現在、フランスのLyonに滞在中です。気温は15℃、今週はずーっと雨の天気予報です。2年に一度開催される欧州のBioVisionを取材するのが目的です。Lyonは緑の芽吹きとスイセンなどが咲く、春げしきです。当地でも、福島原発のニュースとカダフィ大佐のリビアのニュースはひっきりなしにやっており、これでは海外の友人が心配するのも無理はありません。欧州は昨日開催されたドイツの州議会選挙でも、原発が争点となり、環境派が勝利するなど、世界的に原発には大きな懸念が膨らんでしまいました。環境に最も良い原発抜きに、世界はグリーン革命を強いられる時代に、あっという間に変化してしまったと言えるでしょう。バイオの責任重大です。
 さて、地震だ原発事故だというニュースに埋もれた格好になってしまいましたが、3月15日午前9時15分に我が国のバイオテクノロジーの創始者ともいうべき巨星が墜ちました。テノックス研究所の野口照久所長(86歳)が肺炎でひっそり、なくなりました。2年前に脳幹に血液が到達しなくなる病気で倒れ、療養を続けていましたが、とうとう天に召せられました。
 駆け出しの記者の時代から、野口さんには鍛えられ、教えられることが多かったため、一報を受けてから虚脱状態になっています。多分、国内外で野口さんの薫陶を受けた多数の研究者達は、多かれ少なかれ虚脱状態になっているのではないでしょうか?それだけ野口さんの先見性や頭脳を頼りにしていた人は多かったのです。
 同氏が東大医学部薬学科で研究中に日本曹達にスカウトされ、1959年に生物学研究所を設立、所長として農薬などの開発を陣頭指揮しました。その後、帝人の大屋晋三社長(当時)にスカウトされ、多角化の切り札として、生物医学研究所を創設、帝人が医薬参入を成功に導きました。この時代の教え子である大八木成男氏が現在、帝人の社長を務めています。そして更に、サントリーの佐治敬三社長(当時)に招かれ、生物医学研究所を創設、hANPやγインターフェロンなどのバイオ医薬で医薬参入を果たしました。サントリーはその後、医薬事業を第一三共に売却、現在、第一三共の社長を務める中山譲治社長はサントリーの生物医学研究所の出身です。最後に野口さんは山之内製薬に招かれ、副社長として研究開発を指揮しました。
 これだけ多くの大企業にスカウトされ、医薬参入を成功させた研究者・ビジネスマンは皆無であると言って良いでしょう。野口さんの凄さは、深い学問からひらめく、先見性とそれを表現する造語能力にありました。また、とんでもない記憶力を備え、まるで写真に撮ったように明確に、正確に記憶していることも脅威でした。晩年はさすがに記憶力も衰え、それにかわって盛んにメモを取るようになりました。いづれにせよ、正確性を追求するための努力と執念、それを可能とする体力と知力に恵まれていました。
 バイオで一番衝撃を受けたのは、サントリー時代にバイオテクノロジーの競争力の源泉が核酸の化学合成技術にあると喝破し、我が国の核酸合成研究者を逸早く確保し、完全化学合成遺伝子によるγインターフェロンの開発に成功した点です。同時にたんぱく質の結晶解析などによる立体構造に基づき、コンピュータ上でそれに嵌り込む化合物をデザインするCADDを提唱し、開発にまい進したのです。いずれも創薬の基本を化学合成技術に置いたうえで、将来、バイオテクノロジーによってたんぱく質生産が可能となり、新しい医薬品の分野としてたんぱく質医薬が誕生することと、低分子医薬の標的となるたんぱく質もバイオによって製造可能となり、低分子医薬の合理的な設計が加速することも、つまり、現在のバイオ創薬の方向性を30年前に完全に見通して結果です。現在、全世界で36種以上の抗体医薬が商品化していますが、世界で抗体のFc領域をSS結合を還元し、抗体投与による副作用であるアナフィラキシーショックを低減したポリクローナル抗体製剤「ベニロン」を初めて、商品化したのも野口さんだったことは、特記に値すると思います。
 1980年代の第一次バイオ医薬の時代に、「生体医薬」という言葉を創作したのも野口さんでした。技術的に深いことを、分かり易い造語で示すことが得意であった野口さんは、ジャーナリストとしても、その技術や時代の進行を指し示す言葉をいただくことができる貴重な主財源でした。
 あまりに卓越した能力と強烈な個性のため、時には無理解による誤解を生じ、悪口を言われることもありました。しかし、客観的に見るといずれも、創造的なアントレプレナーには避けえない向う傷のようなものばかり。安穏と変化を嫌う似非エリートがはびこる日本で、衆を頼まず、未来を見据えて、決して安易な妥協をしなかった人生は、国家が危機に直面する日本に今こそ必要なエリートの生き様であったと、残念に思っています。
 野口さんの創造の魂を受けついだ沢山の弟子たちには「今こそ君達の出番たぞ」と透徹した声が聞こえているはずです。野口さん、本当にありがとうございました。どうぞこれからも、日本のバイオを見守っていただきたいと願います。