こんにちは。第2、第4金曜日を担当する日経バイオテク副編集長の河野修己です。前回のメールマガジンでは、規制緩和は制度をいじっただけではだめで、運用にいかに実効性を持たせるか、つまり行政当局の担当者が規制緩和にどれだけ本気で取り組むかが重要だということを書きました。日経バイオテク最新号の「キーパーソンインタビュー」に登場していただいている阿曽沼元博・国際医療福祉大学教授も同様の考えをお持ちのようです。
日経バイオテク7月5日号「キーパーソンインタビュー」、阿曽沼元博・国際医療福祉大学教授に聞く
https://bio.nikkeibp.co.jp/article/oc/2007/2340/
 では、なぜ当局は規制緩和を骨抜きにしようとするのか。規制があることが当局の存在意義の源であり、規制緩和は自分たちの仕事をなくすことだというのも1つでしょう。しかし、最大の理由は、結局のところ国民が規制が厳しい状態を望んでいるからではないでしょうか。
 例えば、医療関連で何か事故や副作用事例が発生したとします。新聞や週刊誌がそれを報道する場合、ほぼ例外なく、医療機関=強者・悪、患者=弱者・善という単純で分かりやすい構図にはめ込もうとします。そして、医療機関側がいかに悪いかを論じるときに、科学的根拠に基づいて書かれることは滅多になく、感情的な話に流れがちです。先端技術は平均的な国民には理解しづらいからです。医療機関への非難は、その行為を取り締まれなかった当局にもしばしば飛び火します。こうした報道パターンは何度も繰り返され、変わる様子はありません。それは、大多数の国民が、報道内容はもっともだと思っているからでしょう。そんな報道は間違っているという批判が上がれば、マスコミ側も改めるはずです。
 行政当局はこうした国民の志向をよく分かっています。先日、科学技術政策にかかわっているあるキャリア官僚と飲んでいたのですが、彼は「新しいことにチャレンジしようとしても、何か起こったときのことを考えると怖くてできない」と言っていました。日本の社会は、医療で予期せぬ事態が発生するリスクに対して許容度が相当に低いため、何か起こると犯人探しが始まります。だから、行政当局は事前にリスクを排除しようとします。しかし、とにかくリスクを排除することが、社会全体にとってプラスになるのでしょうか。
 6月初旬に米臨床腫瘍学会(ASCO)を取材したときに、強く印象に残ったことがありました。米食品医薬品局(FDA)の幹部が記者会見にやってきて、コンパッショネートユース(治験中の未承認薬を治療目的で使用する制度)のガイドラインの周知拡大を訴えたのです。未承認薬ですから有効性・安全性を判断するためのデータは限られており、副作用被害が発生するリスクは相対的に高いはずです。しかし、疾患が致死性でほかに手段がないような場合、つまり期待できるベネフィットがリスクを上回っていると判断できる場合は、積極的にリスクを取るべきだと彼らは言っているわけです。
 もし、医薬品医療機器総合機構(PMDA)の幹部が記者会見で同じようなことを言えば、間違いなく問題視されるはずです。コンパッショネートユースの日本への導入はかけ声だけならずいぶん前から聞こえていますが、具体的な検討となるとまったく進んでいません。
 規制でリスクを封じ込めるのか、それともリスクを取るかどうかを患者が選択できるようにしておくのか。研究開発の成果を早期に享受することを望むのなら、すべてを行政当局の責任にゆだねるのではなく、国民の側が一定のリスクを引き受けるという文化が必要でしょう。
        日経バイオテク副編集長 河野修己