みなさん、こんにちは。なんと偶然、11月1日に第11号を発行することになりました。おかげさまで、メールの配信もあっという間に10回を超え、時間が過ぎる早さを感じます。
 さて、今回は日伯エタノールの掛林誠氏にブラジル訪問時の雑感第1弾をお書きいただきました。バイオエタノール関連の記事を書くようになってから、ブラジルは以前よりもより近い存在に感じていたものの、私自身、実際にブラジルを訪れたことはありません。
 掛林氏がお書きのように、来年は移民100周年。大々的なイベントも企画されており、私の取材先の日本人研究者(バイオエタノールの研究者)の中にも、100周年記念とバイオエタノールビジネスをからめた現地のイベントに参加する方がいます。
 その研究者も、「サトウキビ由来のバイオエタノールの生産性や技術などについてあれこれ言ってはいたものの、実は今までブラジルに行ったことはなかった。せっかくだから、いろいろ見てきたい」と話していました。これを機会に、バイオエタノールだけではないブラジルの姿に目を向けてみるのもいいかもしれません。
                       日経バイオテク 記者 久保田文
 
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◆オピニオン◆◆◆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
        ブラジル風土記      ―― 日伯エタノール 掛林誠
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■私のブラジル事始
 来年6月18日は、笠戸丸がサントス港に着いて、ちょうど百年になる。もう100年、まだ100年。いずれにせよ、ブラジリアで開催される記念式典には皇太子殿下もご列席される由。さて、筆者とブラジルの縁は、06年1月、ブラジリアに1泊したのが始まりである。ニューヨーク経由でサンパウロ入りし、国内便に乗り換えてのブラジリア入り。機中にいるだけで24時間。空港での待ち時間や時差を考慮すると、片道だけで2日仕事だ。
 だから、私の第一印象は、ご多聞に漏れず、「ブラジルはやたら遠い」というものだった。そして、サンパウロの高層ビルの柱の大きさに、初めてニューヨークの摩天楼を見たときと同じような衝撃を受け、それと同時に、ニューヨークとは異質の、もっと茫漠とした「デカさ」に包み込まれてしまった。そして、帰国後1週間が経って、突然、寝込んでしまったというのが第一幕である。
■みっちり研修の第二幕
 第二幕はそれから数カ月後の5月初め。ゴールデンウィークの日本を後にして、再びブラジルの土を踏んだ。ブラジルもエタノールもペトロブラスも何も知らない筆者にとって、2週間は、ペトロブラス本社、中央技術研究所、給油所部門、ロジスティックス部門、ブラジル最大の陸上輸送ターミナル、将来の日本向け輸出基地となる海上輸送ターミナル、サンパウロ州内のサトウキビ畑、エタノールプラント、サトウキビ技術研究所、イタリア系移民が創業したエンジニアリング企業等々多岐にわたり、毎日朝食後から夕食前までびっしりの見学に明け暮れた。
 ペトロブラスの社風を感じ取り、地球の裏側の仲間と直接議論できたことにより、ワン・チームとして仕事ができるという確信につながった。50歳代の新人にはちょっとハード過ぎるのではないかと愚痴もこぼしたが、特に3人のチューターには感謝の念で一杯である。
■カナブラーバさん
 最初に空港まで出迎えてくれたのが、ペトロブラスの若きホープ、まだ30代前半のカナブラーバ氏である。英語的に書き直せば、ブレイブケイン(勇者キビ)という意味になる。500倍の競争を勝ち抜いてペトロブラスに入り、志願してエタノール担当になった。あまりに名前がぴったりしていたので、社内で一躍に有名になったとは本人の談。
 日曜日の早朝の到着であったので詫びたところ、「休日出勤は当たり前。普通の日は忙しくて書類を読む暇もないから、土日出勤は日常化している」とあっさりしたもの。エタノール部門は超巨大組織ペトロブラスの中にあって、まだ新参者。私をホテルに送り届けるとそのまま出社。土日を使って、イグアスの滝を一緒に旅し、帰国直前にはシュガーローフを案内し、ショッピングセンターでは新しい世代のボサノヴァのCDを選んでくれた。ワーカホリックなはにかみエリートは心優しい。因みに独身。
■ルテオさん
 ルテオさんは、いつも携帯を二つ使いこなす、50歳代。法務担当で、物静かな紳士である。リオ市内のスラム街を通過した際、教えてくれた言葉が「ベルンディア」。ブラジルの有名な経済学者の造語であり、ブラジルは90%の貧困者(インド)と10%富裕者(ベルギー)のアマルガムという意味だそうだ。ブラジル国内の貧富の格差を一語で巧みに言い表している。 
 以前は公園か何かであった公有地も、今ではものすごい数の家がびっしり並び巨大な蜂の巣のような景観である。この中には学校もあるそうで、選挙があれば立候補者は喜んで演説しに行くそうだ。ルテオさんはスラム街が大事な票田となっているのでもはやブラジルの政治家ではその一掃できないと義憤することしきりであったので、いずこも同じと慰めるしかなかった。地味な正義漢は静かに燃える。
■セルジオさん
 右足が悪いセルジオさんは、60歳ぐらいか。海上輸送ターミナルのイルダグア島、中央技術研究所のCENPES、赤道に近い保養地、美しい港町マセイオの海上輸送ターミナルをエネルギッシュに案内してくれた。2000年にグアダモ湾でパイプラインからの石油漏れ事故が起こり、セルジオさんも事故対応に追われていた。嵐のような悪天候の日に船から落ちてしまったのだと他の人が耳打ちしてくれた。
 足が不自由になったことよりも事故によるペトロブラスのダメージが精神的・ブランド的・金銭的に甚大なものだったとして、再発させてはならないと強い決意をみなぎらせた。しかし、その悪夢も今や完全に終わり、忌まわしい経験から十分学び取って、会社全体は環境重視に変身を遂げ、以前よりもっと強い会社になったと誇らしく語ってくれた。禍転じてのペトロブラス版である。
 ブラジルとペトロブラスに誇りを持ち、エタノールビジネスにかける意気込みは人一倍であった。セルジオさんが勧めてくれた、シジミのような淡白な味の貝、スルルーはビールのつまみに最高であった。これ、出張の余得。信念に燃える人には泣き言はない。
■コパカーパーナ・・・
 昨年1月時点での筆者のブラジルに関する知識は、バリー・マニロウのコパカーパーナ、アストラッド・ジルベルトのイパネパの娘、ボサノヴァ、サンバ、リオのカーニバル、アマゾンのジャングルであった(書きながら、何たる貧困!と思わずにはいられなかった)。地球の裏側にあるだけに、なかなか簡単には行けず、報道も少なく、ブラジルは筆者にとって最も馴染みが薄い国の一つであった。それが2週間のみっちり研修で一変。
 何よりも日系人の方々が実績を積んでこられ、そのことが素直に評価され、国全体が親日的で、日本人ビジネスマンも大いに活躍しているブラジル。南米で一頭頭抜けた大国ブラジルは、貧困や治安等の課題も多く抱えるものの、資源面だけでなく人材面から見てもその発展のポテンシャルは実に大きいと感じられた。
 ブラジルの大自然が初めてその姿を現したとき、100年前のわが先人達はどのような感慨にふけられたであろうか?次の100年の日伯関係をどう築いていくか?また、日伯両国が世界に同貢献していくか?われわれの世代の課題である。私の第三幕もこれからである。
                       (日伯エタノール 掛林誠氏)