昨夜の錦織選手は完璧な試合で、初のウインブルドンの1回戦突破を成し遂げました。腹筋の故障で全仏を休場したため、体調はきわめて良好。芝のコートでもあり、サーブの調子さえよければ、松岡修造選手のベスト8の記録を打破できる可能性があります。政局の流動化と仕事に加えて、EURO2012の準決勝と決勝もあり、今週から来週の月曜日まではまさにてんてこ舞い。これはLondoオリンピックまで続く、試練とも言うべきものです。何とか立ち向かいましょう。

 さて、個の医療です。

 2011年のノーベル医学生理学賞は、自然免疫を司るToll-Like Receptorの発見者と樹状細胞の発見者に与えられました。我が国でも、政局が極端に流動化しなければ、薬事法改正の一番の売り物である再生医療・細胞治療の明文化が国会の焦点となるはずです。そしてがんの再生医療・細胞治療で我が国で展開されている水面下の戦いの焦点もまた、樹状細胞なのです。

 争点は明快とも言えます。巷にあふれている樹状細胞のがんワクチン療法を、医師法で監督するのか?薬事法で監督するのか?に尽きるといってもよいでしょう。医師の裁量権によって科学的な実証を伴わず業として行われる場合は、医師法の管轄になります。これは自由裁量であるため、新しい医療技術を患者さんにいち早くお返しできるという屁理屈も成り立ちますが、一面では効果効能が科学的に確かめられることがなく、医療がかつての呪術と一体化していた時代に後戻りする虞もあります。当然のことながら、こうした医療では研究者同士の科学的な批判も起こらず、信ずる者だけが救われる、一種の信仰の袋小路に陥り、到底発展も期待できません。

 勿論、末期のがん患者やその親族には、藁をもすがる気持ちがあることは当然です。したがって、効能効果がまだ科学的に証明されていなくても樹状細胞ワクチン療法に頼ることは理解できることです。しかし、これを健康保険制度で費用をまかなうとなると、筋違いであると考えます。冷たいようですが、患者や患者の家族の気晴らしのための医療行為は健康保険制度の対象にはなり得ません。国民の汗で支えられている保険医療費は、効能効果と安全性が科学的に証明された医療に限定されるべきだからです。高齢化社会が深まり、これからますます貴重となる保険医療費を分配するには、万人が納得する最も有効な手法である科学による実証に依存するしかないのです。気晴らしや信仰は他人に迷惑をかけず、ご自分の費用で賄うのがまっとうな人間の態度だと思います。

 従って、十分な説明と合意の下、自由診療で、しかも自分の樹状細胞を使用した自家樹状細胞ワクチンを、診療所やクリニックで医師の責任で施術することは否定しません。しかし、ここ止まりです。もし、大学やナショナルセンターなど、本来、科学による医療の技術革新を担う、言葉を換えれば呪術と医学の分離を推進する先進医療機関が、現在の段階で自家樹状細胞がんワクチン療法を通常の医療行為として行うことには大反対です。一部の大学やナショナルセンターでは、この限界を超える過ちを犯しておりますが、文科省や厚労省からの運営費交付金が絞られつつあるからといって、これは看過できません。どうしても「患者さまのご要望に応えたい」というのなら、大学やナショナルセンターの看板をまず降ろしてから、取り組んでいただきたい。皆さんのミッションは科学的に証明された次の保険医療を開拓することなのです。

 という訳で、臨床研究はどんどんやっていただきたい。しかし、条件が一つあります。臨床研究のための臨床研究では意味がない。最終的には先進医療、そして企業と提携して、薬事法で医薬品や医療用具として製造・販売申請を行うことを、目的にしなくてはなりません。論文を書いて終わり、というのは応用生物学である医学の最終目標ではありません。皆さんが起こした医療の技術突破を、我が国の患者に持続的に供給する仕組み、つまり企業化を進めなくてはならないのです。

 樹状細胞発見で2011年のノーベル医学生理学賞の栄誉に輝いた米Rockfeller大学のRalph Steinman教授は、彼が発見した樹状細胞を体外で培養し、自分のがん組織から抽出した抗原で感作した後に、体内に移植すれば、がんワクチンになることを思いついたパイオニアでした。実際、膵臓がんに犯された同教授は、最先端の自家樹状細胞ワクチンを試し続けたのです。ノーベル賞の候補者にノミネートされていた同教授は家族に「受賞までなんとしても生きる」と軽口をたたいていたのですが、その隠された自信には自己の開発しつつある自家樹状細胞ワクチンに対する愛があったと感じます。しかし、ノーベル医学生理学賞の受賞告知の3日前に、Steinman教授はこの世を去りました。さぞかし無念であったでしょう。ノーベル財団が、本来死者には賞を与えない原則を破ってまで、同教授に授賞したことがささやかな慰めです。

 ことほど左様に、自家樹状細胞がんワクチン療法の完成までの道のりはまだ遠いのです。安易な期待も、下らぬ悲観も無用です。Steiman教授がこじ開けた樹状細胞ワクチン療法を、こつこつと科学的に証明を積み重ねていくことしか、王道はありません。これが完成した時こそ、「効いた」「効いた」と患者の声をホームページを連ね、意味あるコントロールも設定していない症例蓄積を根拠に、仮初めの繁栄を謳歌している呪術的な自家樹状細胞ワクチン療法の呪縛から患者さんが解放される時なのです。

 残念ながらサービス業である自家再生医療・細胞医薬には、製造業である製薬企業はビジネスモデルが違い過ぎて、投資できないのが現状です。この分野はリスクを取るベンチャー企業に依存せざるを得ないのです。科学に基づいて検証を重ねると腹をくくったベンチャー企業を薬事法の改正でも支援するために厚労省や官房の医療イノベーション推進室は、是非とも知恵を絞っていただきたい。経産省も来月、再生医療の研究会を立ち上げると聞きました。是非とも仲良く、足並み揃えて日本の再生医療の実現に本腰を入れましょう。

 今週もどうぞ、皆さんお元気で。

             日経バイオテクONLINE Webmaster  宮田 満
             日経BP社特命編集委員

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