最近iPS万能細胞産生の話題がメディアを賑している。ES細胞の持つ倫理的な問題を回避できる万能細胞産生技術開発に繋がる重要な研究成果であり、将来難治病の新しい治療法開発実現に向けた可能性を与える。政府はこの研究促進のための特別措置として巨額な研究予算支援を決定した。
 受精卵から得られるES細胞は正真の高い可能性を持つが、倫理的な観点を含めてその使用には大きな問題があり、医療実用化は困難である。一方、体細胞(皮膚繊維芽細胞)を万能細胞化するiPS細胞産生法は、ES細胞が持つ倫理的問題を持たないだけでなく、個々人の体細胞を使う事により真のテーラーメイド医療開発にも繋がるものである。京都大学山中教授研究グループによるわずか4遺伝子の導入による体細胞(皮膚繊維芽細胞)の万能細胞化(iPS)は驚きであり、既にマウス培養細胞レベルだけでなく、キメラマウス作成にも成功し、更に昨年ヒト細胞でも証明した。ウイスコンシン大学グループもヒト細胞で同様な成功を収めている。20年程前になるが、ワイントラウプ博士(若くして亡くなったが、当時フレッドハッチンソンがんセンター)が、MyoD導入により非筋肉細胞(皮膚繊維芽細胞)を筋細胞に変換できる事を発表し、驚いた事を思い出す。
 私自身は万能細胞研究者ではないが、遺伝子治療開発研究の経験から今回のiPS研究に大きな期待を持つと同時に慎重さの必要性を感じる。今回のiPS細胞構築には、遺伝子治療法開発に用いられてきたレトロウイルスベクターによる遺伝子導入法が使用された。そのため遺伝子治療法開発にとって障壁となり、いまだに解決されていない安全性問題がここでも存在する。この課題に関しては、既にiPS研究者も述べている。安定的にゲノムに導入された遺伝子はiPS細胞だけでなく、それから分化し形成される新たな体細胞のゲノムにも存在し続けるため、細胞のがん化や他の不都合な事象を引き起こす可能性がある。c-Mycを他の遺伝子に置換したから大丈夫とも言えない。それは遺伝子治療開発の詳細な研究から明らかなように、ゲノム上の遺伝子挿入サイトによっては大きなリスクが生じるからである。iPS細胞から誘導される体細胞のin vivo安定性と機能維持も詳細に検証されるべき課題である。もし体細胞の安定的iPS細胞化が、導入した遺伝子のゲノム外における一時的発現や、遺伝子導入操作を含まず、成長因子や化学物質等による体細胞の処理だ達成できえるとすれば、様々な難治病の安全で理想的テーラーメード医療開発の実現に繋がる事になろう。安定した遺伝子導入に伴う細胞の安全性を徹底検証し、免疫的拒絶問題に対応したヒトiPS細胞ラインのセットを構築して一般治療に用いる事も考えられていると聞くが、個々人の真のテーラーメイド療法からは距離が出てくる。課題は多いが、可能性も大きい。これからの研究発展に期待したい。
 ここで1980年代に大きな可能性と夢、熱気と楽観性を持ってスタートした遺伝子治療法の開発研究について考える。遺伝子治療開発研究は、この20数年間世界中で臨床試験も含め鋭意展開されてきた。しかし、今日においても本格的な臨床使用に耐える遺伝子治療法の開発には至らず、地道な研究が続けられている状態にある。例えば、血友病は、病理も従来型の治療法も良く確立されており、疾患動物モデルも存在し、遺伝子治療法開発にとっては理想的疾患モデルの一つとして80年代からRNA/DNAウイルスベクター、非ウイルスベクター法等の様々な革新的遺伝子導入法を用い、これまた様々な細胞・臓器へのin vivo, ex vivo遺伝子導入が試みられ、臨床試験も行われてきた。しかし、動物実験では有望な結果が出ても、臨床試験では必要な遺伝子発現レベルと持続性の確保、免疫反応等、基本的な問題が依然として大きな障壁として立ちはだかり、現在も試行錯誤が続いている。ゲノム改変が関与する治療法開発の困難性を示している。
 ところで、今回のiPS研究における政治的で刹那的な巨額の研究予算配分の仕方は、政官民(メディア)による素晴らしいオールジャパン体制だ、と単純には喜べない。この研究の急速な支援の必要性は理解できるが、その仕方は単眼的で国の健全な科学研究支援にとってむしろ課題を残すものだ。もし非常に重要な研究課題の推進を行う研究者が、必要な予算を今回と同様な体制作りで獲得しなければならないとしたら、それは彼らに政治を強いるものである。ブッシュ大統領がこの分野に研究支援を行うと言った意味は、あくまでNIHのシステムを通して関連分野の研究を迅速且つ強力に支援して行くものであり、信頼できる研究管理と推進システムが存在するのである。この事は、米国におけるポストゲノム研究の非常によく考慮されたスコープと支援システムをみても頷ける。
 これまで我国政府は巨額の公的研究予算を特定のポストゲノム研究分野・課題につぎ込んできたが、総体としてそれに見合う成果が挙がったとはとても思えない。研究には適正な予算額と支援期間があり、やたらと大な研究予算を(妙に不透明な経緯で)特定の研究課題に注ぎ込めば良いと言うものではない。また、今の公的研究予算配分/支援システム下では、将来にとって極めて重要な多くの独創的研究の芽が伸びる事ができない、と恐れる。研究育成と推進による重要な研究成果及び有用な知財等の創出とそれを通した社会貢献の実現には、適正額の研究予算支援と一定期間の保障、そして更新による継続性等が必須であり、それを可能にする省庁の壁を越えた本格的で筋の通った研究支援システムの構築が急がれるべきである。
                      産業技術総合研究所
                      年齢軸生命工学研究センター長
                              倉地 幸徳 
 
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「次世代シーケンサーは、温度計やpH計と同じように環境の把握に使う時代が来る」と黒川顕・NAIST准教授
次世代シーケンサーのリポートを、
昨年末(12月25日)発行・公開のBTJジャーナルに掲載しています
「BTJジャーナル」のダウンロードはこちらから
→ http://biotech.nikkeibp.co.jp/btjjn/
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 毎週金曜日のメールで編集部原稿を担当しておりますBTJ編集長の河田です。
 2008年に入り初めてのメールになりますので、まずは、謹賀新年、今年もよろしくお願い申し上げます。
 ただいま慶應義塾大学の鶴岡キャンパス(山形県)にて、PCRやメタボロームの実習や受講に参加しております。
 PCRは、新世代PCRの記事を、1月25日公開の「BTJジャーナル」08年1月号に予定しています。
 メタボロームにつきましては、慶應の成果とともに、大阪大学病院の成果なども順次、BTJにて報道して参ります。
 今日のメールでは、BTJジャーナル07年12月号で特集した「次世代シーケンサー」の話題を挙げさせていただきます。
 一昨日、日本のメタゲノム研究のバイオインフォマティクスの大半に貢献なさっていると思われる、奈良先端科学技術大学院大学の黒川顕・准教授にお話しをうかがいました。
 「次世代シーケンサーを、従来からある(ジデオキシ法・サンガー法のキャピラリータイプ)DNAシーケンサーと同じように使おうとすると、確かに大変。しかし、温度計やpH計と同じように使うものになる」と黒川さんはおっしゃいます。
■黒川さんらの論文発表関連の昨年秋のBTJ記事
ヒト常在菌叢ゲノム国際コンソーシアム
第1回会議が12月8-9日に米NIHで開催、
日本チームは予算確保へ
https://bio.nikkeibp.co.jp/article/oc/2004/7686/

健康な日本人13人の
腸内菌叢メタゲノム解析の配列情報が本日公開、黒川顕NAIST准教授、服部正平東大教授らの成果
https://bio.nikkeibp.co.jp/article/oc/2004/7679/

 米Science誌は来年の注目分野の1つとして、ヒト体内細菌のゲノム解読を挙げていますが、さらにヒト周りだけでなく地域や地球全体の生態系の把握にも、メタゲノムの技術は発展しそうです。
 メール原稿の締め切り時間が来ましたので、今日はここまでとさせていただきます。
 黒川顕さんのインタビューをもとにした記事は、1月25日公開の「BTJジャーナル」08年1月号でも紹介させていただきます。
 最後に、先月末に発行・公開の「BTJジャーナル」07年12月号(第24号)の目次を紹介させていただきます。
2 短期連載「法人化から3年」
国立大学法人の中間評価と
インパクトファクター・被引用数
4 インタビュー
環境対策バイオプロセス
清水昌・京都大学教授
横関健三・味の素アミノサイエンス研究所理事
7 リポート
次世代シーケンサー続々登場
バイオ研究に抜本的な大変革
 榊佳之・理研GSCセンター長
 林崎良英・理研主任研究員
12 連載「さきがけCloseUp」総集編
「さきがけライブ」07年末は実施せず
14 専門情報サイト「FoodScience」
15 連載「科学技術政策を論じよう」
 第4回 深刻化するポスドク問題
18 連載「遺伝統計学へようこそ!」
 第10回 遺伝統計学とゲノム研究
33 広告索引
 BTJジャーナルは、次のサイトでPDFファイルをダウンロードしていただくと(無料)、ご覧いただけます。オープンアクセスに対応した新タイプのジャーナルですので、ぜひお楽しみください。
→ http://biotech.nikkeibp.co.jp/btjjn/
 
                         BTJ編集長 河田 孝雄