細胞を発見、論文発表【個の医療メール Vol.454】

(2012.10.24 19:00)

 急速に冷え込んできました。横浜の銀杏も心なしか、黄変する準備を始めたかのようです。一見ゆったりと風に揺れる葉の中は、葉緑素を分解する準備で大童だと思います。よく見ると、一枝に付いている葉でも葉毎に冬支度の濃淡が異なっています。この多様性がどこから来るのか?多細胞生物にとって、多様性拡大と恒常性の維持のバランスこそ、身勝手に変化する地球の環境や社会の変化に対応し、生き残るための唯一の戦略です。この謎を解くことが、死と生命の神秘に迫る最短距離だと考えています。そして、高齢化社会が直面するがん死亡率の増大とアルツハイマー病など中枢神経疾患の憂いを晴らす可能性があるのです。

 さて個の医療です。

 「顆粒球コロニー刺激因子(G-CSF)のクローン化競争に勝った時と同じか、それ以上に研究陣は皆、エキサイトしている。盆も暮れも正月もなかった」

 今週、中外製薬がシンガポールの子会社PharmaLogicals Research社とで、ヒトの大腸がんの本当のがん幹細胞を発見、論文発表しました。腫瘍専門医が「本当に企業がやったのか」と驚愕したように、基礎研究としても大きなインパクトのある研究成果です。この研究で同社の研究陣の士気が高揚し、G-CSFの研究が中外製薬がバイオ医薬企業へと変貌する基盤を形成したように、必ずや、がん幹細胞に基づく画期的ながんの治療薬開発や再生医療に同社が参入するため基盤となると期待しています。中外製薬は抗体医薬開発でも、世界を牽引していますが、今回の研究発表は今後、細胞生物学を主な武器とする新たな医療革命の担い手としても、同社が名乗りを上げたことを意味する(研究戦略を過たずば)と思います。
https://bio.nikkeibp.co.jp/article/news/20121024/163910/

 iPS細胞を取り上げるまでもなく、わが国は次のバイオテクノロジーの主戦場である細胞に関して、米国と競争可能なインフラを持っています。今回の研究成果は、わが国が誇る実験動物中央動物研究所の免疫不全マウス(NOGマウス)に、ヒトの大腸がん組織を移植し、そこから分離した細胞を分画して、造腫瘍性を目安に選抜し、継代培養を繰り返すことによって、大腸がんの幹細胞群を純化することに成功したものです。NOGマウスが存在していなかったら、試験管という人工的な環境でがん幹細胞を選抜せざるをえず、アーティファクトの罠に陥ったと思います。マウス体内で腫瘍形成を再現したことで、初めてヒトの大腸がんのがん幹細胞に肉薄できたのです。造腫瘍性のチェックには、病理組織を観察するという手間をきちっとかけました。結局、この研究には10年もの歳月が必要でした。今や若手がほとんど任期制となってしまった大学では、こうした粘り強い研究は不可能だったと思います、終身雇用をしっかりと保証された企業ならではの研究成果だと考えます。

 大腸がんの幹細胞の報告は、1997年にも存在します。その時に大腸がん幹細胞の細胞表面マーカーは、CD133陽性でありました。残念ながら中外製薬の研究ではこのマーカーはがん幹細胞とはあまり相関しないことが判明しました。代わって、LGR5陽性というのが同社が突き止めた大腸がんの幹細胞のマーカーでした。少なくとも、半数の患者さんの大腸がん組織から分離したがん幹細胞はLGR5陽性でありました。大腸がんのがん幹細胞の約半分のマーカーになると考えます。LGR5陽性の細胞は10細胞を移植するだけでNOGマウスにしっかりとしたがんの病理組織像を持つ腫瘍を形成します。極めて造腫瘍性の強いがん幹細胞です。しかも、幹細胞の基本的な性質である、不均一な分裂も起こすことが確かめられています。

 冒頭で、本物の大腸がん幹細胞を見つけたと、表現したのはこうした理由なのです。しかも、抗がん剤イリノテカンをLGR5陽性細胞に添加して培養すると驚いたことに、半数は死にますが、半数は培養皿の底面に接着、1ヶ月以上、低栄養の幹細胞培地でいっさい分裂せずに生存するようになるのです。この時、LGR5陰性に転じます。さらに、そして更に驚くのはこのLRG5陰性細胞を回収して、NOGマウスに移植すると腫瘍を形成したことです。細胞を酵素処理で剥がし、NOGマウスに移植するプロセスで、LGR5陽性細胞に転換し、造腫瘍性のあるがん幹細胞へと変わったのです。抗がん剤など、環境刺激によって、NOGマウスの継代移植によってあれほど純粋にしたLGR5陽性細胞に存在した多様性が露わとなったのです。私たちはがん幹細胞を純粋に取り出せるというイメージを抱きがちですが、細胞は常に環境要因やお隣の細胞との関係によって、運命や性質をダイナミックに変化させる存在です。機会の部品のように規格が変わらない不変性を細胞に求めてはならないということです。今後、細胞を記述するためには、ゲノム、トランスクリプトーム、細胞表面マーカー、そして細胞間の社会構造、最後に環境を変数として記述しなくてはならいかも知れません。これはiPS細胞などから分化誘導した細胞を細胞医薬として品質管理するための課題でもあります。

 残念ながらLGR5をノックダウンしても、幹細胞性が変化しないため、LGR5はがん幹細胞の関連マーカーに止まります。抗体医薬を開発することは可能でしょうが、今後はLRG5を手掛かりに、がん幹細胞性の本体に迫る基礎研究と低分子の抗がん剤のスクリーニングを同社は急いでいると推察しています。また同様なスクリーニングプロセスを活用して、他のがんの幹細胞の探索も重要な課題となります。急性骨髄性白血病を皮切りに、乳がん、前立腺がん、脳腫瘍、頭頸部がん、膵臓がん、そして大腸がんなどでは、がん幹細胞が報告されていますが、それ以外のがんや報告済みのがんでも、違うがん幹細胞群の発見も期待できるでしょう。

 がん幹細胞を攻略できる医薬品ができれば、がんの再発や転移などの防止薬の開発に直結します。但し、あまり楽観的となることも勧めません。何故なら、細胞は環境の変化に適応する能力を持っているからです。Aというがん幹細胞を攻撃する治療薬で治療する内に、それに耐性を持つBというがん幹細胞が出現する可能性が残っています。この問題を解決するには、細胞が環境によって変化する仕組み、つまり多様性発生の機構解明という、生命の基本能力に挑戦しなくてはならないでしょう。こここそ、アカデミアの出番であると、私は考えます。若い読者の方は是非ともご挑戦願います。

 どうぞ、今週もお元気で。

             日経バイオテクONLINE Webmaster 宮田 満

ご連絡は、https://bio.nikkeibp.co.jp/inquiry/

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