バイオインフォマティクスの世界の潮流(第36回) 
2009年7月23日
理化学研究所 (兼) 産総研、JST
東京医科歯科大、慶應義塾大
八尾 徹
皆様 暑中お見舞い申し上げます。
今回は、「がんシステムバイオロジーの海外の動向」をご紹介いたします。
 その前に、私の身近なところでのトピックスを4つ挙げておきます。
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 1)6月12日 文科省統合データベースプロジェクトシンポジウムが東大武田ホールで開かれました。
  すでに4年目を迎えている本プロジェクトの成果や進捗状況を説明する会に、300名を越す関係者が集まり、このような地道ながら重要な活動への関心の高さを嬉しく思いました。
  平田正氏から産業界側の熱い期待が述べられたこと、埋没し勝ちな日本語資料(学会要旨, 報告書類他)を取り上げていること、経産省関連の統合データベースMEDALS が紹介されたこと等が良い点として目に付きました。
  現在欧州で進められているライフサイエンスデータベース検討グループ
  ELIXIR (32機関参画) との技術面・体制面の交流が今後望まれます。
 2)6月16日~18日 第8回国際ゲノム会議が東京一ツ橋の学術総合センターで開かれました。海外から多数の先端研究者が集まり、「急速に進展するゲノム 科学」を主題に、個人ゲノム・がんゲノム・エピゲノム・ケモゲノム・メタゲノム などの新しい展開が示されました。
  開会挨拶で、榊佳之氏が日本においてゲノムネットワークプロジェクトの後を受けた「セルイノベーション(革新的細胞研究)プログラム」が発足したことを披瀝し、会場の注目を集めました。
  全体として次世代シーケンサーの影響が非常に大きく、第2世代(454,Solexa,SOLiD) での多様な新応用事例(発現解析、エピジェネティクス、メタゲノミクス他)の実績が示された上に、第3世代(PacBio, LifeTech)の原理・能力・開発状況が発表され、ここ1~2年の更なる激動が予見される会でした。
 3)7月7日理研GSC (Genomic Sciences research Complex)の一周年の会が開かれました。昨年春にGSC (Genomic Sciences Center) が10年の区切りとして解散し、3センター・3グループに分かれてスタートした後、バーチャル組織としてGSComplexが結成されました。www.gsc.riken.jp今回は、この1年間の各センター・各グループの進展の紹介と、初代所長 和田昭允先生が80才の誕生日を迎えられたことのお祝いを兼ね「七夕ミーティング」として開催されました。
  和田先生の基調講演では、60年に及ぶ研究生活を常にフロンティア開拓の精神を持ち続けて来られ、今YSFH (横浜サイエンスフロンティア高校) で若い人への教育に情熱を注がれているご様子(和田サロン) に、参会者全員が大きな感銘を受けたことでした。因みに この和田サロンのことはNature July 9, 2009 に紹介されました。
4)7月23日 理研から下記の発表がありました。
 「世界最大級のタンパク質結晶構造解析実験データベースを公開-90万件の結晶化条件などを整備した実験データ群が利用可能に-」
  これは、生命情報基盤研究部門BASE(豊田部門長)が開発したライフサイエンス ネットワーキングシステム「理研サイネス」(2009年4月本レポート第35回でご紹介済み)を利用して、理研播磨の膨大なデータを公開できたものです。このような貴重なデータベースが「理研サイネス」によって次々に発信されることは、今後のライフサイエンスの発展にとって大変望ましいことでしょう。
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バイオインフォマティクスの世界の潮流(第36回)     2009.7.23  
八尾 徹
「がんシステムバイオロジーの海外の動向」
 システムバイオロジーは、世界的にすでに第2フェイズに入ったと言えましょう。2000年以降欧米でスタートした各種「システムバイオロジー」プロジェクトや大型グラントが、ここ2~3年前から次の展開に入り始めたからです。
 その特徴は3つあります。一つは、最近第2期に入ったプロジェクトが多くなったことです。たとえば、ドイツの肝臓細胞システムバイオロジープロジェクトHepatoSys は、2004年~2007年のパイロット期を経て、すでに第2期本格プロジェクトに入っています。スイスの2大学(Zurich, Basel)で進めていたSystemsX は、2007年に国家プロジェクトSystemsX.chに格上げされました。6都市に研究基盤を整備した上、公募を進め2008年に8テーマが、2009年には6テーマが、逐次認可されました。
 二つ目は、ここ数年に各国にシステムバイオロジーセンターが立てられていることです。
 アメリカでは逐年 数が増えて、現在9センターになっています。イギリスでは6センター、ドイツでは4センターが立てられました。これらはそれぞれ独自の目標を定め、そこに実験と計算の研究者が同居して異分野融合研究を進めていることが特徴です。
 三つ目は、対象別システムバイオロジーが増えてきたことです。「がんシステムバイオロジー」はその代表例です。他に「糖尿病システムバイオロジー」「感染症システムバイオロジー」「加齢システムバイオロジー」「植物システムバイオロジー」「微生物システムバイオロジー」などがあります。「がんシステムバイオロジー」
1)L.Hood所長が米がん学会総会で基調講演
アメリカがん学会の2006年の総会で、システムバオロジー研究所長 L.Hood教授が、基調講演をしました。医学へのシステムバイオロジーの有効性・可能性・将来性などの認識に多大の影響を与えたと思われます。
2)米NCI が「がんシステムバイオロジー」を推進、9センター設立
NCI (National Cancer Institute) はシステムバイオロジーの新展開として、統合がん生物学プログラムICSB (Integrative Cancer Biology Program) //icbp.nci.nih.govを発足させ、2007年までに下記9カ所を選定しました。(これは上述のシステムバイオロジーセンターとは別です。)
目的は、がんを複雑なバイオシステムとして解析する研究を促進することにより、最終的には様々ながんプロセスを予測できるコンピュータモデルを開発し、がんの進行を阻止することを可能にするとしています。そのための体制として、統合がん研究者と数学・物理・情報科学・コンピュータ技術・イメージ科学の専門家とが一体になって同一のがんバイオロジーの問題解決に向かう「統合がんバイオロジーセンター」を設立しています。
Integrative Cancer Biology Program Centers
  Case Western Reserve University DNA修復パスウエイの役割と薬との関係
  Dana Harbor Cancer Institute キナーゼ活性の予測と薬との関係
  Duke University  Rb E2Fシグナルパスウエイと細胞成長、がん化との関係
  Lawrence Berkeley National Laboratory Raf-MEK-ERK シグナルパスウエイを
 ターゲットにした治療にたいする応答の予測
  Massachusetts General Hospital 仮想腫瘍モデル(分子・細胞・組織・臓器レベル)
  Massachusetts Institute of Tech. 細胞分裂、DNA修復、移動を統合したモデル
  The Ohio State University    エピジェネティクス
  Stanford University     リンパ球、B細胞
  Vanderbilt University      がんの細胞・多細胞・器官レベルのモデル
  いずれも、コンピュータモデリングを目指していることが特徴です。
3)EU のシステムバイオロジー推進
EUでは、FP6 (科学技術フレームワーク計画第6期、2003-2007) の後期に数多くの中型システムバイオロジーグラントを出して来ましたが、FP7 (2007-2013) に入り戦略的・系統的なシステムバイオロジープロジェクトを始めています。その中でがんに関係ある部分を抜粋してみます。
ESBIC-D - systems biology applied to breast cancer.
BioSapiens - cancer-associated oncogenes mutations
ATD - alternative transcripts for human tumours
COSBICS - Ras/Raf/MEK/ERK and JAK/STAT pathways
APO-SYS - systems biology of apoptosis in cancer & AIDS
DNA Repair - mechanisms of DNA damage response, repair
Tumour-Host Genomics - Signalling pathways tumour-host.
BRECOSM - regulating metastasis of breast cancer
ATTACK - T-cells in cancer
SYBILLA - Systems biology of T-cell activation
4)米国NCIとEU が合同で「がんシステムバイオロジー」シンポジウムを開催
 2008年10月、NCI と EU が合同で、「がんシステムバイオロジー」シンポジウムを開催。この報告書が最近刊行されました。その要旨の一部をご紹介しましょう。最大の結論は「システムバイオロジーのアプローチは、がん研究を大幅に加速する。それは、これまでのがん関連研究での多様な研究成果を見ても明らかである。」というものです。それには次のような背景があり、これらが続くとの認識を持っています。
 ? コンピュータ技術の進歩
 ? 新測定技術の進歩
 ? 各種細胞の各種データの急増
 ? 細胞パスウエイの理解の進展
 ? 数学モデル・解析ツールの進歩
 ? 臨床データ、バイオマーカーの収集
 ? 人材の育成
これらのことを今後も続ける施策が必要と強調した上で、多様ながんの種類の中から特定のテーマ(悪性脳腫瘍、大腸がんなど)を選んで、総合的なアプローチを進めるべきだとの宣言が出されています。NCI, EU のグラント責任者が中心メンバーに含まれるだけに今後の施策が注目されます。
 5)「がんシステムバイオロジー」ワクショップ
  2009年6月、ドイツRostock で、第2回「がんシステムバイオロジー」戦略ワークショップが開かれました。ここにも米・独・EUのグラント関係者が参加しており、次の展開の具体的な指針が示されました。まず第1に、システムバイオロジーのアプローチを更に加速するために、データを基にしたシステム同定法、実験計画法、仮説検証の方法、異なる時空間の事象を結ぶ方法、非線形な複雑な問題を解く効率の良いアルゴリズムなどの新しい理論的な方法論が必要であると結論づけています。このような基本的なことを第1に挙げていることは驚きでありますが、逆にシステムバイオロジーのアプローチの重要性・有効性に対する確信が伺われます。第2に、統合的なアプローチの具体的テーマとして、乳がん・大腸がんに、前立腺がん・肺がんを加えるべきとしています。これら個々のがんの発生・進行過程はそれぞれ複雑であるが、共通なパスウエイのモデルやツールなどが蓄積されつつあると指摘していま
す。
その上で、第3に下記のようなことが統合モデル作りの基盤として重要であると述べています。
 ? 実験システム-細胞及びモデル生物の共通性・交換性
 ? 基礎研究と臨床研究とのつながり
 ? トランスクリプトミクスとエピゲノミクス
 ? プロテオミクス
 ? メタボロミクスとフラックソミクス
 ? 数学モデルとデータ解析
そして目指すところは、マルチスケール・マルチレベルを通して仮想がん患者モデルの作成であると明記しています。それによって、がんの進行予測・投薬組合せの最適化・治検効率化・最適治療戦略の予測などを可能にするとの高い目標を述べています
以上、2007年から最近までの欧米の「がんシステムバイオロジー」に関する4つの大きな施策・戦略の動きをご紹介しましたが、これら以外の様々な大学・研究機関・企業などの動きや個々の研究発表(PubMed; Cancer Systems Biology 2000年239件、2004年539件、2008年1266件)を合わせて見ますと、非常に近い将来、がん研究及び応用に多大の進展が見られるものと期待されます。皆様はどうお考えでしょうか?
これから暑さが本格化します。皆様、お大事にお過ごし下さい。
2009年7月23日 八尾 徹 
yao@riken.jp
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不思議と関連の取材が続くものです。
前半はトリプトファン(Trp)、
後半はω3の話題が相次ぎました。
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 毎週金曜日のバイオテクノロジー(BTJ)メールで編集部原稿を担当しておりますBTJ編集長の河田孝雄です。
 先週後半と今週初めは、社内の引越しがありまして(といっても同じフロアで数十メートル動いただけですが)、取材の資料を整理することになりました。
 場所の制約上、大半の資料を廃棄せざるを得ませんでしたが、かつてアメリカで問題になったトリプトファン(Trp)の資料は、引き続き保管することにしました。
これだけでかなりの量です。
 そして今週月曜日は、高Trpイネの田植えを取材しました。
 その前の週末は何冊か書籍を読んだのですが、その1つ、福岡伸一著の講談社現代新書2000「世界は分けてもわからない」は、国際トリプトファン研究会の話題から始まっていてびっくり。一気に読みました。
※BTJのTrp関連記事
遊離Trp含量が200倍の組換えイネ、たんぱく質も考慮すると米粒のTrp含有量は10倍程度
https://bio.nikkeibp.co.jp/article/oc/2006/4510/
NARO作物研究所が8月3日に組み換えイネを隔離圃場に田植え、7月30日承認取得の高Trp飼料用イネ
https://bio.nikkeibp.co.jp/article/oc/2006/4404/
 後半はαリノレン酸(ALA)、エイコサペンタエン酸(EPA)、ドコサヘキサエン酸(DHA)というω3系の高度不飽和脂肪酸(PUFA)の話題が相次ぎました。
※BTJのω3関連記事
中性脂肪下げるトクホ飲料と同量のEPA・DHAを含むソーセージ、ニッスイが「海の元気」で9月発売、カゴメのリコピンも
https://bio.nikkeibp.co.jp/article/oc/2006/4509/
島根大医、αリノレン酸を強化した鶏卵「えごま玉子」のアレルギー体質改善作用を
学会発表
https://bio.nikkeibp.co.jp/article/oc/2006/4508/
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 メール原稿の締め切り時間が迫ってきましたので、今回はここまでとさせていただきます。
 最後に、先月末にに発行・公開した「BTJジャーナル」09年7月号(第43号)のコンテンツを目次にて紹介します。こちらのコンテンツは全文を無料でご覧いただけます。ぜひお楽しみください。
 なお来週はBTJメールはお休みをいただきます。次の金曜日のBTJメールは09年8月21日になります。
                         BTJ編集長 河田孝雄
P.2 アカデミア・トピックス
筑波で生物学オリンピック
日本代表が初の金メダル
P.5 スペシャル
大学の特許資産ランキング
トップは慶應義塾
P.6 リポート
第8回国際ゲノム会議
第3世代シーケンサー来年登場
P.9 キャリア
農水省最大の競争的資金
イノベーション創出事業
P.13 BTJアカデミック・ランキング
2700億円とiPS・ES、新課長が人気
P.14 専門情報サイト「FoodScience」
食品安全委員会人事
P.15 バックナンバー目次
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