Euro2012もあるし、フレンチオープンの男子決勝は雨天順延するし、極東に居住する悲哀から、眠る暇がありません。本当は見るぞと思って、TVを付け万端用意してソファーに寝転ぶと、次に目を開けた時には得点が入っていたり、同点になっていたり、ぶつぶつに編集された感じの観戦。つまり実質的には眠っているということです。しかし、オランダがデンマークに1:0で敗戦したのには、びっくり。あれだけ身体能力の高いスーパスターを並べても、チームとしての連携を欠くと、サッカーでは勝てません。これで冗談で無く、予選で優勝候補が敗退する可能性が出てきました。ますます眠れぬ夜が続きます。

 勿論、バイオでも連携が不可欠です。中でも失われた20年の我が国に宿痾として明確になったのは、国内の官も公も民にも存在する縦割り組織が効率性を失い、時には国民や社員に不利益を生じるまでに徒長していることでした。バイオの研究開発でも、それは文科省、それは経産省、それは厚労省と、患者にはどうでもよいような分類に従った、予算執行のため、優秀な官僚や優秀な学者がまじめに取り組めば取り組むほど、組織の溝が深まる構造です。

 しかし、ユーロの次は1990年代末に次ぐ二度目の円危機到来が囁かれるところまで来たため日本政府も、やっと従来の縦割り統治機構に修正を加える試みを始めました。この動きは是非とも加速していただきたい。そうでなければ、資源に乏しい我が国は、世界に提供できる価値の創造スピードが減弱し、今の生活水準を維持することは困難になる危機感を持っています。国際的に技術革新の競争が始まっている今、要素としては世界と張り合えるのに、全体としては長期低落している我が国の技術突破力の復興は、要素に対する投資ではもはや行き詰まり、技術突破の全体の最適化がどうしても必要となってきたからです。まるで教科書的講義で申し訳ないが、イノベーションを重視した、経済学者シュンペーターは「経済発展の理論」で当初、イノベーションを新結合(Neue Kombination)と名付けていたことは重要です。我が国ではイノベーションを技術突破と訳したために、技術開発だけがイノベーションのエンジンであるかのごとく議論されていますが、これは大きな誤り。技術開発と安全性確保、経済性確保、投資の確保、大規模製造の推進、流通の確保、国民への価値の提示、民意のくみ上げなど、技術を国民に還元するための社会インフラとの結合が、イノベーション成就のために必要なのです。我が国の各省庁の職掌は基本的には太政官制度の枠組みを残しており、各省庁の溝がイノベーションの本質である新結合を阻んでいます。民間の大手企業の統治組織も基本的には官のデッドコピーであり、小さな権限争いが新結合を阻んでいる構造は同じです。

 我が国は技術突破の誤訳の罠に嵌まり込み、学者が野放図に研究費を増やした結果、その成果を社会に役立てる基盤整備が薄弱なため、大きなインバランスが生じています。新井SBIバイオテック社長が「米DNAXでリンフォカインの網羅的クローニングに成功したが、親会社であった米Schering-Plough社の開発担当者が、too much innovationといって頭を抱えていた」と指摘したのは、まさに猛烈なバイオ研究の進展が、それを新薬につなげるための、前臨床試験と臨床試験の革命的なコスト削減を実現しないと、日本以外でも実用化が不能となることを示しています。今やバイオ研究開発競争は点の開発から、21世紀に入り新結合を可能とするインフラ整備の競争になったと考えます。2000年に入って、一斉に市場に目がくらみ、日本の研究開発拠点を閉め、中国に進出したビッグファーマも、中国では未だ創薬を実現するインフラを欠くことを体感しつつあります。我が国で臨床開発と疾患領域を限っても良いですから合理的な新薬の許認可と評価システムを整備し得たら我が国が再び、アジアのバイオテクノロジー・新薬・新規医療用具の開発拠点として復活し、優良な研究者の雇用も増大すると確信しています。そのためにもまずは、省庁間と産学官の連携を円滑にする規制緩和と国家の会計システムの規制緩和、そして担当者の心の規制緩和も必要だと思います。

 新結合の実例もわずかではありますが、姿を現しつつあります。
 6月8日、武田薬品は開発を中断したアルツハイマー病治療候補物質TAK-070を東京大学に権利譲渡することを発表しました。これは東大医学部付属病院に整備された厚生労働省の「早期・探索的臨床拠点」で臨床研究を進めることを意味しています。大学の知財を企業が導入することが普通の流れでしたが、私の知りうる限り、企業の知財を大学がライセンスして、開発するのは初めてではないかと考えています。これも革新的な新結合の例です。企業を「業者」と呼んで憚らなかった大学も大いに変革しつつあるということを示しました。

 TAK-070は疾患の原因物質と仮説されているβアミロイドを前駆蛋白質から生じるβセクレターゼの阻害剤。この薬剤は国際的な競争が激しく、しかも必ずしも副作用や効果の点で、今や大企業にとって魅力的な新薬ではもはやなくなっていますが、それでもある特定の患者集団には治療効果を期待できる可能性もあります。世界的なアルツハイマー病の画像診断プログラム(J-ANDI)を走らせている東大ならば、企業にはできない詳細な医薬品臨床研究が期待できるのです。大学と企業の双方向の協業の扉を開いた、両者の決断と勇気は評価しなくてはなりません。
http://www.takeda.co.jp/press/article_50375.html

 加えて、6月8日、厚労省はこうした産学の新結合を支援する決定も発表しました。革新的医薬品・医療機器・再生医療製品実用化促進事業実施機関の選定結果を公表。この中で、東京大学医学部付属病院をアルツハイマー病の臨床評価拠点として認定しました。この制度では国から研究費が支援される他、医薬品医療機器総合機構や国立医薬品食品衛生研究所との人材交流や新薬・医療機器の審査ガイドライン作成のための共同研究をも支援します。
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000002cjkv.html

 どうです、2012年6月8日は産学官が新薬や再生医療、医療機器のイノベーションを本気で起こすために、新結合を可能とする行うインフラ整備が調和的に進んだ歴史的な日となったのです。

 但しかつての糖鎖コンソーシアムでは文科省、経産省、厚労省がうわべだけの共同予算申請を行い、打ち上げのシンポまでは一緒に行いましたが、その後はばらばらの研究に終始した歴史もあります。望むらくは志の高い担当者が交代した後も新結合を目指した組織改革と連携が進んでほしい。そのための鍵は、新薬や医療機器の商品化数や商品化進展度など明快な評価指標の整備と情報の透明化にあると考えています。せっかく、産学官の担当者が清水の舞台から飛び降りたのですから、ここは一歩も引いてはなりません。国民誰もが最先端の研究開発の価値を納得する研究開発マネージメントの革新も実現しなくてはなりません。

 最後の課題は、新結合を加速するリスクマネーの供給です。産業投資特別会計から新薬と医療機器のイノベーションを促進する投資ファンドを厚労省も創製する必要があるでしょう。経産省(産業革新機構)に続き農水省(農林漁業成長産業化ファンド)もファンドを立ち上げました。医療イノベーションの中核を担う、厚労省も急がなくてはなりません。

 今月、バイオは明るいスタートを切りました。皆さんもどうぞお元気で。

             日経バイオテクONLINE Webmaster 宮田 満
ご連絡は、https://bio.nikkeibp.co.jp/inquiry/