先週火曜日のBTJプロフェッショナルセミナーに大勢の皆さんにお越しいただきました。十分質疑の時間を取れなかった反省はありますが、それだけ本当に最先端の議論できたと満足しております。ご講演いただいた講師やパネルリストに深く感謝しております。今回のセミナーに出席した方は、きっとヒト万能細胞(iPS細胞やES細胞)を活用した再生医療の実現を体感し、そのロードマップを把握できたと思います。来年の12月には具体的な疾病に焦点を絞り、再生医療の実現までの道のりと障壁を議論しようと考えております。どうぞご期待願います。
 確実な予言として、2011年には我が国で世界に先駆けてヒトiPS細胞の臨床研究の申請が行われます。来年、私達は新時代に踏み込むのです。
http://bio.nikkeibp.co.jp/bio/seminar/101221/
 さてこのまま年末のご挨拶で終わっては皆さんのご期待を裏切ることになります。半ば義務として昨夜のフィギュアスケートの全日本選手権に言及しなくてはなりません。とにかく、トリプルアクセルが決まって良かった。この一言に皆さんの同意を得られると思います。天才浅田真央選手がジャンプの改良にここまで苦しみ、そして最後の勝負で再生の切っ掛けを掴んだ。誠に嬉しい。まるで予定調和のような結末に、今年も一年が終われる国民的安堵の吐息が聞こえてきました。
 どうしてもストーリーには悪役が必要です。6年ぶりに見事なスケートで、全日本選手権を制した安藤美姫は判官贔屓の日本では損な役回りです。しかし、完璧な演技が終わった後、エッジを氷に突き刺したガッツポーズの凄みに、キムヨナや浅田という天才と同時代に生まれた彼女の辛酸がのぞきました。ある新聞は右足と表現しましたが、演技を終了した時には、右足を前にクロスして静止したので、私は踏み込んだのは左足ではなかったかと思っておりますが、皆さんはどちらだと思いますか?
 細部にこだわるのは職業病かも知れませんが、真実は細部に宿るのもまた事実です。地を這うように駆け巡り、細部細部を集めて報道していると、時には地上を蹴って舞い上がり、全体の状況を鳥のごとく俯瞰しなくては、皆さんを大きく惑わす可能性があります。やっと、静かな時間を得た今、今年のバイオを俯瞰してすることにいたしましょう。大きなうねりは、来年のバイオを占う絶好に材料となります。
 冒頭にも触れましたが、第一の変化はいよいよ万能細胞の再生医療が臨床入りの段階に突入したことです。患者さんの細胞を培養し、患者本人に移植する自家移植は、既に再生医療として定着いたしました。しかし、このビジネスモデルでは医療行為に収益の大部分が吸収されてしまうため、ベンチャー企業か、医療機関が事業化のエンジンにならざるを得ないのです。これに対して、万能細胞を使えば、拒絶反応を抑止するため免疫抑制剤を使用する必要はありますが、同一の規格化された細胞を工業的に大量生産し、品質管理して流通させる、従来の医薬品のビジネスモデルが当てはまります。実際の荷姿は、輸液バックに凍結した細胞を流通させることになりそうです。万能細胞が再生医療で使える段階に入れば、間違いなく大手製薬企業の参入が可能となります。もう既に米Pfizer社は再生医療に本格参入、我が国でも今年、帝人と大日本住友製薬が日本人が日本の技術で設立した米SanBio社と提携、再生医療に参入しました。これは幹細胞を利用した再生医療ですが、万能細胞と同様、他家細胞移植を狙っています。我が国ではJCRがフェーズ2を完了、来年、間葉系幹細胞を免疫抑制剤として活用する再生医療のフェーズ3を開始する見込みです。来年は他家細胞移植が万能細胞の臨床研究によってさらに加速され、細胞医薬という概念が、リアリティを持つ年となると思います。
 今年、めでたい話ですが、ちょっと残念なのがJ-TECがシンガポール事務所を開設したことです。我が国の再生医療の規制環境に成長性の限界を感じ、押し出されるように海外展開を余儀なくされました。角膜の幹細胞移植のセルシードも結局、フランスで臨床試験を展開、その次は米国で開発する計画です。我が国でも、先進医療の臨床試験に対する研究費補助とプロアクティブな規制当局との話し合いの推進がどうしても必要です。患者さんの治療の選択肢を増やすため、規制当局と開発企業と医療機関が相互に信頼し、協力する仕組みをさらに整備しなくてはなりません。競争は激しいですが、iPS細胞は世界で最初の臨床研究が、我が国で行われる可能性が濃厚で、このチャンスを我が国の関係者は逃すべきでは、断じてないと思います。
 第二の変化は、プロテオームがいよいよゲノム解析と融合し、精度と感度が飛躍的に向上、いよいよ使える技術として確立したことです。背景には今年9月から新たな段階に入ったHUPOの国際研究プログラムと質量分析器の飛躍があります。たんぱく質から由来したペプチド断片の組を多数分析することで、たんぱく質の同定と定量が可能となりました。やがて修飾たんぱく質のデータベースも充実すれば、修飾たんぱく質の同定もルーチン作業となる見込みです。糖鎖分析もプロテオームの後を追っており、いよいよ糖鎖の機能解明も急速に進みつつあります。
http://www.hupo.org/
 今年8月にNECが米Somalogics社に500万ドル出資した理由は、アプタマー・チップによって、ヒトの血清中のたんぱく質を一挙に分析する技術が実用化を迎えたためです。抗体で失敗したたんぱく質チップの夢をアプタマーが実現する可能性が出てきました。その意味でも、プロテオームの技術突破が起こったのです。
お詫び:原メールでは、NECを富士通と取り違えて配信いたしました。慎んで訂正いたします。
 第三の変化はいうまでもなく。一分子DNAシーケンサーの登場です。米Pacific BioSciences社が2月23日から主要なゲノム解析機関に、同社が開発したSMRT(Single Molecule Real Time) DNAシーケンサーを試験出荷しました。本格出荷したかはまだ確認できませんでしたが、いずれにせよ、ナノテクノロジーとバイオの融合の賜物である第三世代のシーケンサーがいよいよ登場しました。これによってPCRバイアスの無い、正確なゲノム解析が期待できるほか、PCRの前処理がないため3時間で解析結果を得られるため、医療機器としてPOCに活用できる期待も膨らんで来ました。冗談のようですが、10年以内にはDNAシーケンサーが病院で使われる時代が来ます。目下の最大の問題は、第二世代、第三世代シー
ケンサーが時々刻々生み出しているテラバイトレベルの膨大なゲノム情報の取り扱いです。現在の大学間のインターネットでは転送することもできず、大学院生がハードディスクで運搬している苦しい状況です。
 情報インフラ、解析ソフト、個人情報、そしてクラウド、この四次元方程式を解かなくてはなりません。
 第四の変化は、計算機バイオロジーの本格化です。神戸に我が国が仕分けしたペタコンが来年完成する見込みです。今年はバイオに計算機が本格的に進出した年となりました。計算機科学者で、ヘッジファンドの有用で巨額の富を得たD E Shaw氏が、New Yorkに設立したD E Shaw Research社が、専用スパコン、ANTONを駆使して、とうとうたんぱく質の1m秒間のシミュレーションに成功しました。今までもたんぱく質の全原子を分子動力学計算で立体構造とその動きをシミュレートした研究はありましたが、計算機の能力の限界で実際のたんぱく質分子の構造変化が生じる時間の100分の1しか再現できなかったのです。今回、成功した1m秒は瞬きより尚短い時間ですが、たんぱく質のフォールディングや立体構造変化には十分な時間です。今後、スパコンの能力を拡大すればたんぱく質と低分子、たんぱく質同士の相互作用をシミュレートできる時代もやってくると確信させました。分子を標的とした医薬品のスクリ
ーニングのバーチャル化の拍車がかかるのです。製薬企業の競争力をスパコンが握る可能性が出てきたのです。「何故、1番じゃなければいけないの?」、こんな愚問に応える時間はないということです。
 スパコンの能力増大は、膨大なオミックスを解析して、生命システムを再構築するシステム生物学も加速します。ウェットとドライ、両輪でバイオ研究を進めるプラットフォームを我が国がどう確保するのか?
今年、東大先端科学技術研究センターの児玉教授が専用のスパコンを導入、抗体医薬のシミュレーションを開始したことに、かろうじて希望の光があります。
http://blog.nikkeibp.co.jp/bio/miyata/2010/12/206691.html#more
 第五の変化は、今年2月にデンマークのNovozyme社が今年2月16日に実用的なセルロース分解酵素「Cellic CTec2」を発売したことです。これによって、食料と競合しない次世代のバイオマス、セルロースをバイオフューエルや基礎化学品の原料として利用する道が開かれました。2011年には、英BP社と米DuPont社の合弁企業、Butamax Advanced Biofuels社が、英国でバイオブタノールの試験プラントを稼動させ、2012年にはブラジルなどで本格操業を開始します。今まで、セルロースエタノールこそ時代のバイオエネルギーという思い込みを見事壊す技術突破となりそうです。エネルギー密度、取り扱いの容易さ、ガソリンスタンドなど流通機構や自動車側に新たな投資が不要であることも、バイオエタノールの強力なライバル誕生の理由です。来年には、トヨタ自動車がバイオポリエチレンを導入することを決定しています。燃料だけでなく、プラスチックなどの汎用化学品にバイオの波がやってきます。
 第六の変化は、太平洋を挟んで米国と中国で国民皆保険制度が樹立されつつあることです。中国は昨年から、米国は今年から国民皆保険制度の整備が始まりました。米国では高額医薬のキャッピングや薬価の引き下げなどにより医薬市場の成長率が低下、今年最もリストラした産業に米国では医薬産業が政府に続き第二位に入る状況です。5万人以上、リストラしたビッグファーマは、その資源を中進国市場に振り分けました。既に、世界の製薬市場の牽引車は米国だけでなく、中進国、日本、欧州と多角化しています。米IMS Health社は今年4月に今後医薬市場が拡大する中進国の定義を、BRICsの4カ国から17カ国に拡大しました。今や単一国としては世界第三の市場となった中国に続き、ブラジル、ロシア、インド、そして新たにベネズエラ、ポーランド、アルゼンチン、トルコ、メキシコ、ベトナム、南アフリカ、タイ、インドネシア、ルーマニア、エジプト、パキスタン、ウクライナを加えました。我が国製薬企業はおっとり刀で、インド、中国に本格進出しようともがいておりますが、世界はそれ以上のスピードで拡大中で
す。インドRanbaxy社を買収した第一三共以外の我が国の製薬企業が新興国市場でまったく販売網を築いていない点が大問題です。家電や自動車などの足腰の強さが、日本の製薬企業にないことに注目すべきであると思います。
 一方、中国の国民皆保険制度は直ちに2兆円以上のジェネリック市場を実現させるものです。先進国の保健医療財政の悪化と中進国の廉価薬市場の伸びで、ジェネリック薬やバイオジェネリック薬が急成長市場に大きく変貌しつつあります。2012年にリウマチ薬「エンブレル」、2013年にはエリスロポイエチン、組み換えインターフェロンβ、組み換えインスリン、そして2014年には抗体医薬「レミケード」の特許期間満了を迎えます。今年はバイオジェネリックの大きなうねりが国際的な業界再編製と絡み、我が国にも押し寄せてきました。JCRと英GSK社の提携、日医工への仏sanofi aventis社の出資、イスラエル
Teva社と日本化薬の提携など、来年もこうした離合集散は避けられないでしょう。
 今年の変化の一端に触れただけで、長大な文章となってしまいました。日本にだけ居るとつい気づかないのですが、今、世界は巨大な変化の渦の中にあるのです。そして今までの冷戦の秩序とは異なる
新しい世界秩序が誕生しつつあります。そして、誰もがこの渦からは逃れえません。
 大海の 磯もとどろに 寄する波 われて砕けて 裂けて散るかも
 来年こそ「変化を恐れない」、「変化に対応する」私たちでありたいと思っております。皆さんも、どうぞ良い年をお迎え願います。
             Biotechnology Japan Webmaster 宮田 満