昨年は東日本大震災や原発事故など、日本列島が大揺れに揺れた年であった。一方、世界のバイオサイエンス、バイオテクノロジーの分野をみると、我が国の災害など何もなかったかのように、着実に前進しているのがよくわかる。ここ数年、我が国のバイオサイエンス、バイオテクノロジーは、iPS細胞の発見など勢いづいていたが、震災に加えて景気の低迷、財政?政情不安など、我が国の環境が厳しくなって来ただけにその展望は全くを予断を許さない。一方、中国などアジアにおけるこの分野の進歩は著しく、一部の分野では我が国と対等、若しくはそれを凌駕するような分野も近い将来現れることになるかもしれない。

 このような状況下にあって、ここでもう一度世界のバイオサイエンス、バイオテクノロジーの流れを注視することは無駄なことではあるまいが、紙面の都合もあり、最近のゲノム研究の動向についてのみ簡単に述べたい。周知のように今から約10年ほど前にヒトの全ゲノムの塩基配列が決定された。それ自体は大きなバイオサイエンスの金字塔であったが、その後のゲノム研究の進歩は第2、第3世代のシークエンサーが開発されるにつれ、わずか10年ほどでその解析のスピード、コストなどが幾何級数的に改善され、今や当時の1000倍以上の効率で我々がその情報を手に入れるようになった。個人のゲノムが1000ドルで解読される日も近い。

 実際、最近のデータでは、全ゲノムが解読された生物は3030種類(真核生物168、バクテリア2702、古細菌150)に及んでいる。主要生物でまだ全ゲノムの解読が終わっていないのはそのゲノム量が膨大なコムギやトウモロコシなどに限られており、それらについても詳細はともかくその概要は既に明らかになっている。

 これに加え、ひとつひとつの生物種のDNAを解読するのではなく、ある環境(ある特定の場所)中に存在するすべての生物(主として微生物)のDNAを包括的に塩基配列を決定するメタゲノム解析は、既に1000以上の特定環境下(極限環境微生物、人体内共生微生物など)のサンプル解析を終了しており、この数は今後急速に増えるものと思われる。

 さて、このようなゲノムの塩基配列の決定の効率化によって、今まで我々が想定しなかった多くの新しい研究分野、プロジェクトが生み出されている。先に述べたメタゲノム解析もそのひとつであるが、数十万人単位のある地域の健常人を対象としてそのゲノムを解析し、数十年にわたってその人たちの生活習慣、健康状態を追跡し、個人個人のゲノム組成と病気の発症との関係を調べるコホート研究、また、がん組織のゲノムDNAを解読し、発がんにいたるDNAの変化の道筋を追求するプロジェクト、100歳以上の長寿の人々のゲノムDNAを解読し、長寿との因果関係を調べるプロジェクトなど、公的・私的機関を含めてその範囲は急速に拡大している。また、今まで比較的手つかずであった多くの農業用植物のゲノムを解読し、その染色体上の特定配列に注目し、これをマーカー(選抜マーカー)として掛け合わせ後の目的品種の選抜に使うためのプロジェクトなども現在、既に多く展開されている。

 このようにゲノム研究は従来想定されていた以上のスピードで進んでいるが、先に述べたようにその原動力になっているのは、超高速シークエンサーの出現によるものあることはいうまでもない。一方、これらの新しいシークエンサーから生み出される膨大な量のデータをどのように意味付けるか、整理していくか、データベースとして蓄えておくかという点については、それらに関するコンピュータのハード及びソフト、そのための整備がまだ追いついていないのが現状である。そのためにかかる膨大なコストも含めてどのように解決していくかが今後の課題あろう。