写真:注目のiPS細胞細胞。まだ、樹立した株毎の多様性を秘めている。
 昨日、東京で開催されたゲノム創薬フォーラムはiPSやヒトES研究の先端を走っている研究者が集い、本当に刺激的な会となりました。全員がiPS細胞やヒトES細胞研究を推進しているか、もしくは極めて興味を持ち支援をしている聴衆の前で、「iPS細胞は本当に役に立つのか?」という誠に失礼なタイトルでお話をさせていただきました。こうした全員を敵にまわすような情況に自分が置かれたのは久しぶりです。10年前にクローン牛反対派500人を前に「とっても安全で、美味しいぞ」と話した状況以来だと思います。
 しかし、何故、こんなへそ曲がりなタイトルを付けたかというと、こうした議論が社会に本当にiPS細胞という技術革新が根付くために必要だからです。メディアも含め、最近の社会状況は極めて、是か非か、というディジタルな反応、一種のパニック応答のような情況にあることに心を痛めています。
 これは均一な一方方向だけの見方やファクトといわれるものが読者に供給され、ある日、突然反対方向の情報が提供されるといった今のメディアの情況に問題があると思います。
 例えば奇跡の新薬とメディアが持ち上げていた肺がん治療薬「イレッサ」はどうでしょうか? 副作用死の報道があるや、毒薬のような扱いではないですか。販売してた企業と厚労省の対応にも問題がありますが、抗がん剤の副作用死亡率としては、他の化学抗がん剤と比べて決して高くなく、しかも今まで経口剤で肺がんが治る薬など存在しなかったのに。
 生きとし生ける行為にはリスクが常に存在することを、私たちはもっと正直に伝えなくてはならないでしょう。iPS細胞もここまで過剰に祭り上げると、期待だけが一方的に膨らみ、ねばり強く長期の研究が必要な研究開発の実態と乖離したイメージが定着しかねません。
 「まだiPS細胞は役に立たないのか」
 こうした短兵急な過剰な期待は、本当のイノベーションには百害あって一利なし。昨年の11月にiPS細胞ブームが起こるや、山中教授のメールアドレスに国民からすぐに使いたいという要望が殺到、通信困難になるという情況が実際生じています。オートリプライで、まだまだ患者さんのお役に立てるまでにはiPS細胞の基礎研究が必要ですと、山中教授が訴えざるを得なかったのは、既に国民の期待が危険水域に達している兆しだと思います。
 我慢強い支援を国民から期待するなら、現状は国民の短兵急な期待とは遠いところにあることを、しかも、希望を失わせずに情報を伝えるという綱渡りをしなくてはなりません。ふーふっと国民の期待過剰を冷やし、正気を取り戻していただき、尚かつ、でもiPS細胞には期待したいという冷静なねばり強い期待に変えなくてはならないのです。私たちも精進しますから、皆さんも是非とも身近な方々と、どうぞお話をしてください。
 さてiPS細胞は患者さんの個人毎に、胚性幹細胞にそっくりな人工多能性幹細胞を作る、究極の個の医療だとこのメールでも喧伝してまいりました。本質はそうなのですが、いざ、医療の現場にこうした応用が適用できるか、というと実は極めて疑問なのです。
 まず、作成に時間がかかり、出来たiPS細胞株毎に多様性があるため、どれが治療目的に適している安全な株なのか? バリデーションするために時間も費用もかかります。ですから、心筋梗塞部位に心筋前駆細胞を移植したいといっても、果たして患者さんに間に合う訳はありません。では、個人毎に理想的なiPS細胞を作成してバンキングして、万が一に備えるという方法はどうか? これも全国民にこうしたサービスを提供すると、現在の医療費ではとうていまかなえません。
 そこで現在、最も注目さえれているのが、イージーオーダーのiPS細胞です。これは拒絶反応を支配しているHLA型に対応するiPS細胞株をバンキングして置き、患者さんのHLA型と同じ、もしくは類似しているiPS細胞を供給しようというアイデアです。これなら、心筋梗塞や脳梗塞、火傷などにも対応可能ですし、更には安全性を確かめた標準的なiPS細胞を患者に供給できます。副作用や医療事故などにも、きちっと規格が定まったiPS細胞が供給されていれば原因追及も容易となると考えます。つまり医薬品や生物製剤に準じた、iPS細胞の開発が可能となるのです。
 問題はどれぐらいのHLA型に対応したiPS細胞を何株作ればよいのか?
 京都大学再生医科学研究所の中辻憲夫教授と日本赤十字社中央血液研究所の中島文明博士、東京大学の徳永勝士教授らの研究によれば、日本人に対応するiPS細胞バンクの大きさは、50株で日本人の90%以上をカバーできるというものでした。50株のHLA型の異なる骨髄・臍帯血細胞を得るためには2万4000人分の骨髄・臍帯血をスクリーニングすれば得られると推計しています。
 どうです、これなら実行可能ではないですか。しかも骨髄・臍帯血中の成人幹細胞は遺伝子導入によってiPS細胞に転換し易いというデータも蓄積しつつあります。
https://bio.nikkeibp.co.jp/article/oc/2005/4555/
 究極の個の医療からは一歩後退ですが、これが最もリアルなiPS細胞の事業化だと思います。今後とも、こうした情報を皆さんと共有していきたいと思いますので、皆さんもどうぞ積極的に情報提供願います。
 さて事業化の肝を握る、知財ライセンスを行うiPSアカデミアジャパンが8月1日に本格的に営業を開始いたします。社長との独占インタビューを掲載しましたので、こちらもどうぞご覧願います。
https://bio.nikkeibp.co.jp/article/oc/2005/4564/
 今週も皆さん、お元気で。
 PS
 iPS細胞が出来るのはエピジェネティックスの変化が鍵を握っています。 急速に進むエピジェネティックスの研究も注目下さい。無料のBDFマガジンBTJJでも取り上げていますので、合わせてお読み下さい。
http://biotech.nikkeibp.co.jp/btjjn/