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  ちゃんとGreen Innovationしたい!(5)
                  ネオ・モルガン研究所 藤田朋宏社長
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 この連載ではバイオテクノロジーを利用したGreen Innovationには、技術的に難しいのではなく、理論的に難しいことを「できる」「できた」と発表している研究が少なからず存在していることと、理論的にできるはずがない研究に多額の公的資金が流れてしまうことが理由で、健全な技術発展が阻害されている例を紹介してきました。

 もちろん理論的にできないとされていたことが、科学の進展によりできてしまうこともごくまれにですが存在しますし、一般的にはできないとしていた論拠となる理屈が間違えていることは比較的多くあります。そんな中で、いまだ誰も見たことがない未来の世界を実現させるための研究に対し、客観的な立場でどの研究に予算をつけるのか判断をするのは大変難しい作業です。難しいどころかどんなに著名な学者を審査員に並べたとしても正しい判断をすることは不可能だろうと私は考えています。現在、我々が行っている研究も正しくゴールに向かっていると信じてはいますが、我々の意見だけが正しいということも無いでしょうし、それではつまらないと思っています。

 以上の前提を置いた上で、これからもGreen Innovationのために投下されることになる多額の公的資金をより有効に使うためには、研究開発費に投入するのでは無く、得られた製品を高く買い取ることに公的資金をつぎ込むべきであると私は考えます。

 例えば最近話題に取り上げられることが多い、藻から燃料を作るような研究の場合ですと、従来のように研究費として公的資金を出す形を続けると、今までの連載で議論してきたように論理的に考えて課題解消が不可能な計画を立てている方が、計画としては優れているように見えてしまいます。その結果決して実現しない研究に公的資金が投入されることになってしまうのです。

 それを避けるためには、研究費としてではなく、藻から作られた燃料を買い取ることに公的資金を使えば良いのです。この時の買取価格は、原油由来の燃料よりもはるかに高い価格(例えば2500円/L)などと設定します。ただ、高い買取価格を固定してしまうと、ゴールに向かっていない研究どころか、研究開発を一切しない人間が儲けるだけの話になってしまうので、例えば20年後に、100円/Lにするなどとターゲットを決めた上で、ターゲットに向かって段階的に買取価格を下げていくような形を組みます。このような制度を作れば、ゴールに向かっていない研究開発をしてきたプレイヤーが脱落しつつも、ターゲットの期限までに、ターゲット価格での藻由来燃料の生産を可能にすることができます。想定より早くゴールに近づいているプレイヤーは、差額で儲けることができるので健全なインセンティブが働きます。

 また、このような制度を作るメリットとして、本質的なゴールではなく、目に見えるカッコいい成果を拙速に求めがちな金融市場の投資家にとっても、「売上高」という明らかな成果が現出するために、安心して投資を続けられるようになることが挙げられます。投資家に対しての演出・説明を続けなければいけないことが理由でラボスケールでも技術的に完成してもいないのに、巨大プラントが先に建設されてしまうことが散見されますが、「売上高」という明確な成果を投資家に説明できるようになれば、意味もないプラントを建てるような無駄な投資を避けることができます。

 最近私は、いろいろな所でこの方法を提案して回っているのですが、「この国の仕組みはそれができるようにはなっていない」と言われてしまうのが残念です。

おまけ

 先日、ニュートリノが光より速いかもしれないという報道が盛んにされていましたが、新聞やテレビ等の多くのマスコミの小見出しは「タイムマシンができるかもしれない」という論調でした。

 難しい物理学の発見を、一般の読者に興味が持てるように咀嚼(そしゃく)した結果そのような小見出しになるのは理解できます。物理学のことは生物学以上にわかっていない私ですが、光より速いモノが見つかるというのは、人類史に残る発見だということはなんとなく理解できます。ただ、こういったニュースを「タイムマシンができるかもしれない」という形でしか報道できないのはなんとももったい無い気がするのです。

 急に何を言い出したかというと、生物学の成果がマスコミに出る時や、生物学系のテーマで助成金を申請するときに必ず「その研究の結果、社会にどのようなインパクトを与えうるのか」ということを、科学者が説明をしなければいけない決まりになってしまっています。それは分かるのですが、なぜか人類の生活に大きなインパクト与える研究ほど良い研究だとされがちな不思議な価値観が存在しています。そのような価値観の下で、生物学の研究の社会に対するインパクトを最大限に言おうとした結果、研究の目的が「がんや難病が治る」か「エネルギー問題を解決する」にの2つに集約されてしまっているのがとても残念に感じています。

 例えば「バッタの生態がわかる」でも、とても面白いと思うんですけどね。