本日の午後から、「1Gシーケンスの挑戦、ゲノムの新たな地平へ」を開催いたします。お陰様で大勢の皆さんのご参加をいただきました。先端の研究者の発表も驚くばかりですが、私としては午後5時から開始する「大衆化する次世代シーケンサーをどう使いこなすか?その落とし穴は?」というパネルディスカッションを楽しみにしております。今や、イノベーションは技術進歩に触発された人間のアイデアや想像力が引き起こすことは明明白白で、先端の研究者の脳の奥底のひらめきに肉薄したいと思っております。会場からの鋭いご質問も期待しています。
http://nbt.nikkeibp.co.jp/bio/seminar/111130/

 さて、個の医療です。

 米Geron社のヒトES細胞研究からの撤退で、不景気風が吹き始めた再生医療ですが、今回の撤退が資金ショートが原因であることを再認識すべきであります。安全性確保のために膨大な資金投入を要請した米食品医薬品局(FDA)の政策判断のミスといってもよいかも知れません。FDAは自家細胞移植の再生医療でも失敗しています。安全性評価のための前臨床試験や臨床試験の負担で、商業化を目指したベンチャー企業2社が倒産してしまいました。日本の厚労省・医薬品医療機器総合機構と比べて、あれだけスマートで、患者に対する新しい治療オプションを拡大することを使命として認識しているFDAですら、この有様です。やはり経験の蓄積というものが、科学に基づいた前向きな判断に不可欠であることを示しています。FDAがスマートなのは低分子医薬と抗体医薬、そしてワクチンに限定されるということが露出されたと思います。

 安全性の確保は当然ですが、一方で患者の治癒への要求も満たすことも重要です。このバランスの匙加減が肝要なのですが、経験不足や科学的知見の不足が、常に安全偏重の方に重心を移させるのは、日米共通の官僚主義の病です。では、乱暴にも、無知を放置したまま臨床試験を行えば良いのか?これはもう、ジェンナーの時代に後戻りすることです。

 答えは一つ。もし市場や企業が革新的な医療に対して、その安全性と有効性を十分評価できる科学的なデータを揃える投資ができない状況なら、国がそうした知見を揃えるべく前臨床試験と臨床試験(フェーズ2までか?)に投資しなくてはならないのだとということです。実際我が国の憲法25条には「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。、国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と記述されています。この条項から先端医療への投資義務を直接読み取ることは少し苦しいかも知れませんが、当時、国民の脅威であった結核などの感染症を念頭においた”公衆衛生”という概念が、いまや生活習慣病こそが国民の脅威に変わった以上、先端医療も公衆衛生の整備の一環として読み替えるべきであると、私は思います。 実際、米国の疾患管理センター(CDC)は少し前は、感染症にのみ対策や情報提供を行っていましたが、今では米国民の敵である肥満など生活習慣病の対策や啓発に重きを置くようになっています。

 国家は医学の技術革新を国民に還元する義務を負っている、また国民はそうした国家の義務の誠実な履行を迫る権利があると考えています。但し、最適で公平な資金投入を行うために、今まで我が国や米国が放棄してきた医療技術の医療経済的な評価が不可欠という保留条件付きです。12年度の予算で厚労省は医療経済的な評価のための調査に1億円弱の予算を付けました。これはこれで正しい動きですが、一方で先端医療を国民に還元する義務があることを厚労省が忘れては、バランスを欠き、目線の低い医療費抑制だけに終わる危険性を秘めています。まずは折角の国民皆保険の利点を生かし、英国のNHSのような統一電子カルテを導入し、医療行為の科学的なデータを整えるべきです。そしてそのデータは個人情報を保護しつつ、原則公開し、国家以外の第3者の検証可能とすべきでしょう。国民の権利を守るために創るカルテ情報データベースに反対する医療関係団体や医療関係者を、私には不明朗な医療行為や不明朗な所得隠しが発覚するのを恐れているのか?と邪推しています。

 ヒトES細胞の臨床開発に戻りましょう。米国ではAdvaced Cell Technology社がStargardt病(Stargardt’s Macular Dystrophy:SMD)と加齢黄斑変性症に対して、ヒトES細胞由来の再生医療の臨床試験を現在進行中です。実は、我が国でも国立生育医療センターでヒトES細胞由来の肝臓細胞の遺伝性疾患に対する薬事法下での医師主導の臨床治験の準備が進められています。早ければ来年、遅くとも再来年には、我が国でも臨床治験の申請が行われる可能性が出てきました。生育医療研究センター研究所生殖・細胞医療研究部の梅澤部長が11月17日に東京で開催されたNEDO糖鎖プロジェクトの成果報告会で発表しています。Geron社の蹉跌を乗り越えてヒトES細胞研究は着実に臨床応用に向かっています。薬事戦略相談を通じて、我が国の規制当局がどれほどのバランス感覚を示すか?これは注目に値します。

 現在、薬事法下での幹細胞の臨床開発のための指針(厚生労働科学研究早川班)の最終版が制定される見込みです。指針整備が先行することと、取得した臨床データがそのまま新薬や新規医療機器の申請に活用できることから、幹細胞の臨床応用は薬事法下での臨床治験が先行可能性が出てきました。iPS細胞の臨床試験も2012年には理化学研究所(神戸)が申請する見込みですが、厚生労働省の幹細胞臨床研究指針で行うか?薬事法下で行うか?悩ましいところです。厚労省の昨年制定した指針でヒトiPS細胞の臨床研究にはゴーサインが出ていますが、ヒトES細胞由来の再生医療の臨床研究は、今年から検討が始まった臨床研究用のヒトES細胞の樹立指針(文科省の指針は既にあるににです)の整備まで凍結されています。この記事を書いていても厭になるくらい縦割り行政が時間を空費しているのです。こうしたことに、文句を言う権利が国民にはある。

 医薬品企業の国際競争を背景に、昨今ではゲノム情報の取り扱いでも、今回の幹細胞の臨床研究・治験の指針でも、実は薬事法の指針整備が先行しています。基礎研究→臨床研究→治験というリニアモデルが、指針整備の面では、基礎研究→治験→臨床研究と逆転現象が起きているのです。この規制の腸ねん転を早急に解消しなくてはなりません。これは私の妄想かもしれませんが、最終的には全ての臨床研究を米国のように規制当局に届け出、事前審査する実質的なIND(新薬臨床治験申請)を導入するために、わざと今までの旧弊を順守して臨床研究の指針整備を進めている、つまり世界的な規制整備のスピードから見ると遅らせているのではないかとすら思います。我が国の全ての臨床試験・治験をIND化することは、私の昔からの主張です。コストの大問題は存在していますが、兎に角、国民の安寧と健康増進のために、そして研究者の公明正大な臨床研究のために実現しなくてはなりません。それが奇しくも、厚労省の縦割り行政が病膏肓に入った結果、実現しつつあるとすると、何とも複雑な気持ちになります。

 まだ未確認ですが、薬事法下の幹細胞(成人幹細胞)の治験に、我が国企業が殺到、30件以上もの相談や申請が行われているという情報も入手しました。先端医療を持続可能に国民に提供するためにも、薬事法下での臨床治験の規制整備が有効である証明です。薬事法の指針整備と国家の先導的な前臨床と臨床研究支援の2輪が、我が国の再生医療の実用化を駆動すると確信しています。

 そろそろ落ち葉を踏み分けて、出掛けなくてはなりません。

 今週もどうぞお元気で。

            日経バイオテクONLINE Webmaster 宮田 満

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