戦後の高度成長時代を経て経済成長は鈍化し、今後の社会の在り方として、持続的な緩やかな成長が目指されていました。

 「社会の利益」が大きくなり続けると想定されていた時代から、「社会の利益」の多くが失われたことで、質が変化しなければならない時代が到来しました。最大多数の最大幸福のため、成長することで大きくなった「社会の利益」を分配することで公平性(正義)を担保してきた時代でした。3.11以後「社会の利益」そのものが縮小している現在、公平性(正義)の確保は既存の「社会の利益」の再分配によらざるを得ません。このような時代にあって、科学に求められること、研究者に求められることにも変化が起きています。

 これまでもメガファーマは多くの患者を救ってきました。功利主義的に考えれば、最大多数の最大幸福は満たされつつあります。一方で、いわゆるオーファンといわれる希少疾病の患者の治療法の開発はなかなか進んでいません。基礎的研究成果が社会還元されないという共同体の社会的不満がトランスレーショナルリサーチという形で、研究者に付託されています。2012年は、医学研究が社会のもたらす利益の在り方が、姿を変えていくというエポックのただなかにあるのかもしれません。

 トランスレーショナルリサーチも、新たなメディシン(医療)生み出すことを目的としています。メディシンは個人にとっても共同体(社会)にとって道徳的な営みであり、人間にとって「善」を求める営みです。ここで仮に、共同体を構成する我々一人ひとりが、あたかも目隠しをされたような状況で、知識も生きてきた背景も均一であるという状況におかれたとしましょう。決して出し抜くことはできません。ある稀少疾患患者(自分がもしかしたらその疾患なのかもしれないが、知らされていない)を犠牲にして得られた研究成果で、経済的に恵まれた患者だけが治療される、そういう共同体が指向されるでしょうか。そのような原初状態の中で、我々共同体の構成員は、そのような社会を望むでしょうか。それは「善」ではないはずです。直感から言って、稀少疾患患者という弱者が被験者の集まりとして扱われ、より優位な立場の人々がトランスレーショナルリサーチによる利益を受けるのであれば、それは不公正と感じるでしょう。

 こう考えると、トランスレーショナルリサーチが奉仕する善とは何か、より大きな人間の善の追求においてトランスレーショナルリサーチの役割とは本来何でありうるか、答えは明白です。

 3.11は、研究者の心も大きく変えました。共同体の一員でもある私たち研究者は、共同体の中で生きてゆかねばなりません。2012年は、研究者が共同体の一員であることを再自覚する年となるでしょう。私もここで宣誓したいと思います。

 この邦があるべき姿であるために、私はあるべき姿になる。