この数年“イノベーション”と言うキーワードが広く使われてきた。これは、“革新・新機軸・新しい事(物)”の意味であり、社会の様々な面で使われる。カタカナ英語で言うと些か気分転換効果がある。最近この言葉が使われる時、応用技術開発を隆盛にし、社会貢献をする、と言う意味合いがあるようだ。応用技術のイノベーションは言うまでもなく企業による日々の努力で絶えず起きている事であるが、それにはアカデミア、公的研究機関等の基礎及び応用研究、そして共同研究等を通した支援が重要な貢献を果たす。イノベイティブ技術開発を誘発するために、基礎研究から創出されるシーズと社会のニーズは重要であるが、最近では後者がよく強調される。
 1980から90年代には日本の経済力は世界2位、一人当たり総生産でも世界トップグループを誇った。それを実現した重要な要因は確かなもの作り技術基盤に支えられた高性能、コストパーフォーマンスの優れた工業製品であった。その後、我国の国民が怠惰になった訳ではないが、世界は目まぐるしく変動し、我国の国際経済に占める地位はじりじりと後退、今ではとうとう一人当たり総生産は世界18位となり、更に落ちていく傾向にあると言う。高齢化と少子化が進む我国にあって、この傾向を食い止め、国際競争力を再強化し上昇に転じさせるためには、従来のやり方を継続していれば良い訳がなく、強力なイノベーションの波を立て、産業の強化が急がれる。しかし、即戦力としての応用技術開発を強調するあまり、基礎研究育成がおろそかになれば国の将来を誤る事になる。研究支援・リソース配分システムの抜本的改革と共に、長期的な国の将来を見据えて考えなければならない重要課題である。
 
 生命科学研究から創薬開発に有望なシーズが創出されても、それを医療に広く用いられる医薬品として社会に出していくためには、開発研究のみならず長い年月が掛かる安全性試験と巨大なコストのハードルを越さなければならない。薬の場合は医薬品として認可され広く医療現場に用いられるようになり、年商千億円台を達成したとしても、恩恵を受ける患者数が増大すればするほど個体差を含め未知の要因が浮上し、深刻な副作用が明らかとなり、場合によっては市場から撤去せざるをえない状況に陥る事もある。そこで、企業による自社開発には大きな可能性を持つ課題が慎重に選ばれるし、経営の安定化、成長を図るためにも既に医薬として定評のある海外企業の製品をライセンシングし、市場投入する事が行われる。この状況は、遥かに開発時間が短いコンピュータやプログラムソフト開発、人型ロボットやペット用ロボットの製作、工業製品等の生産を行う産業分野とは大きく異なると思う。
 アカデミアにおける科学研究は主に新知識を創出する行為であり、その過程は様々な科学ジャーナルに研究論文として発表(記録)される。しかし、研究の試行錯誤の過程から出てくるネガティブ情報や矛盾する結果等は論文としては纏められず、系統だったノウハウとして集積する事が出来ない。インパクトファクター(IF)が非常に高く、世界のトップジャーナルと言われる科学雑誌(商業誌が多い)では、ジャーナルのスコープに合った先端新概念の研究成果を好み、優れていてもそれに合わない研究論文や正直に記述するデータに少しでも矛盾がある論文は、編集者の独断的判断で簡単に却下する。こうしてジャーナルには矛盾なき論理を持つチャンピオンデータを連ねた見事な論文が並ぶ事になる。これらのジャーナルの投稿論文審査は、1-2週間のウインドウで投稿される論文間での相対比較評価をもって行われる。そのため、現実には研究内容の絶対価値が高くても掲載を拒否される論文が殆どである事は周知の事である。研究の内容の絶対評価で審査する多くのソリッドな科学ジャーナル(殆どは学会や公益財団による出版で、IPも10前後以下)とは異なった理念による経営である。これら比較的低IFジャーナルに掲載される論文が提供する膨大な情報は、研究の裾野拡大に大きく貢献しており、イノベーションにとっても恐らく最も重要な情報リソースとして貢献している。
 
 IFは便利だが極めて雑な指標である。しかし、我国では研究評価の重要な物差しとして使われ、研究者個人の評価や国の研究費配分、国の将来政策決定等にまでも大きな影響を与え、研究者はそれに踊らされる現実がある。最近大庭氏らにより、IFとは異なった視点から、より実際を反映する優れた指標としてperspective factor (PF)が提案された(蛋・核・酵vol.50、270, 2005参照)。PFは、ある論文発表前後を比べて関連する分野へのその論文の影響を比較するものであり、IFより優れる。ただ、年期間に亘る追跡調査が必要な事や新研究分野の開拓に繋がるが長いリード期間を要する独創的研究の評価には限界がある、等の課題がある。数値による研究評価の難しさを改めて示すものだ。では、優れた研究評価の仕方とはどんなものなのであろうか。これまで機会あるごとに述べてきたが、米国NIHのピアレビューに見られる徹底した客観的討議による研究評価に勝るものはないと確信する。このピアレビュー過程には、研究の更なる育成と発展、進歩を促す機能も備わっている。IP等に頼らないこのような研究の価値判断と育成に対する基本的考えが、研究界は勿論、政府と社会一般に広く共有される事が重要である。
 
 研究者発研究であれ、社会のニーズに応えた研究であれ、公的研究資金によるしっかりした支援と健全な評価、そして更なる研究育成の効果的サイクルが確立され、イノベーションの強力な上昇気流が形成される事を期待したい。
 
                      産業技術総合研究所
                      年齢軸生命工学研究センター長
                              倉地 幸徳 
 
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環境の3Rは、リデュース・リユース・リサイクルですが、
DNAの3Rは、複製・修復・組み換え
実験動物の3Rは‥‥
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 毎週金曜日のメールで編集部原稿を担当しておりますBTJ編集長の河田です。
 
 今日はまず、先週の続きで、3Rの話題から。
 
 再来週の木曜日に、「WC6フォローアップシンポジウムおよび記念レセプション-3Rsに基づく動物実験の規制と第三者認証-」を、六本木ヒルズで開催なさると、昨年8月に東京で行われました動物実験代替法学会・第6回世界大会(WC6)を主催なさいました、東京大学の酒井康行・准教授(東京大学大学院医学系研究科・疾患生命工学センター 再生医療工学部門;同大・生産技術研究所 物質・環境系部門(臓器・生体システム工学))から連絡をいただきました。
 
 1000人余りの参加者が集まったWC6の成功を受け、今回、さらに科学者と市民の対話を充実するため、日本学術会議と日本動物実験代替法学会の主催にて、「WC6フォローアップ シンポジウムおよび記念レセプション」を開催なさるとのことです。
 
 今回のテーマは「-3Rsに基づく動物実験の規制と第三者認証-」。3Rは動物実験の基準についての理念で、Replacement(代替)、Reduction(削減)、Refinement(改善)です。
 
 以下は、酒井さんのご案内文をそのまま引用させていただくと‥‥
 
 いささか微妙な課題ではあります。今の第三者認証の動きが特に動物実験をかなり行っている業界サイド主体で進められていること、そのため愛護団体が、簡単に「お墨付き」を与える制度になりかねないと、認証プロセスの透明性について疑念を持っていること、認証制度で動物実験実施の有無が社会に明らかとなることから企業側の対応にもかなり違いがあること、学会側も考え始めたばかり、、、、、などというように、3R原則に則った制度として提案される前に、まだまだ議論して合意を得ていく必要が多々あるように見受けられます。今回のシンポジウムはこれらの論点について早急に結論を出すことを目的とはせず、そもそもどんな論点があり、立場の異なる団体がそれぞれどのような見解をお持ちかを参加者にまずは理解していただき、今後の議論の一助となれば、との考えに立っています。また関連の国際動向についても情報提供がなされます。
 
 とのことです。
 
 今秋のメールでは、社会との接点ということにちょっと触れたいのですが、年度末を向かえ、文科省の科研費プロジェクトなどの公開の成果発表会が、相次いで開催されています。
 
 公費を使った研究の成果は社会に還元ということで、一般の方々も自由に参加できる状態で成果発表を行うのですが、いろいろと大変な問題を含んでいると、思います。
 
 1月28日(月)のゲノム4領域の成果発表会では、「一般向けも意識した、わかりやすい発表内容にして欲しい。このような演者を選んだ座長にも責任がある」といった意見が、フロアから出されていました。お見かけするところ、サラリーマン的な方でした。「一般向けの発表と聞いたのは、発表の5分前だった」と演者の方がお答えになり、ちょっと困ったことと思いました。最先端の研究成果をわかりやすく、というのはその準備はまた大変時間のかかることですし、悩ましい限りです。
 
■BTJ記事 ゲノム4領域関連(上記の記載とは異なる研究者の方の発表内容を記事にまとめたものです)。中外テクノスの記事は、記事の最後に記載があります
 
中外テクノス、
油汚染土壌のファイトレメディエーション、
実汚染フィールドで浄化効果と油分解微生物の集積を確認
https://bio.nikkeibp.co.jp/article/oc/2005/0165/
 
榊原康文・慶大教授ら、
世界初、実用的時間でゲノム3種を比較、
並列化で大幅に時間短縮
https://bio.nikkeibp.co.jp/article/oc/2004/9988/
 
 このゲノム4領域の2日前、1月26日(土)には、文科省特定領域研究Functional Glycomics研究成果公開発表シンポジウムを一部だけ、取材しましたが、ちょっとお粗末な発表があり、唖然としてしまいました。“糖鎖”健康食品は効果があるのか?、という題の発表で、ご自身のグルコサミンの研究成果をご発表になられていました。
 
 唖然としたというのは、ご自身のなさった研究成果のみの発表で、PubMedなど世界にある論文の蓄積に基づく、エビデンスをまったく紹介しなかった、からです。おそらくお調べになっていなかったのでは、と思います。
 
 「こんな高分子のものが何で食べて効果を発揮しうることがあるのか」みたいな件を、魅力あるしゃべりでご発表になり、文科省プロジェクトの同僚と思われる、おそらく食品成分の機能について明るくない方々からも、笑いをとってはいましたが、公金をもとにした発表会で、こんな発表が許されるのかと、ちょっとびっくりしました。一般向けは、おもしろおかしく、ということが特に大切と思いますが、しかし、きちんと事実関係を把握した上で、エンターテイメントを行っていただきたいです。
 
 たまたまグルコサミンがらみの記事をその後、まとめたので、5分ほどで調べた内容を記事末尾に入れておきました。ご覧ください。
 
バイオマテックジャパン、
サケ鼻軟骨から低コスト抽出するプロテオグリカンを今秋から供給へ、
弘前大医とも連携
https://bio.nikkeibp.co.jp/article/oc/2005/0274/
 
 当方はただいま、順天堂大学(お茶の水)で開かれている第4回グルコサミン研究会の発表を聞いていますが、理由はよくわからないけれど、高分子のコラーゲン(ゼラチン)のほうが、コラーゲン分解ペプチドよりも経口摂取の効果が高いという、動物モデル実験の結果が発表されてました。
 
 前に、コラーゲン分解ペプチドはコラーゲンの生合成を促進する、分解したペプチドを検知した細胞側がコラーゲンが減っている信号とみなしているのでは、といった話をうかがたったことはありますが、いずれにしても、現在の科学レベルではなかなか説明しにくい、奥が深い研究分野といえます。
 
 ただいまグリコサミンの作用をDNAマイクロアレイで解析した成果の発表が、城西大学からありました。マイクロアレイ解析も、謎の解明に不可欠といえます。
 
 2月25日に発行・公開するBTJジャーナル08年2月号では、このDNAマイクロアレイを特集する予定です。
 
「BTJジャーナル」のダウンロードはこちらから
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 最後に、先月末に発行・公開した「BTJジャーナル」08年1月号(第25号)の目次を紹介します。
 
2 新連載「大学は今」
阪大が海外企業と初の包括提携
メタボロームで有力マーカー続々

5 リーダー・インタビュー
統合バイオリファイナリー
センターで外部資金獲得へ
 近藤昭彦・神戸大学教授

7 特集リポート
ノーベル賞PCRに新世代
酵素の進化など革新続く
 石野良純・九州大学教授

12 学会コレクション
第4回日本学術振興会賞

13 専門情報サイト「FoodScience」

14 連載「遺伝統計学へようこそ!」
第11回 遺伝継承法則を用いた解析

 BTJジャーナルは、次のサイトでPDFファイルをダウンロードしていただくと(無料)、ご覧いただけます。オープンアクセスに対応した新タイプのジャーナルですので、ぜひお楽しみください。
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                         BTJ編集長 河田 孝雄